昨年、日本生協連は50周年記念事業として、『現代日本生協運動史』(上・下)を発刊した。その歴史評価を巡っては、現在『生活協同組合研究』誌で月一論者で連載中である。いずれにしても「上・下巻」は人物中心ではない。そこを人物編として補ったのが、この本である。
当然の如く、第1章は日生協の思い出であり、歴代日生協会長の略歴がある。第2章が各地方の思い出。北海道、東北、東京、関東、東海・北陸、近畿、中四国、九州という区分である。各地方生協運動史を埋める大きな意義があると思う。例えば北海道。すぐ北大生協リーダーの話かとおもったら、さにあらず。伊藤斉氏による「幾春別生協創設期の思い出」である。自ら1951年、北炭幌内鉱業所幾春別鉱に生協を設立した経過である。労働組合大会に、会社厚生部が独立生協設立の提案をして承認されたのだという。そこの専務になる。それにしても事業形態は不思議にも店舗だった。これが北海道の長い今日に繋がる伝統かとつくづく思う。
第3章は「各分野の歴史と思い出」。興味深いのがその分野区分である。大学生協、学校生協、職域生協、医療生協、全労災、日生協婦人部、全国消団連、全国生協労協。ここまでくると、農協史とは殆ど比較不可能である。しかも大学生協、職域生協などにどれだけ歴史的に大きな位置があったかが判る。つまり大学生協の地域化であったし、職域生協の地域化であった。詳述はしない。
さて第1章の日本生協連会長のこと。ここに賀川豊彦(初代)、田中俊介(第2代)、石黒武重(第3代)、中林貞男(第4代)略歴がある。
そのうち、余り知られていない第3代石黒武重に改めて注目した。1897年石川県生まれ。42年農林次官。46年国務大臣兼法制局長官、同年衆議院議員。進歩党、民主党の幹事長。では生協の経歴はどうか。46年、東京都職域消費組合連合会長、49年、砧生協理事長、56年、日本協同組合貿易(株)社長、58年、事業生協連会長、65年、合併後の日本生協連会長。71年名誉会長。95年没。
この経歴を追うと、名実ともに日本の生協運動に尽くした農林系人物と言うことになる。事実、田中尚四・現日本生協連副会長は、「当時のせまい生協の世界にあっては、飛び抜けた見識とステータス」をもっていたと絶賛している。これまた驚きである。しかも砧生協の店舗を都民生協(現コープとうきょう)に委ねたという。他にも何人かが触れた。どれも絶賛といって良い。おそらく戦前1919年設立の家庭購買組合で、初代理事長だった吉野作造に比せられよう。念のため、農協協会が1960年に社団法人になり、その初代会長であった。改めて今回の出版の意義をかみしめたい。 (2003.7.10)