◆はじめに
最終回として私なりの農協へのメッセージを残したい。それは「農協にとって地域とは何か」である。とくに広域合併農協についてはこの問いが切実だ。農村の「地域」としてはまず約14万弱の「むら」(農業集落)がある。それに対して近世の「村切り政策」で「村請制」すなわち徴税単位としての「村」ができた。平均して2つの「むら」が1つの「村」にくくられた。これがいわゆる藩政村である。「むら」が基礎的な生産・生活の共同体だとすれば、藩政村は政治や行政の単位であり、近隣農村や「お上」との交渉単位であり、一定の「自治」をもった。さらに村々入会や水利をめぐる組合村も構成された。特定テーマに関する連合体である。
藩政村は明治20年代の合併で明治合併村、「旧村」になった。産業組合や学校区と重なる範域であり、農協の支所が置かれたところだ。それが昭和30年代の合併、そして平成の合併によりさらに統合されていった。
◆協同の範域と農協
行政の単位は藩政村から平成合併市町まで変遷したが、「むら」は歴史貫通的に不変だった。その「むら」を産業組合や農協は基礎単位として大切にし、今日でも集落座談会がもたれている。
そして農協の範域は概ね行政の自治単位と歩調を合わせて拡大してきた。それが産地の形成・広がりの地域単位でもあった。しかるに平成合併に至りこの関係が崩れた。自治体は大合併したといっても1804だが、農協は812。つまり今日の農協は平均して自治体の規模を超えてしまった。いいかえれば依拠すべき歴史的な地域単位からはみだしてしまった。前代未聞の事態である。そこで問われるのが「農協にとって地域とは何か」である。
他方、生協はどうか。生協法が単協を県域内におしとどめるなかで、生協は県生協に合併するとともに、県を超える事業規模を求めて広域事業連合をつくってきた。それが今回の改正で隣接県にまたがる単協展開が可能になった。さてどうするか。首都圏の2つの事業連合グループが単協統合すれば、500万人、7000億円の単協が出現する。規模こそ違え、生協もまた行政単位、歴史的な地域単位から外れる点では農協と同じ道をたどる。
農協は金融事業の適正規模、生協はスーパーチェーンの適正規模を求めた結果だが、それは地域をいわば自らの商圏戦略地域と位置づけることであり、生産や生活の協同の地域単位から乖離していこうとするのが今日の協同組合の姿ではないか。
◆地域再生の担い手
なにも行政の範囲と同じでなければならないわけではないが、1つの問題がある。今日、グローバリゼーションが地域を直撃する下で地域の崩壊が起こり、地域再生が焦眉の課題になっている。その場合に地域を商圏戦略的にしか位置づけられない協同組合は、おそらく地域再生の担い手にはなれないだろう。
各地における地域再生の取り組みをみると2つの特徴がある。第1は地域にないものを追い求めるのではなく、「地域にあるもの」を見つめ直すこと、第2に「地域にあるもの」を活かすにあたっては地域の様々な住民組織が既存の政策、自治体、企業等を活用し、あるいは使い勝手のよいものに変えていく動きである。そこで問われるのは、そのような地域住民の期待に応え、地域再生に役立つ組織たりうるかである。つまり「地域にとって農協とは何か」であり、「農協にとって地域とは何か」である。
◆地域ビジョンの確立
そういう外向きの問題だけではない。農協自身にとって「地域とは何か」が問題である。広域合併農協が今いち合併の実をあげられない理由の1つは、「農協がどこに行こうとしてるのかが見えない」「何をやろうとしているのかが見えない」という職員や組合員農家のとまどいである。要するに農協の全体像とビジョンがみえない。
もちろん第24回農協大会はビジョン・戦略の策定、No.1宣言を唱っているが、そういうことを言いたいのではない。「農協にとって地域とは何か」を明確にしろと言いたいのである。それがひとりよがりにならないためには「地域にとって農協とは何か」という問いに積極的に答えるものでなければならない。それが合併農協の宿命であり使命である。
職員からは、農協の職場全体が見透せない、地域の農業や生活について議論する場や時間がなくなったという声も聞かれる。そこで「トップマネジメントなきトップダウン」が強まった。明確なビジョンがなければ、そうならさるをえない。あげくはリストラ的「改革」を猿がらっきょうの皮をむくように続けるしかなく、その果ては1県1農協である。そして県には道州制が迫っている。
◆支所統合と渉外対応
合併の軸は支店統廃合、残置支店の金融共済支店化、営農経済事業等の営農経済センター統合である。具体的には前述の旧村(明治合併村)規模の支所の間引きであり、営農経済事業の昭和合併の自治体規模への統合だろう。要するに前述の歴史的な「地域」からの乖離である。
当然に組合員の利便性は落ち、「おらが農協」意識は薄れる。要するに支店の廃止は、支店がなくなったこと自体と、残る支店が金融支店になってしまったこととの二重の打撃である。そこで補強策として採られたのが、金融共済や営農経済事業ごとの「出向く」体制、渉外担当の設置である。かくして合併農協の成否はこの「出向く」体制の確立如何にかかっている。
ところが多くの農協ではそれが確立しているとはいえない。事業との関連性、仕事の位置づけが明確でない、出向けといわれても要員削減の中でデスクワークや窓口対応もしなければならず、なかなか出向けない。
そこで課題は2つ。1つは、出向く体制を採るならとったで、中途半端な位置づけでアブ蜂取らずになるのではなく、徹底して出向くことを位置づけたらどうか。
第2に、しかし、出向く体制はどこまでいっても支店の廃止をカバーし切れないのではないか。出向く体制が専門別であるのに対して、支店が組合員にとって便利だったのは、それがワンストップショッピングの役割を果たし、支店に出向けばたいていの用が足りるという総合性があったからだ。とくに高齢化が進むなかで交通弱者にとってはそうである。
かくして必要なことは、支店なり営農経済センターなりに何らかのワンストップショッピングの機能を復活させることである。それが前述の「地域にとって農協とは何か」「農協にとって地域とは何か」の問いに対する1つの回答である。
支店統廃合は施設の遊休化をもたらす。そのような余剰スペースを地域に開放し、役立ててもらうのも1つの行き方である。自治体にしても農協にしても、スペースがだだっぴろくなって、照明等が間引き点灯しているのは、いかにもわびしい。
◆農的地域協同組合への発展
「農協にとって地域と何か」のもう1つの局面は准組合員問題である。准組合員は既に全国平均で45%に達している。正組合員数は複数組合員化の取り組みを除けば減る一方だから、早晩、非農家が過半を占めることになる。そこで組合員の過半を運営・経営への参加から排除したのでは協同組合とはいえない。フツーの株式会社が不特定多数の顧客を相手に商売するのと同じである。あるいは会員制の商売か。
准組合員の多さは農協事業が実態的に地域住民のものになっている現れでもある。このような事業実態を素直に反映しつつ、協同組合としての参加の実を確保するには、組合員資格から農家資格を外し、地域住民を広く組合員に迎えるしかない。
いわゆる地域組合化の道だが、かといって農協が農業の看板を外して生協になれるわけではない。生協は食の専門店としての店舗と個配に傾斜しているが、農村の実態に即したものではない。生協は、金融はやらないし、今回の法改正で単協が元請けとなった共済もできなくなった。
だから地域住民に自らを開放しつつ、かつ農の核心を維持する必要がある。食料自給率の向上、地産地消、食農教育、農村環境やアメニティ確保といった理念を地域住民とともに追求する「農のある地域協同組合づくり」がこれからの方向ではないか。それは総合農協の新しい「総合」の追求でもある。
最後に、焦眉の課題に逐われてあまり「経済教室」にならなかったことをおわびしたい。
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