「民俗・東北学シリーズ全6巻 みちのく・民の語り」の(6)最終巻である。副題が「開拓の歴史を歩く」。100巻を超える著作も多作だが、「セレクション」という刊行方式で、噴きあがった形である。「民俗・東北学」については、本文の終わりに少し触れよう。
このシリーズ全体を紹介しておく。(1)『マタギを生業とした人たち』、(2)『みちのくの職人衆』、(3)『秋田杉を運んだ人たち』、(4)『出稼ぎ』、(5)『塩っぱい河をわたる』。どれも農業と農村に深く関わるテーマである。しかも生きた人の個人史を、まず取材、そして関連調査によって仕上げた著作である。たとえば有名な宮本常一の記録シリーズと対比されよう。共に日本中を足で歩いた。語る人の息づかいをどう記録したかが違う。また書評専門紙「図書新聞」の編集人・米田綱路氏は「“民の語り”の精神史」(06年8月19日付け)として、九州の炭鉱に生涯を生きた上野英信と比している。共に読み方が深まる。
著者は、秋田県能代市に在住。1935年、隣村である藤琴村(現藤里町)に生まれた。つまり東京には遠く、生地に足を据えて記録する。軸足がはっきりしている。ここが重要なポイントだ。
本書の構成に触れる。序章「開拓とは」から第六章「戦後開拓の光と影」まで。明治期・大正期・昭和期・戦後開拓という歴史区分によっている。実に手堅く、しかも開拓史総論を忘れない。
明治期から1つ抜こう。「藩の苦闘」である。会津藩士による青森県斗南ヶ丘への開拓である。下北半島の尻屋崎の観光コースの途中でここを通る。現在もその跡をたどることができる。そっくり下北半島農業の現在につながる難渋を連想する。
大正期の事例は「米騒動と関東大震災」。1918年、富山県魚津町の漁民で沖仲士だった女性が米積み込み拒否と米屋倉開放を要求した。これが動機になった全国的な社会運動は政府を揺るがすまでになった。そこで政府は翌年4月「開墾助成法」を公布し、内地米増産のため、開墾地拡張をはかったという。また1923年の関東大震災は流民化した罹災者の一部に北海道移住の方策をとらせたという。歴史事実の指摘である。
続いて昭和期。これは旧満州移民、いわゆる「満蒙開拓」100万戸移住計画につきる。本書に多くのページを費やす。歴史的犯罪行為に巻き込まれた農民の悲劇を詳述する。
最後は、戦後開拓期。外地引き揚げ者のために、全国各地に多くの開拓が起こされた。しかも間もなく政策転換で開墾行政助成が止まる。こうして多くの開墾地が敗残する。その記述がすさまじい。本文には触れられないが、一部は専門農協として成長、そっくり現代の総合農協との組織問題に発展した。また産直運動史としても興味深い。
とりあえずここでは、戦後開拓の頂点「八郎潟干拓」にふれる。著者は戦後最大の開拓物語として、初期開拓を(1)八郎潟の3分の2、1万5700haの干拓、(2)うち1万3000haの農地化、(3)4700戸の入植。1戸当り2.5haの配分面積だったことを記録する。
歴史は無残と言うほかない。現在に至る大潟村農民闘争史である。これを70ha経営などを材料に、新農業経営者成功物語として画く例もある。どちらが真実かは、本書がくまなく明らかにしてくれる。巻末「戦後開拓史年表」によっても、この間の歴史展開が読み取れる。要は、「民俗・東北学」と銘打とうが、農民の一人ひとりから、その生活の息遣いを開拓という現実から目をそらせない視点、それが本書の力である。
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