なんとも刺激的なタイトルである。すでに公刊されて半年。だがこの本が話題になる場所はそんなに多くない。何故であろうか。みんなライブドアのごとき疾風怒濤を好きなのか、農業者もIT経営者の後追いをせよということなのか。
章建てを紹介しておこう。プロローグ 「食べものと農業は単なる商品ではない」。第1章「食の異変は時代の必然」。第2章「産業型農業から生活型農業へ」。第3章「食の安全政策のターニングポイント」。第4章「[リスク分析]の限界と脱農業政策」。第5章「食べものの安全性を求める産消提携」。第6章「食と農の断絶をどう取り戻すか」。第7章「地産地消の現代的意味」。エピローグ「農業らしい農業の新世紀へ」。
どの章も、農業と農産物を流通価値だけでとらえるなよ、が一貫する。プロローグ「食べものと農業は単なる商品ではない」から引用しよう。原文は本紙の「財界の農業政策を斬る」シリーズ(04年9月10日付)に掲載された。読んだ当時、実に快哉を叫んだものだ。
「農業や食べものは単なる商品ではなく、その値うちはお金だけでは測れないというという認識は20世紀という時代への反省として育ちつつある大切な国民意識である」
「いま、仮に農業構造改革の呼びかけに応じて零細兼業農家が一斉に離農したら、どうなるだろうか。それは日本農業と日本の食卓の崩壊となることは明らかである」
馬鹿なことと反論する。かつて1971年、有機農業研究会を発起した一楽照雄・協同組合経営研究所理事長がそうだった。農業金融のプロとして、また1950年代の農協整備促進を手がけた張本人だからこそ、狂ったかと言われた。だが今日明らかなことは、一楽本人の将来農業に対する滅亡危惧だった。では今日どうか。グローバル経済一辺倒のなか、日本農業はしぼんでいくばかりだ。一楽の危惧は当たりである。第5章で、一楽の意図に詳しく触れている。またこの章では、生協産直にも多く触れる。1980年代末、価格破壊などスーパーのゆさぶりに生協陣営が揺れ、店舗政策でも大型店志向が顕著になった。当然の如く産直が軽視される。当時私は実務として渦中にいただけに、これらの歴史分析に異論がないわけではない。しかし最近の生協産直高度化を危惧する指摘には賛成だ。
こうして著者のような声高の主張が意味をもつ。農協陣営リーダーも、その実務者ももっと耳を傾けて良い。何かといえばすぐフードシステムに則った生産消費モデルの賞賛である。トヨタ主義の農業版である。そんなに簡単なことか。
たまたま「農業協同組合研究会」が設立されたばかりである。そこでも今後「おカネだけでは測れない」農業と協同組合の関係が論じられよう。そのことを期待したい。