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シリーズ 歴史を振り返り農協のありかたを考える(4) |
運動起こしの出発点は組合員の要求集約から インタビュアー 梶井功東京農工大名誉教授 |
このシリーズ第4弾は「農協運動の闘士といえば、この人を措いてない」(JA全中の堀内巳次元会長)といわれる山口氏にご登場願った。氏の運動歴は農産物の買いたたきに対する地域での果敢な価格闘争に始まり、その後、活動の舞台を中央に移した。全中の常務、専務を務めた15年間は農政の基調がおかしくなってきた時代。これに対して氏は「百姓をいじめると国は滅びる」として“農協たたき”と対決した。氏の原点には運動起こしとオルグ活動があった。その軌跡の一端を語る氏の信条や実践は、今、危機に直面している農協役職員の勇気を奮い立たせる内容に富んでいた。 |
求められる毅然とした主張 ◆オルグ機能が大事
梶井 山口さんは昭和24年に神奈川県指導農協連の職員として農協運動に参加して以来「私心のない“輝ける団体屋”になって組合員の役に立ちたいと願ってきた」と著書に書いておられます。また指導連職員のオルガナイザー機能も強調されています。そうした信条を培ってきた体験の一端をおうかがいできればと思います。 山口 オルグ活動の手始めは青年の組織化でした。私は県指導連に入って3ヵ月で相模原地区の支所長になりましたが、管内(9農協)には次々に農協青年部ができました。25年ごろです。日本で一番早い青年部づくりではなかったかと思います。 梶井 青年部を中核とした運動を次々に起こしましたね。 山口 最初は相模原の養蚕闘争でした。マユの価格は生産者と製糸会社が結ぶ掛け目協定で決まりますが、これが実はインチキだったのですよ。養蚕農協と県養蚕農協連は会社側の御用組合で、営農指導員の人件費などを会社側が出す代わりに掛け目を低くするというのが実態でした。 ◆自前の加工施設を
梶井 高北連は肉豚闘争というのもやっています。 山口 これも加工資本の農産物買いたたきに対抗する価格闘争で26年から始めました。結果として自前の加工施設を持った点で養蚕闘争とは違います。 梶井 30年には全中に入るようにと誘われる…。 山口 そうです。ところが全中労使の事情で結局、全国農民連盟(その後、全国農民総連盟となり、平成元年に発展的解散)に移りました。全農連は当時、30県近くの加盟組織と盟友70万人を擁する最大の農民組織でした。 梶井 反独占・価格闘争といわれた運動ですね。 山口 はい。闘争の基盤は町村や部落ごとの業態別・要求別の目的組織(対策委員会)にあるとし、32年度運動方針ではこれら地域の対策委を全農連組織の一環と位置づけ、オルグ活動を強化することを掲げました。 ◆不足払いを求めて 山口 組合員の意見を集約し、それを堅持していくのが運動です。そうでないと闘いのエネルギーがわきません。まず百姓の要求を聞き、それを実現するためにみんなで知恵を絞る、それが教育になるのです。 梶井 組合員に学びながら事業や運動を組み立てていく、それがオルグであり、教育なんですね。 山口 32年でしたね。あれは私の提唱で総評などの労組と全農連などの農民団体が提携して進めた市乳の消費拡大運動です。モデル地区となった京浜工業地帯の職場では生協、売店、食堂などでかなり普及しました。 梶井 全農連から今度は34年に全中の嘱託、37年には中央酪農会議の初代事務局長、そして常務を歴任されましたが、中酪時代の思い出はいかがですか。 山口 不足払い法の制定運動を思い出しますね。英国や豪州の法を手本に生乳すべてを対象にするようにと主張したのですが、大蔵省の反対で加工原料乳だけの制度になりました。同省は不足払いそのものに反対だったので飲用乳への適用を強く求めると、すべてがお流れになる危険性があったので、原料乳だけの制度になったのです。 梶井 農協牛乳をつくったのはそのころですか。 ◆革命的な商品設計 山口 そうです。中酪の常務時代です。すでに農協資本の協同乳業などがありましたが、全国段階でも自前の加工をやろうじゃないかと全購連の織井斉常務と話合いましてね。47年に全国農協牛乳直販(株)という乳業会社を設立しました。 梶井 当時と比べ近年の牛乳消費低迷をどう思いますか。 山口 飲んでもらうだけでなく食べてもらう、料理に使ってもらわないとだめですよ。メーカー任せにしないで生産者自身が乳製品をつくることです。 梶井 ナチュラルチーズなんてありませんでしたね。 山口 その後チーズの消費量はどんと増えました。今後も伸びると思います。蔵王のセンターは国産品の普及にいささか寄与できたと思っております。 ◆早かった情報収集 梶井 その後、山口さんは全中に戻られ、49年に全中常務、次いで専務と計15年間活躍されました。その間の一番のご苦労はやはりウルグアイラウンド(UR)対策ですか。 山口 米国やカナダの農業者団体へ出かけていって、自由貿易主義万能論は農業には当てはまらないなどとブチ上げたりしましたよ。またワシントンに全中の駐在員事務所を設けました。 梶井 米国の上下両院の農業委員会の議論を聞いて問題点を把握する機能を持っていたのは全中の駐在員だけだという話を聞いたことがあります。ロビーストも活用していましたね。 山口 外務省には困りますね。 梶井 情報収集といえば経団連についてはどうですか。 山口 例えば小島正興さんとか諸井虔さんといった財界人とよく話合っていたので経団連の動向は知っているつもりでした。 梶井 小島さんは以前からよく「私たちは食糧難時代を経験してきたが、それを知らない世代が経団連幹部になってくると農政への風当たりも変わってくる」とおっしゃっていました。 山口 農政についての考え方で一致するのは無理だとしても、農業者の考え方は「こうなんだ」という迫力ある主張を絶えず財界に伝えていく必要がありますね。パイプ役として動きやすい立場にあるのは農林中金ですが…。 ◆結集力のカギは? 梶井 WTO対策にしろ規制緩和にしろ「ここのところは譲れない」という迫力ある主張が必要ですね。JA全国大会議案では「危機」が強調されていますが、ある程度は開き直りの論陣も必要です。 山口 最初にお話したオルグ論と関係しますが、職員対組合員という他人行儀な間柄ではだめですね。お互いになじまなくちゃ。損得の話の前になじむか、なじまないかの問題があります。 梶井 組織は人なりというわけですね。運動を組むにはまずなじむということですか。 山口 組合長がしっかりしている良い農協は職員の質が高く、従って結集力もあります。 梶井 最後に、山口さんが全中常務として最初に手がけた単協の全国連直接加入問題について少し触れて下さい。 山口 私は単協、県連、全国連の同時存在論に立ち、三者一体となった事業運営によるトータルメリットの拡大が加入実現の意義であるとしました。結局、組織決定は加入実現に向けての条件整備を検討するということで、その時は決着しました。 |
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(2006.10.4) |
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