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シリーズ・どっこい生きてるニッポンの農人(1) |
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◆協定締結への反対意見のなかで
貝山集落は、三春町中心部から南に約2km程のところにあり、戸数は74戸と比較的規模が大きい。阿武隈山系の西縁に位置し、養蚕と葉タバコ栽培が盛んだった地域であり、これに水稲を加えたものが農業の三本柱であった。しかし近年、耕作放棄地が増大してきていた。貝山集落におけるその多くは農地開発事業による造成畑であったが、事業そのものの長期化、さらにはダム建設と通水の遅れにより、当初の営農計画と農業情勢の齟齬が生じていたことが背景にある。こうしたなか、貝山集落では、直接支払制度の対象農地約80haのうち865aにおいて、耕作放棄地の復旧を図ることとした。 しかし、三春町では制度導入に当たり、町全体の協定で耕作放棄解消という方針を掲げたが、「復旧しても植える作物がなかなか見つからない」というのが実態で、貝山集落でも制度導入前の話し合い時点では、農家は集落協定の締結に消極的であった。3分の1強が耕作放棄地を所有しており、かなりの割合を占めていた。「放棄地があるが、人には迷惑をかけられないからやらないでくれ」とか、「皆でもらう金を俺の畑に使うのでは面子が立たない」、さらには「何も作るものはないし、荒らしておくのも俺の経営方針だから」といった声すら挙がっていた。結局、半分が賛成、半分は反対という雰囲気だった。
大内氏らがそこまで熱心に訴えた背景には、「せっかく、事業を導入した土地が荒れてしまっていては非常にもったいない。償還金も負担しなければならないし、荒地を解消して誰かに貸せば地代も入り、用水代ぐらいはそれで払えるだろう。さらにプロジェクトとして一括管理をして何か作物を作れば、地域全体の利益にもなるだろう」といった考えがあったからである。 実は、大内氏をはじめ、協定役員となった人々のうち5名は、「三春農民塾」の塾生で、塾長の今村奈良臣東京大学名誉教授を招いて、塾生OBが集う機会があった際、近いうちに直接支払制度が導入されるという話を聞いていたのだった。彼らは、喜んで日頃から話題にしていたが、先のような集落座談会の状況を受けて、自分たちが中心になって取り組むしかないという決意を固めたのである。
プロジェクトの内容は、大内氏が提案した内容通りになっているが、耕作放棄地の復旧費用が大きいため、共同管理する耕作放棄解消農地から収益を生み出さなければ、できるだけ多く交付金を個人に渡すとした約束を果たせないことになってしまう。そこで、単なる保全管理というレベルではなく、より積極的な営農を展開するということになった。
また、町内の3つの保育所の学童農園としての役割を担っていたり、集落内にある磐越自動車道のパーキングエリアで交通遺児育英資金のための農産物のチャリティー販売を行ったり、外部の関係者も招いた「収穫祭」を開催したりするなど、地域活性化にも寄与していることなど考えれば、さらに評価は高まる。しかも、全国的には畑における制度の取り組みが低調と言われる中での貴重な活動であると言うこともできるであろう。 |
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(2005.1.12) |
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