重たい本である。読み終わって疲れがどっと出た。映画や芝居を観た時にも経験するが、自分にこと寄せて読んだからだろう。帯に「農民である前に『百姓』として生きたい! 北の大地で百姓仕事に精魂をかたむけて70年。『自分史』を基底にすえて農業の過去・現在・未来を語り『農とは何か?』を熱く説く!」とある。
最初に齋藤さんとの出会いを語らなければなるまい。30年前、山形県東根市で第1回農民大学交流集会が開かれた。その時に記念講演をしたのが、齋藤さんの師である真壁仁さんだった。集会のあと、現在八ヶ岳中央農業実践大学校長の下田英雄さん(当時山形県農試)の案内で山形市門伝のご自宅を伺った。その後、今は無くなったたいまつ社が発行した「講座/日本農民」の第3巻『農民教育の創造』を齋藤さんが編集し、わたしは佐藤藤三郎さんが編者になった第5巻『農協の再生をめざして』に執筆した(1978年)。その後も、齋藤さんが関わっている同人誌『地下水』や新聞、雑誌に書かれたもの、プラムなどを送っていただいている。
「百姓とは百の姓(かばね)、百の生、百の職、百の技を持つ人、おれは百姓だ。農民ではない」と叫んだ真壁仁の思想を受け継ぎ、「コメの一粒、りんごの一個、胡瓜の一本にも署名を入れて届けたい」という。それだけでなく、「芸術、産業、文化をふくめてこの世にあるすべてが、百姓によって生み出され、育てられた」という想いから、斎藤さんは歴史家、文学者、地域史の研究者、画家・アーチスト・写真家などとの交流も深い。
とはいえ、実際の農作業は、毎年変わる気象条件の影響も含め過酷であり、収穫寸前に台風や雨、ひょうなどにやられ、落胆することもしばしば。豊作だと価格が暴落し、素直に喜べない。現に今年もさくらんぼは晩霜に遭い、収穫皆無だと聞いた。このような、田んぼや畑での喜怒哀楽、村の変貌のさまは本書のタイトルになっている「北の百姓記」に詳しい。
長いこと農協に身を置いてきたわたしにとって身につまされるのは、農協への絶望を怒りながら記しているところである。農民のくらしを守る砦から農協のための農協、さらには農民支配の尖兵であり、農民から百姓に、という考えは「農協への絶望からの出発でもあった」という。「農協は諸悪の根源である」と言われたこともあり、私は、客観的には、日本農業の滅びと農協の滅びとはイコールである、と認識しており、齋藤さんの批判に反論できない。逆に、そんなところに何で、いつまで居るの、という声が聞こえてくる。
いささか個人的な読み方はさておき、本書は、一人の百姓として北の大地に暮らし、とりわけ社会や時代と真剣に向き合って生きてきた齋藤さんがこれまでに書き綴ってきた珠玉の文章を編んだものであり、彼の人生を凝縮したものとなっている。
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