本書は公刊されてから、ほぼ2年が過ぎている。敢えて取り上げる意味は、現代の生協運動と農協運動の協同にとって、避けてはならない問題提起があるからである。副題が「生協懇10年の轍(わだち)とこれからの路(みち)」である。つまり編者が「食料・農業・食の安全に関する生協懇談会」。れっきとしたこの間の生協運動の軌跡になっていることだ。
本書によれば、この懇談会は1994年7月16日にスタートした。運動のきっかけはこうだ。「日本生協連は、1994年6月、第44回通常総会において、コメの輸入自由化に反対する立場を表明したが、GATTウルグアイラウンド合意の批准阻止を全国的に運動として進める方針はとらないとした」
そこで本書の第1の特徴は、この懇談会の10年の運動経過が資料化されていることだ。貴重なものである。ここでは生協運動を日本生協連の公式記録だけでみてはならないということである。著者はこの懇談会の世話人・東都生協理事長として、この94年11月28日、衆議院WTO等特別委員会公聴会でガット合意批准反対の公述人になった。その記録もそっくり記録されているからである。現代の米生産と流通の混乱を巡ってその決定的転換は、細川連立内閣の93年12月転換決断にあった。そのことを単に国際政治の1990年代的潮流と国内権力構造の揺れとだけ見ないことが大事であろう。運動主体の戦いはどう形成されたか。ここが実に大事だからである。少なくない生協が全国方針とは別に闘ったこと、その軌跡の大事さである。最近の本紙に「農業協同組合研究会」が主催する農協米穀事業の新展開について、執拗に公開討論会内容が報道されていることに対比されよう。
特徴の第2は、著者のこの10年間の戦いから米問題の基本スタンスを「グローバリズムとWTO体制に抗する大義は食糧主権の確立」と明確化したことである。「食糧主権は、人々が国民として民族として生きる基本的な権利」と補足説明されている。この意味を本書全体を通して強調する。「主権」概念は、むしろ戦後平和憲法と並んで、日本人のなかに浸透してきた理念である。それなのに、1994年の平成米騒動時、国産米が底をつき、タイ長粒米を緊急輸入したとき、どれだけ粗雑に扱ったか。政府の抱き合わせ販売という無茶苦茶も災いしたとは言える。しかしかつて侵略満州国で、五族協和という大義を掲げながら、実は中国人の抑圧、虐待によって中国北部の植民地経営をした。今日東アジア共同体構想など、先ずは疑った方が良い。最近のベストセラー著者の藤原正彦氏がいう「国家の品格」が実は悲惨な家族ぐるみの満州難民体験にあることを忘れないことだ。
第3の特徴。2002年3月に起きた、東都生協と茨城玉川農協との産直豚肉偽装問題の協定書(03年5月24日)を再度記録化したことだろう。事件の大きさと対処方針に、産直を「公開監査」方法の深化で克服出来るか、問題なしとはいえない。少なくともその渦中の生協側責任者として、この事件が産直運動の崩壊としてズルズル後退することがないように奮闘した様を見ることができる。問題は今日3年経った時点での徹底的な点検であろう。
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