08年1月末、中国からの輸入餃子をめぐる食品安全問題が急浮上した。日本生協連開発商品を扱ったコープちばの店舗から中毒症状が発生した。日本生協連の商品開発が一体これで良いのか、そうつくづく思う。農薬残留・混入問題を越えて、日中交易基本問題にまで複雑化しそうな雲行きである。だから本書にヒントを探したい。
副題が「竹内好を再考する」。「無根のナショナリズム」とはなにか。竹内好とはそもそも何者か。1910年、長野県臼田町に生まれた中国文学者。1960年日米安保条約反対闘争時、岸内閣に抗議して大学教授を辞めたことが世間の耳目を集めた。1977年、67歳で死去。竹内好は1935年『中国文学月報』を創刊した。その後37〜39年北京に留学。しかも敗戦寸前の軍隊体験も中国本土で、遺言のごとく1944年『魯迅』を公刊し、出征した。戦後は毛沢東の中国革命を評価し、積極的に発言した。竹内は1966年文化大革命にも、1972年日中国交回復にも、その評価については沈黙した。彼の人生はいかに日中を巡ってジグザグしたか。その中で苦闘した。だから明らかに竹内思想は「無根」ではありえない強烈な「ナショナリズム」があった。翻訳すれば「国民意識」である。「愛国」という狭さだけでは済まされないものだ。
すでに竹内没後30年以上。不思議にも2004年ドイツのハイデルベルクで、竹内思想を巡るシンポジウムが行われた。いかにもナチズムの罪業つまり「無根」でいられない「国民意識」が可能にしたのだった。編者加々美はそのシンポに参加した。受けて、2006年初夏2日間愛知大学で開催されたシンポジウムの記録が本書である。2人の編者を含め、溝口雄三、菅孝行、松本健一、岡山麻子、黒川創の日本側5人に、最近脚光を浴びる孫歌ら中国側3人の発言と討論を記録している。本書はそれを4つのセッションに再構成した。
第1「竹内好再考と方法論の問題」
第2「竹内好と中国」
第3「竹内好と人文精神」
第4「竹内好と世界史の課題」
以上に若手論客黒川創の司会による、総合討論「状況の中の竹内好」、巻末に鶴見俊輔氏と加々美光行対談を織り込んだ。本書に厚みを増したその部分は「いま、改めてナショナリズムの根を探る」である。
読後感の第1は、中国に侵略した歴史に真正面から対峙していることだ。中国側論者が参加したからだけではない。そこに竹内が苦闘した思想を伝える重さがある。例えば現在流行の東アジア共同体論を見よ。いかにも歴史が抜け落ちて、議論の展開が軽い。つまり「無根」といって良い。本書の主題にそえば冷凍餃子開発の「根」はどこにあるのか。
第2に、中国農業に関して。本書には集中的に農業が論じられてはいない。だからといって、農業関係者に無縁とはいえない。例えば1966年に始まった文化大革命に多く触れられている。また72年の国交回復である。それによって当時どれだけ日中農業者交流が深まったか。都市知識層こそ農村に下放せよ。これは当時の文革に座った行動原理、思想倫理だった。文革混乱を克服した中国は金儲けが農村を覆うという。それは事実だろう。だからこそ、文化大革命の思想は何かを問う姿勢に打たれる。
第3に編者加々美は日中に根のない「無根のナショナリズム」はいかに危険かという。この意味を改めて投げかけている。いまさらのごとく、竹内好思想の読み方と、現代への示唆に教えられる。
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