年頭挨拶などに「今年度も厳しい環境がつづき」というフレーズが入っていない年はないという笑い話があります。これは系統にも当てはまるようですが、事業環境は厳しいときもそうでないときもあることは、皆さんご存知のとおりです。
農協をめぐる論議などにも、外部はともかく、内部の方でも厳しい論調が多いように思います。それらを読むと「先行きの展望はないというのか」と言いたくなるほどです。
本書を書いた理由の第一は、このような厳しさや問題点の指摘に慣れすぎることに怖さを感じたことです。環境によしあしがあるように、事業実績や組織にもそれがありますから、問題点を指摘するだけではなく、長所を評価することが、先につながると考えるからです。
第二は、外部からの批判が、総合農協の存在意義を問いかけていることです。これについてはふたつの問題意識がありました。
ひとつは、「株式会社は自らの存在意義を問われることはないのに、農協だけが問われるのはなぜか」でした。企業の不祥事が後を絶ちませんが、「株式会社制度をなくせ」という主張はみかけません。ところが、農協制度については、公的な審議会までもが存在意義を問う報告書を出しています。これはどういうことでしょうか。
もうひとつは、欧米の協同組合組織が急激に、そし大幅に変化していることです。欧米の協同組合もわが総合農協と同じ道をたどってきています。それは、強まる市場主義への対応に迫られ、生き残り策を模索し続けてきたという意味で、同じ道でした。その結果、協同組合と株式会社との垣根が低下しています。
このようにみますと、組合員の平等や自主的な参加を基本とする協同組合が、市場万能を信じる立場からの批判を受けつつ、それとの調和に取り組んでいる姿が浮かんできます。それは、欧米の協同組織金融機関の株式会社化、失敗に終わったドイツの生協の株式会社化、そして単位組織の規模拡大と子会社保有農協の増加など、つながりをもった動きです。
もちろん、欧米での協同組合の変化がそのままわが国で起きるわけではありません。しかし、連合会の株式会社化こそわが国ではみられませんが、農協が協同会社をもつことは普通にあることも事実なのです。
このような見方から、本書では、わが国の農協が、子会社保有協同組合の道を歩んでいる、という見方を示しました。ここで注目していますのは、組合員からみた総合性は変化していない、ということです。つまり機能は変化していないが、その担い手が変化しているのです。
このようなあり方をネットワーク農協という言葉で示し、それをわが国固有の姿のひとつとして提示したつもりです。
この姿を実現するためには、組合員と農協経営者、農協経営者と職員、そして職員と組合員の間にみられるギャップを解消する努力が必要になります。その鍵の握る人、それは農協の経営者の方々だと私は考えています。
(2007.11.9)