農業協同組合新聞 JACOM
   
コラム
消費者の目

安らぎの幸せを与える農業を


 世の中に、「道楽」ほど役に立たないものはありません。落語の世界では、大店(おおだな)の若旦那は「道楽者」と相場が決まっていて、吉原に通い詰めたり、「しんない」のお師匠さんに入れ挙げたりしているうちに、身代を食い潰すか、大旦那から勘当されると相場が決まっています。
 一方、「趣味」という言葉には、「道楽」ほどの凄みはありません。「趣味は読書」という人は、それこそ何百万人といますが、1週間に何十冊も本を読む人は稀ですし、本を買いすぎて破産した人は見たことがありません。そういう意味では「趣味」が昂じて「道楽」になるのではなく、もともと「趣味」と「道楽」は根っこの部分で違うものなのかもしれません。しかし、どちらも人間の持つ「遊び」の心が形になったものであると言う点で共通していると思います。
 食べ物の世界にも「趣味」や「道楽」はたくさんあります。おいしいものを食べるのが趣味と言う人は大勢いますし、料理好きが昂じてお店を出したという話もよく聞きます。日本人は、食べるということを単なるカロリーやビタミンの補給とは考えず、目で味わい舌で味わうといった「遊び」の心を盛り込んで優れた食文化を育んできました。まさに「遊び」の心は、人々の心を豊かにしてきたと言えるでしょう。
 よく、日本の果樹は芸術品だと言われます。りんご品評会に出品されているものは、見ているとため息の出るような美しいものばかりですし、料亭で食後に出されるメロンやいちごなども、ほれぼれするようなものが出されます。これはもう農業という産業の枠を越え、遊びのこころを持ち合わせた「職人」のなせる技でしょう。
 しかし、生きるか死ぬかの極限状態で人間に最低限必要なものを3つだけ選ぶとすると、「遊び」は落選確実です。平和な世の中であるがゆえに、「遊び」に市民権が与えられるのであって、戦争などの非常時にあっては、 おそらく真っ先に切り捨てられるに違いありません。農作物の多様化も根底は「平和」によって支えられていると言えるでしょう。「グルメ」とか「食い道楽」という言葉は戦争や飢餓で苦しむ人たちにはまったく無縁です。甘くて香り高い芸術品のようなりんごのなる木は引き抜かれ、もっと単位面積当たりのカロリー収量の多い作物に姿を変えるかも知れません。
 農業の目的を「国民の必要とするカロリーを確保する」と定義するか、「人々に安らぎや幸せを与える」と定義するかによって農業そのもののあり方が違ってくるでしょう。願わくは、後者でありつづけられますように。 (花ちゃん)
(2004.6.11)


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