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《書評》 今野 聰 (財)協同組合経営研究所元研究員

『理想の村を求めて』

              郡司美枝・著 2,500円+税
              発行所:同成社 03-3239-1467
              発行日:2002.2.28
理想の村を求めて


 著者は、1958年生まれで、大学非常勤講師。副題が「地方改良の世界」。学術論究だけに留まらない目配りがいい。たとえば、巻末「石田(市川)伝吉年譜」。なんと23ページもある。これによれば、1875(明治8)年、岐阜県恵那郡大井村生まれ。1939(昭和14)年没らしい。その理由を著者はあとがきにいう。「結局伝吉の生年も没年も明らかにできなかった。生まれた地も、墓所もわからなかった」。「しかし写真だけは豊富にあった。魅力的な人である」。だから「判明したすべてのデータを入れた年譜をつくった」のだという。こうした膨大な作業結果でもなお「胡散臭さがもつ魅力」だという。ではどこか。
 第1が報徳思想の部分。伝吉は上京後、明治38年頃に社会主義者として、幻灯機を背負って農村復興のために村々を遊説する。その上で、1910(明治43)年には『二宮先生報徳教大意 一名報徳結社案内』と『産業組合及設立案内』を相次いで出版した。この時期、周知の柳田国男は産業組合法普及のため、全国各地を廻っていた。また二宮尊徳源流の報徳運動は時流に乗って勢いを増していた。著者のコメントは「伝吉は内務官僚と結びついた報徳社運動と同調して活動する道を選択していない」。本流の「報徳仕法」ではなく、「新派報徳教」と言った。報徳運動本流ではない、亜流そのもの。念のため守田志郎著『二宮尊徳』(朝日新聞社、1989年7月)に当たってみた。この本も独特の尊徳論である。しかし孫・尊親の福島県相馬地方での仕事や尊徳生地・小田原地方や隣県・静岡での報徳運動には触れているが、伝吉には全く言及していない。
 第2は村おこしの部分。伝吉は1914(大正2)年『理想乃村』(大倉書店)1178頁を発刊。著者引用を孫引きする。「あらゆる生産の増大を計り、その得る収入によってあらゆる社会的施設を試み、人類が如何ほどの程度まで協力し得るや、その協同の結果が如何ほどの偉大なる幸福を齋すものたるやを、事実に証明してみたいと思ふ」。
 かくて武者小路実篤らの「新しき村」運動とは違い、関東大震災寸前に、鳥海山の麓秋田県側の建設予定地を視察したし(頓挫したが)、都下千歳村烏山に「真楽荘」という自宅兼事務所を建設した。しかし小作農民争議の頻発、昭和農村不況の深化の中で、伝吉は益々理想主義的・観念的になり、1939(昭和14)年、65歳で世を去った。著者の調査によれば、この本は1936(昭和11)年まで 30版を重ねたという。本題の由縁である。
 以上が本書の大筋である。なにより、戦前多くの農村改革者がいた。未知の人を発掘したという意義があろう。今年5月下旬、私は秋田県で開催された第10回環境自治体二ツ井白神会議に参加する機会があった。時代は100年経って、最も困難な環境問題になってきた。しかも経済的不振と自治体破綻危機のなかでの村起こしなのだ。こういう時だからこそ、多くの先人から学ぶことに謙虚でありたい。


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