◆はじめに
前回取りあげた直接支払い政策は、農産物市場を完全に市場メカニズムに委ね、足りない分を直接支払いするという新自由主義、規制緩和政策の一環である。そして規制緩和がもたらしたのは世界的・国内的な格差拡大であり、人間の商品化であり、安全性の喪失だ。これらに関する新著の紹介をもって規制緩和の経済学に代えたい。
◆内橋克人『悪夢のサイクル』(文藝春秋)
内橋は1995年、文春編集部等と組んで『規制緩和という悪夢』を著し、規制緩和が日米にもたらした実態なかんずく航空業界における規制緩和・新規参入・過当競争による航空機事故や労働破壊の実態を暴き、日米支配層を震撼させた。その内橋が同じ文春の下山進(『アメリカ・ジャーナリズム』丸善ライブラリー)等と組んで「悪夢」が「正夢」になった今日の「分断させる社会」を見据え、その源流に遡航したのが『悪夢のサイクル』である。
かつて航空界に起こったことは、今やタクシー・トラック業界に起こり、規制緩和(新規参入、需給規制、運賃)により41道府県でタクシー運転手の年収が生活保護費以下になり、交通事故が増加している。規制緩和論者は「事後チェック体制」のみを強調するが、事故が起こってから(事後)では取り返しがつかない。この点、株式会社にも農地を所有させ、問題があったら取り消せばよいといった農地の事後規制論が主張されたのが記憶に新しい。
規制緩和というルール変更を可能にした背景には、審議会や首相の私的諮問委員会を隠れ蓑とする政策誘導、民意を切り捨て官邸権力を強める小選挙区制があった。そのチャンピオンが小泉であり、その果てが郵政民営化、イラク派兵、憲法・教育基本法改悪だ。
内橋は規制緩和の源流をフリードマン等のシカゴ・スクールに求め、日本のシカゴ・ボーイズたる竹中平蔵や宮内義彦のプロフィールに迫る。宮内は小泉に与えられたポストを利用して業界・自社利益を露骨に追求し、協同組合を次のターゲットとし「民間大資本のお狩り場」にしようとしている。国家権力を通して私益追求する手口もアメリカそっくり。
◆投機マネーが引き起こす循環
内橋が新著で強調するのは、これらの大本に投機(ホット)マネーがあるという点だ。マネーとはアメリカが唯一の基軸通貨国である特権を利用して垂れ流した過剰ドルであり、それが利益を求めて世界中をかけめぐるために金融・資本自由化、規制緩和を求める。
内橋は中南米のチリとアルゼンチンを例に取り、<マネーの流入→バブル→通貨の割高化・債務累積→マネー流出→リストラ・資本自由化→マネー再流入>というマネーが引き起こす「悪夢の循環」をえぐり出す。そして新自由主義のもたらした「悪夢」をさらなる新自由主義で乗り切ろうとして累積債務に陥っているアルゼンチンと、政権交替でその再規制に乗り出し循環を断ち切ったチリの明暗を対比する。さらにイラク戦争はイスラムの反マネー主義を打ち砕き、イスラム圏の市場化を暴力的に追求したものだと喝破しマネーと戦争の親和性を指摘する。
このような悪夢・「市場の失敗」に対して、内橋は「市場を使いこなす」道を説き、そのためには市場の再規制(リレギュレーション)・市民社会的制御が国内的にも国際的にも不可欠だとする。そして最後に「勇気のない賢さは屁にもならない」というケストナー「飛ぶ教室」の言葉を引き、賢い者が勇気をもって発言していくことを呼びかける。内橋の持論については本紙06年10月10日号の鼎談も参照されたい(記事参照)。
◆中野麻美『労働ダンピング』(岩波新書)
<規制緩和→非正規雇用化→格差社会化>に迫るのが本書だ。それは1986年の男女雇用機会均等法と労働者派遣法から始まった。それが女性だけでなく若者を中心に男性にも一挙に拡大したのは1995年の日経連の「新時代の『日本的経営』」が労働者の基幹・専門職と並んで1〜3ヶ月の短期契約で定型業務を行う「雇用柔軟型」を打ち出してからだ。
さらに99年に法改正で派遣が指定業務だけでなく原則自由化され、製造ラインの組み立て作業等にも普遍化した。派遣契約は、実質的に受入企業が労働者を直接選別し、雇用・労働条件を決めてしまうが、形式的にはあくまで派遣会社と受入企業の商取引契約である。労働法の対象なら競争抑制的に働くが、商取引なら独禁法での競争促進的になる。そこで一挙に人間労働が「たんなる物としての商品」に転化し、物のダンピング競争が始まり、本来は率先して規制に取り組むべき官庁が競争入札を行う。派遣は受入企業が直接指揮命令するので労働法上の責任を伴うが、請負となればそれも請負会社に押しつけられる。そこで請負に偽装した違法派遣が製造業トップ企業まではびこる。請負の究極はインデペンデント・コントラクターという名の個人事業主。これだと全責任は労働者個人がかぶる。
このような非正規労働力の増大により正社員もまた「値崩れ」を起こし、成果主義という名の実質的な「請負化」が始まる。中野はそれを「雇用が融解する」「労働の液状化」と表現する。さらに解雇の金銭的解決(カネさえつめば解雇できる)や残業代ゼロ労働を導入するホワイトカラー・エグゼンプション(規制除外)の導入が提起されている。中野はこれからの最重要問題はアルバイト派遣、日雇い派遣、登録型派遣だという。
◆「労働ビッグバン」の正体
04年に派遣期間の1年から3年への延長、07年3月からは製造業でも3年へ延長されるが、期間を過ぎれば企業が直接雇用を申し込む義務が生じる。それに対して企業は義務を逃れるために3年未満の短期雇用を好むから労働者のためにもならないという口実で、直接雇用義務を撤廃しろというのが経済財政諮問会議の「労働ビッグバン」提案であり、厚労省もそれに乗って法案準備中だ。
雇用の調節弁としての有期雇用の永遠化であり、「派遣は一生派遣で働け。それがあんたのためだ」というわけだ。その急先鋒の八代尚宏は、先に規制改革推進会議で農協攻撃の先頭にたった人物だ。
中野は、問題の解決には「隠された差別を可視化する」必要があるとする。その一つは女性差別である。「男は仕事(長時間労働)、女は仕事と家庭(家計補充的賃金)」の「男モデル」から、パートタイムかフルタイムかは労働時間の違いだけで賃金を平等にし仕事と生活のバランスを図るオランダ型の「女性モデル」への転換を説く。
「労働ダンピング」というとあたかも労働者が労働力をダンピングしているようだが、そうではなく派遣企業や派遣先が、派遣契約により労働を単なる物的商品化し、自由競争にさらしてダンピング競争しているという意味だろう。
本来、労働力は商品化されるべきものではない。にもかかわらず資本主義は商品化した。そこで資本主義といえども、圧倒的な強者・企業と弱者・労働者の関係を踏まえて労働組合を法認し労働法制をそれなりに整えてきた。その資本主義の全歴史をチャラにするのが労働規制緩和の狙いだ。
◆スティグリッツ『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』(徳間書店)
二人の日本人が追跡してきた問題をグローバル規模で追跡するのがスティグリッツだ。彼は言う。問題はグローバル化自体がではなく、その進め方(形)だ、と。そして形を作ったのは政治だ。現実のグローバル化は経済政策・文化のアメリカ化であり、英米自由主義モデルの押しつけだ。しかし市場経済・資本主義の形は一つではない。そこには選択があり、選択は政治の問題、政府の問題である。
ノーベル経済学賞をとった彼の不完全情報理論によれば、市場における情報が不完全な場合は制限なき市場主義は経済効率の向上と結びつかない。そこに政府の役割がある。政府にとって最も重要な資源は国民であり、政府は開発促進(産業政策)、貧困層保護、セーフティーネット、銀行システム・証券取引所の健全性、独占・寡占を排除する競争政策、環境問題、基本的教育、科学基礎研究の分野で役割を発揮すべきである。内橋は国家第一の考えに反発し「市民社会的制御」をいうが、そこは市民運動家とクリントン政権の要人の違いで、言っている内容に大差はない。これでは日本経済の将来もないが、「あとは野となれ山となれ」だ。
◆政治のグローバル化
現実のグローバル化は失敗した。多国籍企業の利益がアメリカの国益、アメリカの国益が世界貿易システム全体の利益とすりかえられた。不安定な投機マネーに生身をさらして経済の荒廃を招き、貿易自由化は賃金低下、とくに非熟練労働力の賃金下落(中野も非正規労働力は集団的規制が働かずグローバル化やIT化の影響を受けやすいとしている)、失業率上昇、国家主権の喪失を生んだ。米欧の巨額の農業補助金が小規模農家・途上国農家を駆逐し、多国籍企業は独占とカルテルという反競争的行為に励む。
なぜグローバル化は失敗したのか。経済のグローバル化に政治のグローバル化が追いついていないからだ。現行の国際経済機関はガバナンスと民主主義が欠如している。そこから彼は開かれた民主的なプロセスをもつ強力な国際機関、国際的な共同行動の必要性を訴える。
幻の世界連邦を夢見ているように聞こえるが、本書の真骨頂は、公正な貿易システム、私的財産権、天然資源、環境問題、グローバル独占の排除、債務危機への対策、「世界貨幣」による外貨準備金制度の提案など今日の焦眉のグローバル課題に対して、自らの経験を踏まえて具体的な解決策を提示している点である。
要するに規制緩和、格差社会化、非正規労働力による社会破壊はグローバルな現象であり、グローバル化の誤った進め方がそれをもたらした。それを正すのは一国、国際レベルでの政治であり、民主的な政府・国際機関である。
なお厖大な実証研究を踏まえて格差社会化の論点をトータルかつ説得的に論じた新著に橘木俊詔『格差社会』(岩波新書)がある。
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