◆問われるアイデンテイティ
財界からの農協攻撃、経営危機や組織再編のなかで「協同組合とは何か」が根底から問われている。そのなかで農協の株式会社化が問題視されている。機械的な二者択一を迫る気はないが、協同組合と株式会社の異同を明確にすることは協同組合のアイデンティティを確立する上で欠かせない。
◆営利を目的としないか
農協法第8条は「組合は、その行う事業によってその組合員及び会員のために最大の奉仕をすることを目的とし、営利を目的としてその事業を行ってはならない」としているが、この規定は曖昧だ。
第1に、株式会社との違いは「営利を目的」とするか否かになるが、肝心の「営利」の定義がない。およそ市場社会、資本主義の世の中で経済事業を営む企業体は、株式会社であろうと協同組合であろうと、利潤をあげなければ遅かれ早かれ淘汰される。だからここでの「営利」とは利潤や「剰余金」の存否ではない。
「営利を目的としない」とは法のなかの規定では剰余金の出資配当を制限する(年8%以内)ことに過ぎない(52条)。つまり利益配分の制限であって、営利追求自体は制限されない。そこで「最大の奉仕」を第一の目的にとしろという形での精神的制限規定が出てくるわけだ。
しかし第2に、このGHQ持ち込みの「最大の奉仕」も間違っている。協同組合は経営側が組合員に一方的に「奉仕」するのではなく、組合員が経営に参画して「協同」するものであり、「奉仕」といった途端に単なる「顧客サービス」に落ち、「メリット還元さえすればいい」という昨今の風潮、「メリット還元」の一人歩きが始まる。
◆組織・運動と事業・経営の矛盾的統合
資本主義経済において事業を行う経営体は資本主義のメカニズムに従うしかない。その点では株式会社も協同組合も変わりはない。
違いはその先にある。協同組合は、組合員組織体(アソシエーション)が、この資本主義的経営体(エンタープライズ)を、組合員の「共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願望を満たすために」、「共同で所有し民主的に管理する」する点に種差がある(ICAの協同組合の定義)。言ってみれば協同組合とは利益に目がくらんで暴走しかねないじゃじゃ馬を素人のカウボーイがよってたかって乗りこなすようなものだ。
組織体は民主主義と公平を求め、経営体はマネジメントと効率を求める。2つのベクトルは異なり、時には矛盾する。それをなんとか統合しようとする矛盾統合の無限の努力のうちにこそ協同組合のアイデンテイティがある。
矛盾的統合のためには、入り口の意思決定において1人1票制をとり、出口の利益配分において出資配当を制限する。また真ん中の経営体においても、営農生活指導を通じて組合員協同の事業化を図り、市場の売れ筋ではなく「組合員の声」を聞いて「市場の内部化」を図り、株式会社のような所有と経営の分離ではなく組合員の経営参加を促す。
実はそこから、マネジメントと効率性の点で協同組合の株式会社に対する数々の「遅れ」が生じる。意思決定手続きの複雑さ、もたつきと遅れ、一部組合員の声に基づく仕入の偏り、素人による経営の引き回し、トップマネジメントの不在、利潤最大というインセンティブを欠くことによる競争マインドの喪失。
資本主義的メカニズムの効率作動の点では、株式会社の方が進んでおり、協同組合は遅れている。この欄で前にもそう書いてだいぶ叱られたが訂正はしない。ただし急いで付け加える必要がある。協同組合とは、そういう「遅れ」を補って余りある何者かであらねばならぬ、「後なる者が先へ」という逆転のドラマを秘めていなければならぬ、と。
◆実態としての株式会社化
だから手綱を緩めれば協同組合はいつでも株式会社化する。このような協同組合の株式会社化は半世紀近く前から危惧されていた。高度成長を背景に当時の農協は員外利用や准組合員の制度も活用しつつ信用共済、生活事業への傾斜を強めていった。しかし意思決定・経営参加権をもたない准組合員等を対象とした事業展開は、市場で不特定多数の顧客を相手とする株式会社と同じ行動様式ではないかという批判を生んだ。そういう形で信用共済事業のウエイトが高まれば、農協が行う営農指導や経済事業も信用共済のための顧客サービスに過ぎなくなる。
国鉄がJR、専売公社がJTを名乗ったのは分割・株式会社化に際してだ。その伝でいえば農協が「JAと呼んでネ」というのは「KK(株式会社)と呼んでネ」というに等しい。
◆制度としての株式会社化
制度としての株式会社化も進んでいる。それは農協の子会社・「協同会社」の増大だ。
子会社化は当初は連合会等の工場や物流といったバックヤード的な分野における労務管理問題から始まった。第二次高度成長期以降は単協の拠点型事業(農機、SS、Aコープ、物流拠点等)
や生活関連事業等の競合業界に農協が新規参入する際に競争条件のイコールフッティング追求の手段とされた。そして今日の組織再編期には端的にリストラ合理化、あるいは単協・県域を越えた広域垂直事業統合の手段として追求されている。
各種報告をみると、株式会社化の結果として、意思決定の迅速化、本業と異なる事業展開、職員固定・共済等の一斉推進除外による専門化、就業・処遇柔軟化による従業員インセンティブ、人件費抑制等があげられている。
その限りでは株式会社化大いに結構ということになる。そこで協同会社は親組合の完全支配下にあるから問題ない、あるいは協同会社に対する親組合のガバナンスをどうするかが課題だとされる。既に協同組合化したところでのそのような努力は努力として、では株式会社化自体に問題はないのか。
◆協同組合アイデンティティの危機
少なくとも一般論として今それを強調するのは問題だ。なぜなら現在の経済事業改革の一環としての子会社化は、端的に人減らしや正規職員の非正規職員による代替を通じた人件費抑制のリストラ路線が圧倒的だからだ。
「子会社化を実施した多くの単協では、『それなしには当該事業の存続は困難だった』との認識であり、『後ろ向きの会社化』と非難されるのは酷」(増田佳昭)という声もある。これではそもそも当該事業分野は協同組合形態に不向きであり株式会社形態の方が有利だということになりかねない。そうだとすれば協同組合としては当該分野から撤退した方がよい。それでは組合員利便性が確保できないというなら協同組合本体を株式会社化した方がよい。
前述のように単協や県連を越えた広域事業展開のための株式会社化も多い。しかし生協陣営は単協の県域規制の中で、県域を越える事業展開を協同組合の事業連合会の形態で追求し、農協のように株式会社化はしなかった。そもそも広域化・多様化・アウトソーシング等の現代的課題への対応を専ら株式会社形態に短絡させ、「それなしには存続は困難」とするところに、今日の農協の協同組合としてのアイデンティティの危機がある。
法人税の軽減措置を受けている協同組合がどんどん子会社を作り、一般の法人税率に従うというのもおかしなもんだ。どうせ赤字で払わないから同じというなら巨大企業と同じだ。
協同会社が税金を払えるほど順調なら、いずれ資本蓄積分が当初出資金に取って替わり、プロパーの従業員も増え、資本として自立する。またガバナンスがいくらしっかりしていても、子会社経営への自然人組合員参加はありえない。だから利用者を組織しろと言う声もある。それはそれで大切だが、だったらなぜ協同組合に留まらなかったのか。
他方で子会社が農協にとどまる限り、農協本体は持株組合化する。ヨーロッパの「オーナーズ・ソサエティ」化だが、持株組合化すれば、組合員の事業への関わりは極く間接的となるから、実質は農協の持株会社化といってもよい。かくしてミイラ取りがミイラになる。
◆まとめ
農協は制度としての農業協同組合(職能組合)の建前を堅持しつつ、実態として限りなく地域協同組合化・株式会社化していった。この制度と実態の乖離を繋いだのは准組合員制度だが、その准組合員が過半数に達しようとする今日、これ以上の取り繕いは困難だ。
農協は制度としても准組合員を正組合員化するという意味での何らかの地域協同組合化をせざるをえない。しかるに地域協同組合の事業の一つの柱である生活事業等において株式会社化を進めているのでは、地域協同組合化=株式会社化という新たな矛盾を生む。
先に「撤退した方がよい」と言ったがそれは本意ではない。地域協同組合らしい事業分野で組合員の声を聴く、市場の内部化を果たす、組合員の経営参加を促すといった協同組合的な事業方式の優位性を打ち出せるかどうか。そこに今日の農協の協同組合としてのアイデンテイティがかかっている。これから子会社化を検討するところはよく考えて欲しい。
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