著者は秋田県八郎潟村在住の農民作家としてよく知られている。私とほぼ同世代である。ただしこれまでは、小説というより現地報告とかドキュメントの方が多い。つまり評論と言っても良い。それくらい八郎潟干拓事業が、この国の米増産計画と不離一体だった。そして70年代半ば、米余りから転換が起きる。ついに八郎潟も例外ではなくなる。こうした急激な転換に、著者は闘い、現地の肉声を伝えてきた。米を大事にしない国と政策は、亡国の道だと。かくて著者の反骨のエネルギー源はなにか。こうした眼で今回の作品を読むと興味津々である。創作であり、小説である。それでも著者の原体験がどうしても重なる。
話の大筋にふれておこう。満州の興農合作社中央会農産課に勤めている父親・源太は、昭和20年5月、赤紙によって応召。その結果生後10カ月だった3男まで含めて母親が父親なしで生死をわたる運命となる(3男は引き揚げ前死亡、父は戦後帰還)。まもなく8月9日、新京の空に空襲警報。異常事態に変わった。
そしてまもなく敗戦放送。ソ連軍の進駐と略奪。合作社の社宅・宝興荘で必死に家族が生きる。町に出て親子で身の回り品を売って、生活の足しにする。ソ連が去って、引き続く国民党軍と八路軍の内戦が目の前で繰り広げられる。ようやっと21年5月13日を期して、引き揚げがスタート。
結局遅れて第1団は7月8日南新京駅からだった。そして7月25日ついに主人公准一、弟、母親が一緒に引き揚げる時が来た。無蓋車でのろのろ、途中奉天では下車、収容所へ。そこが満杯で炎天下30キロも歩いて格納庫へ。ここが長滞在。なんとも実感なしでは筋展開ができないのが分かる。
以下略すが、圧巻は主人公・坂田准一の旧満州体験であり、難民体験、引き揚げ体験である。引き揚げ後の戦後八郎潟風景と半農半漁の生活もタイムトンネル風だ。生家を舞台に3家族、17名の様々。連帯、協同、亀裂など、家族にある普通の風景が展開されて行く。後半には主人公の就職問題、母の死など。
創作はつくづく、ドキュメントと違うなと思う。例えばやや唐突だが、島木健作『満州紀行』(創元社刊、昭和15年4月)を取り上げてみよう。この作品の冒頭「北満開拓地の課題」にこうある。消すことはできない文章である。
「昨年(昭和13年)の夏、東北地方の農村を旅したとき、私は、その地方の人々が、満州開拓民の問題について強い関心を示しつつあるのを見た。秋田では、小学校の教師たちが、自分達の教へ子と青少年義勇軍との関係について、はっきりとした意見を持つことを必要とされてゐた」。
米も恒常的に余る時代になって、またぞろ、アジア大の構想がでている。人民との連帯を語りながら、実は日本経済不況の脱出口探しではないのか。こういう時代だからこそ、本作品に学ぶことが求められる。作者は声高には言わない。それは私達の聞き分ける耳による。(2003.3.12)