1993年5月『JAだより・きたかみ』(岩手県)の「詩めぐり」欄に掲載された詩編。そこから2004年12月まで、毎月1篇を取り上げた集約が本書である。全300ページ余。知人に紹介されて、知った。詩編に小原麗子氏のコメントが添えられる。こうして全編まさに「詩めぐり」である。その持続力にたまげた。読んで楽しく、悲しくもなる。なんでもない日常が、こうして詩作品になる。読む人を打つ。実際に声を出して詠んでもらうのが一番だが、例えば「米ッコ買い」(昆野カネオ作品)を引用しよう。1994年平成米騒動を主題にしたその謳い出しのところ。
「一輪車持ってどごさ行ぐどご?」
「農協さ米ッコ買いに」
「アヤッ 農協ストアで 米ッコ売ってるの! 町までまた米ッコ見えなぐなったずよ」
「オラ家で 予約米だから」
市役所からの売渡通知書と
判コと銭ッコ持って
冷害農家飯米用のシールを貼った
10キロ 4061円の米を買う
玄米を横流しされるのを 防ぐための農家飯米シール
食うに困って買う人が 横流しなどするだろうか
(外国産米の店頭に並ぶ様を謳いながら、そして最後のところ)
外米に異物混入と聞き 不安になるが
インディカ米であろうが ジャポニカ米であろうが
米ッコ買って食べられるだけでも 幸せかな?
続いて、編者のコメントを引く。
「農家でありながら、米を買わなければならない。これほどつらく情けないことはありません。カネオさんの家も農家ですが、米を買いました(中略)国産米が見直された反面、外米も輸入されました。同じ農民が作った外米を前に複雑な気持ちです」
詩歌がJA広報詩に載ることは珍しいことではない。このことは、生産者・組合員が優れた創造者であることの証明でもある。本書でも、米、たんぼ仕事、野菜つくり、どぶろく、夫婦、子どもと孫、毎年夏の戦没者追悼など実に多様に豊かに謳われる。
小原氏はあとがきで、「長年北上市農協で働きました」と言い、農協広報担当に「同僚のような気安さ」を持つという。おそらく持続してきた背景であろう。そうはいっても、あの1993年から翌年にかけた「平成米騒動」にこれほどの歴史的証言が謳われているとは。 |