農業協同組合新聞 JACOM
   


《書評》 今野 聰 (財)協同組合経営研究所元研究員
  『星かげ凍るとも』
島内 義行編著
  定 価:2200円+税
発行所:創森社 tel 03-5228-2270
発行日:2005年6月20日
『星かげ凍るとも』

 戦後60年。農協運動とか協同組合運動にきびしい意見が集中している。それなら組織内で、その運動を担った人たちの実体験はどうだったのか。本書はそうした期待に十分応える。副題「農協運動あすへの証言」がピッタリである。
 編著者は『地上』『家の光』などで活躍した。その体験を活かし、綿密な関連取材によって、『月刊JA』(1997年〜98年)に掲載された。さて登場人物である。若月俊一(長野県佐久総合病院―農村医療)、渡辺広子(秋田県仁賀保農協−生活指導・自給運動)、宮川清一(全中―農業基本法)、原口正夫(鹿児島県中―畜産営農団地構想)、関田和雄(神奈川県中・全農直販―農協牛乳開発)、中川晋(静岡県三ケ日町農協再建)、長尾洋子(青森県野辺地農協の赤字対策)、青木一巳(全国指導連―戦後農協づくり)の8人。
 始まりが、1945年3月6日、国鉄小海線三反田(現在の臼田)駅に降り立った若月俊一。マルクス主義傾倒で弾圧、投獄。だが初志を農村医療に全傾注する。医療農協運動の優れた足跡が浮き彫りになる。余りにも有名な事例だが、老いて益々盛んな氏の面目躍如というところだ。
 そして締めくくりが青木一巳氏(2001年死去)。戦前の産業組合に1930年入所し、1945年の協同組合同盟設立を見て、戦後農協法施行に関与した。その後指導連を作り変え、中央会に組織改革した足跡は、今日の中央会改革問題に多くの示唆がある。
 この二人の間を彩った様々な事例。例えば三ケ日町農協の戦後苦闘は、かくて今日の磐石の基盤が出来たことを十分に教えてくれる。また1960年代初期、政府の農業基本法というグランドデザインに対置した総合農協側の自主運動。その事例として、鹿児島県の農協畜産団地構想が語られる。今日様々な攻勢に、十分太刀打ちできる独特の畜産インテグレーションを作り上げた歴史として読める。
 とりわけ農協牛乳開発物語は興味深い。取材を受けた関田氏自身の補足コメントまであるからだ。旧全購連で開発準備され、1972年の新生全農(全購連と全販連の合併)にあわせて発売された。明治乳業の異種脂事件が起きて、その中での発売だった。「自然はおいしい 成分無調整」というキャッチフレーズが今更のように神々しい。なにゆえに全国連の酪農事業の自己改革ができたか。そこを丹念に検証する。では30年経って、なにゆえに雪印と全酪連の各市乳部門と合体して「メグミルク」に変わったか。氏の指摘はきびしい。
 「反省は地方農協系牛乳を視野に入れず、置き忘れてきたことだろう。地方版農協牛乳を育て、相互に生産、販売を担い合うという連帯事業が生まれてこなかった。全農には経営はあっても運動がなかった」
 いわゆる農協系プラントの事業連帯である。そうした事業ロマンが牛乳直販事業の創造を通して可能だったはずという。私的事業体験では1980年、千葉県富里に総合基幹工場を新設したことが大きい。しかもフランスのヨーグルト製造技術(ヨープレート)とセットだった。つまりたべる牛乳である。そこに飲用乳一本槍の歴史的転換をオール農協としてどう受け止めるかの経営判断があった。そこにも触れて欲しかった。
 ともあれ、どの事例も農協はかくまで奮闘努力してきたかといまさらの如くではある。北海道の事例がないのが物足りないが、この種企画の辛さであろう。その分、各インタビューに辛口コメンターを配置した。これによって時代と背景が一層理解できる。

(2005.9.6)

社団法人 農協協会
 
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3-1-15 藤野ビル Tel. 03-3639-1121 Fax. 03-3639-1120 info@jacom.or.jp
Copyright ( C ) 2000-2004 Nokyokyokai All Rights Reserved. 当サイト上のすべてのコンテンツの無断転載を禁じます。