◆当てにならない安定輸入
食料供給を国内生産、輸入、備蓄を“組み合わせて行”うのは、平時の仕組みとして誰しも異存のないところであろう。が、問題は“不測”の事態下で食料危機が起きたときも輸入や備蓄などに頼れるのか、ということである。
この点にかかわって、もう20年近く前になるが、ガットUR交渉最中の1989年に、日本政府が各国に示した「農業交渉グループにおけるステートメント」を想起すべきことを関係者、特にこれから交渉に当たる政府関係者に望みたい。ステートメント全文を掲げたいところだが、ここではこのステートメントに関連して書いた拙文で代用させていただきたい。拙著「WTO時代の食料・農業問題」(家の光協会03・4刊)中の一文である。
“ウルグアイ・ラウンドでわが国が主張したのは、各国がそれぞれに食生活の軸としている基礎食料については、特別の国境措置を認めるべきだということだった。日本政府は、89年9月に各国政府に配布した「農業交渉グループにおけるステートメント」でその考え方を明確に述べたが、それには、
「特に国民食生活に不可欠な食料の安定した供給を確保することについては、食糧安全保障という観点から重大な関心を有している」とし、「一般に食糧安全保障を確保するための手段としては、(1)国内生産を維持すること、(2)実際の生産を行わず、潜在生産力を保持すること、(3)備蓄を確保すること、(4)安定した輸入を確保することなどの議論がある」が、(2)、(3)、(4)は「中長期的な食糧安全保障の基本的な措置としては選択し難く」「所要の国内生産水準を維持する必要がある」と書かれている。
この考え方は、今後とも堅持されるべき考え方であり、この線での主張を今後ともWTOの場で続けていく必要がある。
とくにこのステートメントは(4)の安定輸入論について、仮に安定輸入契約が結ばれたとしても「食料が危機的に不足し、輸出国においても自国民への供給に影響するような事態が生じないとも限らず、そのような場合には輸出国からの如何なるコミットメントでもその担保を確保し難くなる状況があり得るのではないか」と指摘していた。輸出国に輸出制限の権利を認めたガット規約第11条2項a―それはWTO規約にも基本的に引き継がれている―があり、かつアメリカに輸出農産物を第3の武器とすることを公言しているに等しい輸出管理法があることを念頭においてであること、いうまでもない”(前掲書72〜73ページ。(2)、(3)、を“選択し難”いとする理由については同書127ページを見られたい)。
◆今こそ、「日本提案」に立つとき
このステートメントを出した1989年から7年後の1996年、ローマでFAO食料サミットが開かれるが、その際、同じくローマで開かれたNGOフォーラムは、それぞれの国が、国民食料を安定的に確保するために、自国の農業資源を有効に活用して持続可能な農業生産を維持する「食料主権」をもつことを国際的に承認し合うべきだと決議した。食料安全保障のために、それぞれの国が必要とする“所要の国内生産水準を維持”できるような国際規範をつくるべき、というステートメントの主張は、まさしく「食料主権」の主張に連なる主張としていいと私は考える。
いま交渉途上にあるWTO農業交渉でも、基本的にはこの主張が継承されている。今次WTO農業交渉の開始を告げることになった01年11月、ドーハ閣僚会議に先立つ2000年12月に日本政府がWTO事務局に提出した「WTO農業交渉日本提案」が、その前文で“多様な農業の共存”が「日本提案」の“哲学”であることを強調し、その“哲学”に基づいてWTO農業交渉で追求する5項目のうちの第2項目を“各国の社会の基盤となる食料安全保障の確保”にしていることがそれを端的に示している。そして、この際はその主張が“我が国国民の総意に基づくものである”としていることを強調しておきたい。
「日本提案」はまだ撤回はされていない。であるのに、他国に食料安全保障を託してよしとする政府間合意文書をつくったのである。問題といわなければならない。食料安全保障を他国との協定に求めるのは“多様な農業の共存”の“哲学”に基づいて“各国の社会の基盤となる食料安全保障の確保”を“追求”することと矛盾する。それは、“我が国国民の総意に基づくもので”はない。
以下は蛇足だが、食料安定保障に関してのブッシュ大統領語録を紹介しておきたい。さまざまな農業者の集会で、次のような発言を大統領はしているという。
“食料自給ができない国を想像できるか、それは国際的圧力と危険にさらされている国だ”
“食料自給は国家安全保障の問題であり、米国国民の健康を確保するために輸入食肉に頼らなくてよいのは、何と有り難いことか”(鈴木宣弘編「FTAと食料」筑波書房、05年刊、71ページ)。
“まるで日本を皮肉っているような内容である”と鈴木教授はコメントしているが、同感である。
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