筆者の本名は加藤彰彦。後書きにその明記がないが本文で分かる。1941年横浜市生まれ。現在横浜市立大学国際文化学部教授とある(2002年10月以降沖縄大学教授に転学)。さてどんな学問か。副題が大学での「社会福祉ゼミナール・10年の記録」だから、おおよその見当はつく。つまり「社会福祉」とか「ソーシャルワーク」である。
本書の構成を紹介しよう。第1章「大学とは何か」、第2章「福祉とは何か」、第3章「いのちとは何か」、第4章「魂とは何か」。これは定義論の類ではないし、学説解説でもない。つまり徹頭徹尾、社会福祉実践の記録なのである。ではどうして学園で実践が学問追求と両立するのかとなろう。
著者が1991年3月31日、20年近い横浜市職員勤務を辞め、翌日横浜市立大学教員になるところから本文が始まる。その前、1972年4月1日、横浜市民政局勤務になった。ではその前は? 放浪である。ではその前は? 小学校教員。なになに。かくてこの福祉課題はどこまでも、これら体験がバックになる。「原風景」という由縁だ。だから沖縄放浪体験がある。横浜市職員としての寿生活館体験がある。そこはホームレス問題の集約場である。社会福祉のどん底の現場と言っても良い。だから職場同僚は「同志」である。こうして生きる現場のすべてが、固有名詞のある息づかいで、記録される。難解な「いのちとは何か」が一挙に分かりやすい。ソーシャルワーカー同志の実践と死が多く登場、現実そのものだから。
こうして、そもそも社会福祉の範囲がつかみづらい。すべて公共団体の仕事か。一つの例だが、「日本社会臨床学会」のことが触れられる。公的社会診療資格取得を主張する「日本臨床心理学会」から分かれて、1993年創立したのだという。要するに「社会」の広がりの見方の違いなのだろう。著者は新学会に依って「横浜社会臨床研究会の記録」(1993〜1996年)を公表している。公共団体が係わっていない「社会臨床」分野が如何に多いか。ため息が出る。率直に大変だなあと思う。
では協同組合とりわけ農協が、この分野で可能なことは何か。とりあえず公的介護保険の受け皿として福祉事業を始めた。多くの事業課題が事例報告として出されつつある。農協だからこそできることとして、有意義でもある。では公的介護、介護保険対象領域以外の広い社会福祉分野をどうするか。そこに協同にとっても大事な「いのち」とか「魂」があるからだ。例えば痴呆ランク(I
〜Mの7段階)と要介護度の関係。義理の母の経過を見てきただけに困難さが分かる。国家関与以前の全的人格投入が求められるからだ。だから著者は「力を合わせて生きてゆく他はない」という。JAの事業課題はそこまで進められるだろうか。