『北の百姓記』(東北出版企画)の続編が出た。前著は、「農民である前に、『百姓』として生きたい」という著者の70年の自分史をベースに、農業の過去・現在・未来を熱っぽく語ったもの。今回は「百姓としてどう生きているか」を、2004年の出来事とその年に考えたことをメインに綴った。
本書は、▽「富神の里」に生かされて▽「百姓」として生きる▽富神の里・四季のたより▽『齋藤農園』から▽「無登録農薬」をめぐって▽農協よ、どこへ行く?!▽百姓つれづれ、の七編から成る。富神とは著者の住む地域にある約400メートルの山の名前。齋藤さんたちのシンボルであり、畏敬の対象でもある。
齋藤農園は15年前に「食べもので暮らしを立てる者として、自らの豊かな“食生活の自給”を基本にしつつ、友人や知人から『分けてほしい』との声があればそれに応えていくライフスタイルを打ちたてたい」という齋藤さんの願いを実現しようとして誕生した。
齋藤農園は果樹が中心で、プラム、りんご、洋梨、さくらんぼなどがあり、品種は大石早生、ラ・フランス、佐藤錦など40を超える。水田は85アール、畑には50種類以上の野菜がある。
本書の圧巻は、田畑に立つ齋藤さんが、自然のやさしさと恐ろしさを詩人の目でとらえた描写と、果物などを消費者に届ける時に添える「たより」のあたたかくこまやかな表現だ。果物の成長過程までが手に取るように分かる。前著と同様に、彼の仲間である名垣義助さんがその生産物をすばらしい挿し絵にしている。
本書を読んで感じたことが二つある。一つは、山形にはすばらしい百姓の書き手が多いということ。もう一つは、斎藤さんなど戦後の農村を引っ張ってきた人達がいるのに、農協が何故駄目な状態になってしまったのだろうかということだ。
山形では、戦前には生活綴り方運動があり、戦後は無着成恭の「やまびこ学校」、「辺境にこそ文化の根と始源がある」と説いた真壁仁の存在がある。そうしたうねりの中で齋藤さんたちは息づき、育ってきた、と私は受けとめている。
山形にそのような土壌がありながら、「暮らしの母としての農協」が、農民の暮らしを忘れ、ひたすら経営第一、という運営になってしまい、「農に生きることの喜び・悲しみ・痛みを共有することを喪失してしまった農協に明日はない。農協よさようなら」と言わしめたのは何故なのか。
つい最近、食農教育をどう進めるかという研究会に参加したが、そこでのみなみ信州、北信州みゆき、新ふくしまなどの農協の報告やいずも、みやぎ登米農協などの事例から、農協も捨てたものではない、やり方によっては、という思いに駆られる。この落差をどう受け止め、課題とするかが私に残された宿題である、と考えている。
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