微生物農薬を使用した病害虫防除は、環境に配慮した農産物づくりの取り組みとして各地に広がっている。なかでも宮崎県は微生物殺菌剤と昆虫寄生菌剤の利用量が全国一だ。野菜栽培実面積で約300haにまで普及している。県も微生物農薬による防除など環境配慮型の農法でつくられた農産物を「エコ」商品として認証、ブランド化して全国的に販売していくことをめざしている。
この防除体系への取り組みで有機野菜づくりへとレベルアップし新たに産地化しようというグループや、県の特産品の規模拡大をめざす生産者も生まれてきた。
安全・安心な農産物づくりはもちろん、労力の軽減や収量アップなど経営改善にもつながると生産者に元気を与えている。
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ハウスが広がる綾町の風景。微生物防除剤の利用は
県全体で約300haと全国一 |
「病害虫予防」が安全・安心な野菜生産と施設園芸経営の改善にも貢献
◆「病害が出てもあわてなくなった」
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ピーマンの生産者坂本敬則さん
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宮崎県国富町の坂本敬則さん(37)は25aのハウスでピーマンを栽培している。出荷期間は毎年11月から6月半ばまで。栽培期間中は病害虫の発生に神経を使う。
坂本さんは、3年前から天敵農薬やバチルス菌(バチルス・ズブチリス)を有効成分にした微生物殺菌剤ボトキラーを使用するなど、微生物農薬を組み合わせた防除に切り替えてきた。一昨年はコナジラミが大発生、それを機に昨年からは昆虫寄生菌殺虫剤も使用するようになった。
「予防的な散布で病害虫発生がある程度抑えられるので既存の殺虫剤、殺菌剤の散布回数がグンと減りました」。
定植後の殺虫剤、殺菌剤の散布回数は慣行栽培の半分以下になったという。これもバチルス菌をあらかじめハウス内に散布しておくことで、病原菌の棲み家やエサを奪ってしまうというボトキラーの効果。結果的に安全・安心なピーマンづくりにもなっている。
もちろん、栽培期間中にうどんこ病の発生がまったくないとはいえない。しかし、坂本さんは「病害が発生してもあわてなくなった。周囲に広がっていきませんから」。発生箇所の周囲がバチルス菌で覆われていれば感染の拡大が抑えられるのである。
「以前は病害虫については、とにかく発生してからの防除としか考えませんでしたが、今は、天敵が棲むハウス内の環境づくりが大切だと意識が変わりました」と坂本さんは話す。
◆微生物農薬は難題解決の切り札
微生物農薬は、減農薬栽培による安全・安心な農産物づくり、水源の保全や農作業者の保護といった環境・健康保全にもつながる防除剤だ。とくに昨年施行されたポジティブリスト制度に対応したドリフト(飛散)防止対策にも有効だと注目が高まっている。
しかし、宮崎県で微生物農薬が広く普及しているのは、既存の化学農薬では防除できない病害虫が発生しているからだという。県中部改良普及センターで微生物農薬を基軸にした総合防除を現場で普及し、現在は農政水産部営農支援課で広域指導担当主査の黒木修一さんは「環境保全型農業ありき、ではありませんでした。微生物農薬を使わないと病害虫を防除できないという切実な問題があったから。その結果として減農薬栽培につながったということです」と振り返る。
県内で問題となっているのは、ミナミキイロアザミウマとタバココナジラミ。いずれも果菜類の葉に傷をつけ生育障害をもたらす。薬剤抵抗性を持ち始めたため、防除効果のある化学農薬も限られてきたうえ使用回数の制限もあって、現場では有効な防除ができない状況になってきたのだという。いってみれば宮崎県全体の園芸の危機が出現したのである。
こうした難題を前に黒木さんたち普及センターでは微生物農薬による防除体系づくりに取り組み、商品化された微生物殺菌剤であるボトキラーを平成16年から活用して独自の防除体系を生産者に普及させてきた。
今、宮崎県が進めている微生物農薬を使った総合防除体系の概念は3階建て構造になっている(図1)。
◆防除効果を上げるための「下地」づくり
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県営農支援課の
黒木修一主査
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図1に示したように1階部分がボトキラーなど微生物殺菌剤だ。まずはボトキラーであれば有効成分のバチルス菌をほ場全体に棲みつかせる。これがこの防除体系の「ステップワン」である。
そのうえで昆虫寄生菌を有効成分とした微生物殺虫剤を使用する。これが2階部分。そしてさらに防除が必要な場合には3階部分である天敵農薬の導入をする。
この体系のなかでのボトキラーなど微生物殺菌剤の位置づけを理解するには逆に3階部分から考えたほうが分かりやすいかもしれない。
一般に天敵農薬は化学農薬(殺虫剤)に替わるものと考えられやすい。黒木さんたちが普及した際にも、生産者の受け止め方は、殺虫剤が効かなくなっているから天敵農薬を使用する、というものだった。しかし、ことは単純ではなく天敵農薬も完全な防除能力を持つものではない。そこで昆虫寄生菌を上乗せすることにしたのである。
昆虫寄生菌はカビの一種で害虫に寄生して増殖し害虫の体内にまでそのカビを広げる。いわば敵の内側に潜り込んで破壊する作戦である。しかし、「菌」である以上、他方で殺菌剤を使用してしまえば昆虫寄生菌も死滅してしまうことになる。したがって、昆虫寄生菌殺虫剤を利用するには殺菌剤の使用をできるだけ抑える必要がある。
そのためには病害をもたらす病原菌がそもそも棲んでいない環境をつくればいい、というのがこの防除体系のもっとも根幹にある重要な考え方だ。そして、その環境づくりをするのが1階に位置づけたボトキラーなど微生物殺菌剤の使用なのである。ほ場全体に「善玉菌」を棲みつかせ病原菌=「悪玉菌」が植物にとりつけないようにするという戦略だ。
「1階部分はいってみればこの防除体系の下地。下地がしっかりできていなければ体系は崩れる。つまり、防除がうまくいかないということです」と黒木さんは話す。現地で問題となっている黒枯病、褐斑病などの防除にも有効だという。
◆微生物によるほ場のメッキ
この防除体系は化学農薬と組み合わせることによってより効果が高まる。たとえば、殺菌剤を使えば有害菌を抑えることができるから有用菌であるバチルス菌の効果を安定させることになる。また、殺虫剤は害虫の血球を減少させるため、昆虫寄生菌に対する耐性が低下する効果があるほか、農薬ストレスによって脱皮間隔が延びて昆虫寄生菌に感染しやすくなる。生産者にはこうしたメカニズムも説明しているが、まずは微生物農薬の特性とこの防除体系の持つ意味を理解してもらうことが重要だという。
そのうえで具体的な作業では、ハウス内を「善玉菌」がしっかり覆っているかどうかがポイントになる。
その点、微生物殺菌剤のなかでもボトキラー水和剤は、粉のまま暖房機の送風用ダクトに投入し風を利用してハウス内全体に飛散させる「ダクト散布」が可能という大きな特徴があるため(図2)、善玉菌のバチルス菌でしっかり覆うことができる。
また、ダクト散布は夕方にハウスを閉めて夜間の暖房の風を利用して散布するため、短時間で省力的に散布できる。天候に関係なく散布できるメリットもある。
さらに昨年には自動ダクト内投入機(商品名:きつつき君)も開発された。これは手作業で行うダクト内投入を24時間タイマーによる制御で温風暖房機の運転と連動して自動的にボトキラーを投入する装置。生産者が不在でも、随時散布ができ、投入時間と量をハウスに合わせて決め細かく設定することができる。
こうした装置が求められるのも農作業の省力化だけでなく、バチルス菌でハウス内をしっかり覆うためには繰り返し散布することが必要だからだ。たとえば、きゅうりでいえば栽培期間中は3日ごとに新葉が出てくるが、当然、散布していなければ新しい葉にはバチルス菌は棲みついておらず病原菌がとりつく隙をつくっていることになる。
黒木さんによると「ペンキ塗りのようなもの、と生産者には説明しています。繰り返し塗らなければムラができてなかなかメッキしたように均一にはなりませんよね。ボトキラーも同じ。『病害発生前の散布と繰り返し散布』がキーワードです」という。こう考えると、ダクト散布はこの防除体系に欠かせない方法だといえるだろう。
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(左)ボトキラーダクト散布の様子・(右)自動投入機(きつつき君) |
県産ブランドの柱として売り出す
◆安全・安心ブランドの確立めざす
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黒皮かぼちゃの生産者井上学さん
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綾町の生産者、相星義廣さん(56)は「水の郷綾施設有機きゅうり研究会」(有研会)の会長を務める。仲間とともに土づくりにこだわり化学農薬の使用を減らすきゅうりづくりに取り組んできた。相星さんは息子の勝弘さんと50aのハウスで短期促成栽培をしている。
9月に定植すると20日ほどで出荷を迎える。その後翌年の2月まで作付けをずらしながら栽培、出荷を続ける。安全・安心なきゅうりづくりをめざしてきたが収量の安定のためには無農薬栽培は難しいという。そこで部会では減農薬栽培への取り組みを進めることにし、微生物農薬を利用した防除を行ってきた。
昨年、ボトキラーのダクト散布を本格的に開始。今年から自動投入機(きつつき君)も設置している。「天候に関係なく散布できるし、投入機のおかげで省力化につながった」。
部会全体でもボトキラーを基盤にした防除に取り組み、今後は化学農薬を使わない有機栽培をめざすという。
「安全・安心な農産物づくりは全体の流れ。それに応える栽培に仲間で取り組み、新たにきゅうりの産地化を図っていきたい」。
宮崎市で宮崎県特産の黒皮かぼちゃを50aのハウスで生産している井上学さん(41)。黒皮かぼちゃは和種で高級食材として関西で煮物などに使われる。
4年前からボトキラーと昆虫寄生菌殺虫剤を使用するようになった。ハウスのビニールには紫外線カットビニールを張るなど微生物農薬による防除と合わせ環境に配慮した農産物づくりに取り組んでいる。
定植は10月中旬、12月から翌年の6月までが収穫、出荷期間となる。ボトキラーの散布は9月中旬のは種直後から繰り返し行っている。それでも一部にうどんこ病の発生がみられるが、「周囲にまん延しないことを実感。安心してゆっくり対応できる。いつも悩まされてきた病害虫対策というストレスから解放されました」。労力とコストの軽減を実感し宮崎特産の黒皮かぼちゃの「規模拡大も考えてみたい」と井上さんの表情は明るい。
宮崎県は「いのちに感謝する県、みやざき」をコンセプトに「特長ある商品づくり」、「信頼される産地づくり」、「安定的な取引づくり」を柱にした県産農産物のブランド化を進めてきた。平成13年から県経済連と一体となって栽培法などを基準にした商品ブランド認証を進めている。現在、29品目に認証基準がある。残留農薬検査は年間4000検体にもなる。この認証基準のなかには微生物農薬による防除も含まれている。
県のブランド化推進の特長は「安定的な取引」を柱のひとつに挙げているように、量販店など実需者との結びつき強化を重視している。
「県が認証したブランド品を評価し仕入れて販売してくれることが大切。そのためには環境への配慮だけでなく、おいしさ、鮮度が重要になる。たとえ有機栽培といえども品質が落ちれば買ってもらえない。品質水準の維持に微生物農薬を利用した防除は貢献している」と小八重雅裕農水産物ブランド対策監は話す。現在、栽培面積のブランド認証の栽培面積は野菜と果樹を中心に全体の10%程度。今後は相星さんたちのようなJAの生産部会を中心とした取り組みが広がり、県内に同一品目で複数のブランド認証産地がつくられることが課題だとしている。
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中央が相星義廣さん。左は勝弘さん。
右はJA綾町の杉尾智治さん |
◆全国へのひろがりが期待できる総合防除体系
微生物農薬を利用した総合防除の取り組みは安全・安心な農産物づくりの実現だけでなく、農産物づくりに対する意識や経営の見直しにもつながっている面も生んでいる。
この防除体系ではボトキラーによるダクト散布が鍵を握り、ほ場全体にバチルス菌を棲みつかせることがポイントだが、十分に飛散していない場所は、病害の発生で判明する。それはボトキラーの散布にムラがあることも示しているが、同時に温風が十分に行き渡っていない「寒だまり」となっていることも示す。寒だまりとなっていれば、べと病、褐斑病などが発生しやすい。
対策としてダクトの張り方や暖房機の効率を見直すことになる。それによって的確な防除につなげるわけだが、「実は散布ムラは温度ムラでもあることから、新たな栽培管理指標を得たことにもなっている」と黒木さんは言う。また、温度ムラをなくすように暖房機を整備することは収量の維持とともに重油代の節約にもなるなど、経営改善につながっている。これまでは病害虫の発生に対しては「対処療法的」に対応していたが、微生物農薬による防除体系で「病害を待ち伏せする」という予防的対応へと変わった。それはまたこれまで気づかなかった経営の効率、生産性の見直しにもつながっているのである。
宮崎県の微生物農薬による総合防除の取り組みは2大害虫という難問解決が出発点だった。同県農業全体の問題であるだけに、ここで紹介してきた総合防除体系は決して一部の生産者だけが対象ではなく全員が取り組めるものとして構築された。産地全体を元気にする総合防除体系といえるだろう。このような省力化技術(ダクト散布・自動投入機)を利用した総合防除体系は、県・普及センター・JA・生産者が力をあわせて取組んできたもので、宮崎県の目指す「安全・安心な農産物づくり」、「ブランドづくり」に推進力を生み、全国の産地にいっそう広がりを見せていくことが期待される。