著者は1945年生まれで、家の光協会普及文化本部文化委員。著者との交流は長い。だから日常的に彼の主張が耳から離れない。大正デモクラシーから育った家の光協会の文化的伝統を背負いつつ、そこを超えようとしている。その分だけ広く総合農協文化論を打ちたてようとする。大正デモクラシーといっても最近の読者にはわかりづらいかも知れない。要は日露戦争勝利に酔った日本国に、世界大の精神革命を敢えて「民本主義」として普及しようとした社会運動だった。政治学者吉野作造に代表される。たまたま宮城県の母校で、私の大先輩にあたる。だから関心は一入だが、彼が創立した家庭購買組合(大正8年、1919年)は灘・神戸消費組合より2年も早かった。そのことは現代協同組合論を考えるヒントでもある。
この本の副題は「人が人として成長しない組織は成長しない」。著者の主張を端的に集約して魅力的だ。どこか吉野思想につながる。先ずはこの本の構成を紹介しよう。
「第1章 知識JAの人財戦略」
「第2章 地域協同の知識ビジョン」
「第3章 コラボレーション進化論」
第1の特徴は、総合農協の生活事業復権を堂々と論立てしていることだ。家の光協会だから当然というなかれ。それほど最近の農協論調はひどい。かつては生活事業を発展させ、生協を設立した先輩までいた生活事業である。確かに都市型店舗に傾斜しすぎたかも知れない。それは反省すればよい。店舗事業に浮き沈みは、世の習いである。第3章の「生活事業・活動なくしてJAなし」に詳しい。経済事業として「収支均衡路線に追い込まれて」いる苦闘から、自信を持って脱却しようという宣言である。
第2に、総合農協に結集する女性の自立宣言である。地域に生き、営農と生活の中心にいる女性は、単に主婦ではない、地域の協同価値を創造する「パートナー」だという。今日、数え切れない女性誌が発刊され、地域の隅々に「ヘアサロン」があるのにと、いぶかるなかれ。著者の主張は、戦後農村女性の歴史段階(嫁から妻)を踏んで「パートナー(おんな)」なのである。第3章の「ジェンダーによる差別をしない」に詳しい。
たまたま暮らしの中心にある練馬区議会を傍聴する。多数派議員は「ジェンダーなどという言葉が家庭破壊をもたらしている」というぐらい、この言葉を嫌う。例えば、大正米騒動勃発の地、富山県の漁村女性は60kgの米俵を、はしけまで運んだ。その写真が現に残っている。それを思い浮かべれば良い。つまり著者の言う「男女共同参画」なのだ。
第3の特徴。これは著者の独創だが、「コラボレーション進化論」である。「人や生物の主体性をダイナミックに押し立てた」とする今西錦司進化論をヒントに組み立てである。こうして本書にも、全国各地先駆事例が豊かである。
もちろん、こうした著者の主張に疑問がないわけではない。農協先駆者は、とかく排他的になりやすく、誰が見てもリーダーだけの「主体性」という事例だ。「ボトムアップ」でなく、その分後継者を作らない。一代限りになりやすいからだ。それこそ枚挙にいとまがない。「協働」、つまり「コラボレーション」が如何に難しいかでもある。
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