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榊春夫氏・梶井功氏 |
地場販売の見直しが必要
◆制度依存が続く
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さかき はるお
大正8年愛知県生まれ。昭和21年東京帝国大学法学部卒。同年全国農業会に入会、23年全国販売農協連合会に入会、業務統制部、東京食品集配センター場長などを経て47年全国農協連合会総務部長、48年常務理事、55年全国農協中央会常務理事、58年農林年金理事長、64年退任。62年協同組合懇話会代表、現在は同会顧問。 |
梶井 東大法卒で農業会というのは珍しい。入られたいきさつをお聞かせ下さい。
榊 終戦後、復員してすぐ人に誘われましてね。東大の先輩の小林繁次郎さんが農業会本部の米穀局長をしていたことにも魅かれて入会しました。農家出身の私にふさわしい仕事だという思いもありました。
梶井 最初はどんなお仕事でしたか。
榊 全国農業会東海北陸支部・開拓課に配属され、クワやカマなどを開拓農家に供給する仕事でしたが、コークスがなくて鉄が打てないため、まずはコークスを調達して鍛冶屋に渡すことに汗をかいた思い出があります。
梶井 農業会が解散となって昭和23年に全販連へ移られましたが、その時は?
榊 赤字農協を救済する再建整備法に沿って小林さんは「農産物の買い取り制度はだめだ。通年計画販売をするには組合員から無条件で販売委託を受ける体制が必要である」と無条件委託販売制度を実施されましたが、私はそれを推進する部署で働いていました。
梶井 無条件委託・系統全利用・現金決済の系統事業モデルがその推進の結果としてつくられたのですね。それが今、JA事業運営の最大の問題点だと一部でいわれていますが、省みていかがですか。
榊 この事業方式があの段階の系統全体の大赤字を解決した功績は、正当に評価されるべきです。が、いささか“あつもの”にこりすぎた面のあることは認めざるを得ません。計画販売を掲げながら、その実を挙げるようなことになっていない点や地場販売などは見向きもしなかったことは問題でした。
無条件委託に続いて制度的な裏づけを持った共同販売が大きなテーマになったことも関係しています。米はもちろん直接統制、麦も間接統制の時代ですから、いずれにしろ統制によって共販事業は進むのだという考え方でした。そして甘味資源・イモ類・でん粉などに価格安定制度ができました。
梶井 農産物価格安定法ですね。
榊 それに乗っかって政府への販売ないしは制度にのっかった販売政策が事業の根幹を成す体制になっていきました。
◆団地づくり進む
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梶井功東京農工大名誉教授 |
梶井 26年・27年ごろは食料需給が多少緩んできましたが、まだ安心はできない。だから統制撤廃への不安をなくす措置として安定法をつくり、麦は政府が一手に買い上げるという制度をつくった、あれは当然の措置だったと思います。
榊 当然であり、これが戦後の食糧事情の改善、ひいては戦後復興に非常に有効に機能しましたね。
梶井 一方、農協はもっぱら統制経済の下請機関としてやらざるを得なかったのですが、本来の農協運動からいって、おかしな体質にしてしまったと批判する人もいますが…。
榊 それは後からいえることであって、あの当時としては制度に寄りどころを求めなければ立派な共販なんて行えるような状態ではなかったのです。
しかし制度に頼らざるを得ない体質の根には産業組合の販売事業から続く伝統的な欠陥もあったと思います。
典型的なのは国家専売に対する葉タバコ生産者や蚕業資本に対する養蚕農家の隷属関係ですが、そうした中で産業組合は御用組合といわれもしました。戦後の農協運動の中ではそうならないようにということもずいぶん議論はされたのです。
話は飛ぶようですが、その後、大型店が増える時代となり、青果関係では卸売市場の荷受けの御用組合から脱皮するためにと30年代半ばから団地化対策が強力に進められました。これは自主的な共販運動としてきわめて有効な政策でした。
梶井 基本法の選択的拡大政策では産地化という意識は弱かった。それに対し、まとまりを持った産地形成をということでしたね。
榊 一方では市場制度の整備が進んだため大量生産の団地をつくって複数の市場に対応しないと共販のうまみが出てこないという事情もありました。
30年には米の予約売渡制度ができました。後には自主流通米制度に発展していきましたが、そのねらいは自由な共販の思想を生かした事業が統制下でどこまで実現できるのかという実験的な意味もあり、結果として統制制度をかなり順調に長生きさせる決定的な要素になったと思っています。
◆地場需要に着目を
梶井 生産面では団地づくりがすすんだのに単協の販売力のほうは強くならなかった。その理由は主力商品の米麦が食管法依存体質だったからだといえますか。
榊 それもあります。しかし品目別に見ると畜産は青果よりも早く自主的な販売制度へと踏み出しています。
乳製品にしろ鶏卵にしろ、優良種と、それに相応した飼養技術の導入などで畜産は商社や加工メーカーとの提携が早く進み、それが共販のよりどころの一つとなりました。
梶井 ところで以前、「系統販売事業の再建は地場販売から」という提言を本紙に書かれていましたね(平成8年1月8日号)。これは多くの人に読んでほしいと私は思います。
榊 いやいや恐縮です。中央卸売市場を通じた流通を主流とする青果物産地は地方の需要に目を向けなかったし、今も向けていないことを問題にしたかったのです。特に地方中核都市市場を大事にすべきで、大事にすればそこから多品目恒常供給のための生産対策、JA間協同の重要性が意識されてくることを強調したい。
もう一つ、産業組合当時は、集荷した農産物を相手に渡せば、それで販売は完了でした。今はそんなやり方では事業が成り立たないと思います。生協や卸業者、加工メーカーなど需要サイドとの提携に踏み込んだ販売戦略・戦術を協同組合組織として、ぜひ考え直してほしいですね。
農協の系統販売事業を総括しますと、不幸なことにわれわれは気付かぬ間に、市場における供給サイドと需要サイドの間に強固な障壁を作ってきたのではないでしょうか。このため販売事業の重点が集出荷機能に片寄り、販売機能の充実をさまたげてきました。この事実が系統販売事業の慢性的赤字体質の原因となっているのではないでしょうか。
一方、業界内では各企業ともはげしい競争を余儀なくされているわけであり、生産者団体との提携で、より有利販売ができるといった共通の利害関係を抱えています。
そこをねらって、より消費者に接近した販売活動を展開する必要があります。売り手と買い手は敵対関係などといわれたのは昔の話です。資本金融関係、人的関係、物流関係等を含めた幅広い協力体制をめざし、かつ主体性を堅持した戦略戦術が必要です。
◆販売責任を持て
榊 需要サイドに踏み込んだ販売事業に向けて私は青果物などを扱う全販連の生鮮食品集配センター設立を企画し、43年に戸田(埼玉県)に第1号をつくり、次いで大和(神奈川)、摂津(大阪)にもつくりました。
梶井 榊さんは戸田の初代場長も務められましたね。
榊 はい。そして3センターはせり売りによらない予約相対取引に踏み切りました。これをきっかけに今では中央卸売市場でもせり売りが減って6割以上が相対販売じゃないですか。果物では市場外流通が相当増えています。
梶井 そうですか。私はまた大手量販店の影響で相対が卸を始め、増えていったのだと思っていました。
榊 確かに量販店への対応はせり売りではだめだろうと考えてセンターをつくったのです。当初は卸売市場法違反だと反発を受けましたが、農水省が支援の予算までつけた新規事業でありましたから、やがて反対の声も消えました。
梶井 そういうご経験から見て今の単協レベルでの販売事業の問題点はどこにあると見ておられますか。
榊 米の販売にしても中央の市場ばかりに目が向いていますね。青果物にしろ畜産物にしろ、もっと地方の需要に対する取組みを早急に再検討する必要があります。
特に青果物では中央卸売市場を経由して地方市場に流れていく、長い流通ルートの不経済は是正しなくてはなりません。
地産地消が叫ばれ、ファーマーズマーケットも増えていますが、農協としては売場の提供と代金決済事務の引き受けにとどまっており、値付けや搬出入などの販売行為は生産者任せです。農協が販売責任を持つような取組みにするためにはどうすればよいか、という基本的な問題点が挙げられます。
また米の需給調整は生産者の責任であり、政府としては責任を負いませんという体制になりましたが、それに対して農協は「売れる米を作ろう」と生産者にいっています。
◆「売れる米」とは?
榊 では「売れる米」とは何か、農協の販売責任なしに、そんなことがいえるのかという疑問が湧いてきます。“この米を作れば、ここへ、これだけ売れる”という裏付けをもった指導があってこそ初めて需給調整は成り立ちます。
需要サイドとの提携協力関係を確保しないと価格競争、過剰時代では値引競争ばかりが手段になってしまいます。
とにかく需要・消費サイドに踏み込まずに味方同士で産地間競争だけをやっているようなことでは、とても共同販売の態にはならないと思います。
梶井 榊さんは混米についても積極的な提言をされていますね。
榊 昔から年間を通じて安定的に米を供給するためには混米は避けられない加工なんだと、米流通に携わっている人はみんなが知っています。知っていながら産地ブランドだけで取引しているところに今の米流通のごまかしがあります。
産地間競争の激化によって産地銘柄区分は細分化が進む傾向にあります。消費者に通年一定銘柄の供給を保障するためには、出来秋に相当量を買い付けるか、産地との特約関係をもつ必要があります。それができなければ需要サイドを重視した混米のスタンダード化はさけられません。
正直商品の確保を確実にするためには、消費者と生産者が混米ブランドで合意できるようにする必要があります。
梶井 消費者参加のブランド格付委員会を作ったら、という提案でしたね。それも含めて生産者と消費者の連携についてはいかがですか。
榊 生産者は消費者でもあるわけですが、戦後の協同組合のあり方では生協、農協、漁協が分離され、縦割りの弊害もあるんじゃないかと思います。見直しが求められています。
最近産直などで生協との交流が深まっていますね。なかには産直の枠が広がって生協組合員のための家庭菜園化指向も見られます。経済的関係にとどまらず、レジャーや文化面にまで交流が深まっているところもあります。一種のコミュニティを形成する可能性もある。地場市場を重視すべきことをさきほど指摘しましたが、そうなれば生産計画にも地場の消費者の参画を求める必要がありましょう。地域生活者協同組合としての活動を考える必要があるのではないでしょうか。
梶井 地域で生活しているという側面では農業者も非農業者も一緒ですからね。
榊 課題は地域社会をどう守っていくかです。農地の反復再生利用を確保するためには地域社会の連帯協力による農地活性化が不可欠です。全中の資料には20%の農家で農産物販売額の80%をカバーしているなどと専業農家の育成に都合の良い数字が出ていますが、農業政策はやはり地域社会全体をとらえたものが必要です。市場サイドから見ただけの農産物対策ではまずいと思います。
◆改善の成果積み上げて
梶井 あの20%80%という数字は05年センサスの数字を使っていますが、それを積み上げて計算してみると農産物販売額は6.5兆円くらいにしかなりません。経済計算でも8.5兆円あるわけですからセンサスの数字自体が問題なんです。
農地面積の半分以上は、新しい施策の対象外の人たちが耕作して農産物を供給してくれています。その人たちを無視する施策は問題だと思います。
最後に何かご提言があれば一言お願いします。
榊 例えばトヨタ自動車のカイゼンには長い間の商品性向上の努力の積み上げがあります。強固な系列販売の組織体制があります。JAグループの販売事業にもそうした細かい努力の積み上げが必要です。一つ一つ改善の成果を挙げていってほしいと思います。