「牛丼というものを一度は食べてみたいわ」。吉野家が一日だけ牛丼を復活させたニュースを見ながら妻が私に言いました。確かに私の妻に限らず多くの女性にとって、牛丼屋は近寄りがたい存在なのかもしれません。そもそも牛丼は、日本が誇るファストフードであり、時間のないサラリーマン(OLではありません)の味方、底なしの食欲をもてあましている学生の胃袋の救世主なのですから。牛丼屋に満ち溢れているのは究極の効率化、無駄の排除です。「なみ、つゆだく、ぎょく」とすらすらと注文できるようになれば一人前です。
「なみ」とは、「牛丼の並をひとつ」という意味で、牛丼屋においてはもはや「並」と言えば「牛丼の並」のことであり、「牛丼の並」と口にすることすら無駄なのです。「つゆだく」は「汁だくさん」から来ていると思うのですが「お汁を多めにかけてください」ということ、「ぎょく」とは「卵付き」のことで牛丼に生卵をつけたい時に使います。
注文を受けてから牛丼が出てくるまでの時間は正確に測ったことはありませんが、1〜2分というところではないでしょうか。出て来た牛丼を一気にかき込む。食べ終わってすぐに席を次の人に譲る。
しかしながら牛丼そのものの味は素晴らしく、少しも手抜きが感じられません。牛丼店に入ってから出るまでの5分間がまさに客と店との真剣勝負。注文した品を手渡されて「早い!」。牛丼を食べながら「ああ、旨い!」。支払い終わって「何と安い!」と、心底満足して店を後にする快感。食後のおしゃべりを楽しもうというOLや女性客には想像もつかないでしょう。
吉野家が米国産の牛肉に頑なにこだわり、米国産牛肉が輸入再開されるまでは牛丼復活を拒みつづけているのは、「早い、旨い、安い」という顧客との約束を大切にしているからだと思います。つまり、牛肉なら何でも良いと言うわけではないということです。「早い、旨い、安い」という顧客との3つの約束を守るためには、仕入れから調理、接客に至るまで細心の注意が払われているに違いありません。その絶妙のバランスを満たすためには米国産の牛肉が必要なのでしょう。
3月19日、来日したライス米国務長官は町村外務大臣と会談し、牛肉の輸入再開を強く求めました。町村外相は、具体的な再開時期には言及せず、「消費者の食の安全を前提に、科学的知見に基づいて問題を解決する」と伝えたそうです。小泉首相は、「名前がライスですからね、ビーフじゃないんだから」と冗談をおっしゃっていましたが、米国の圧力と食の安全性の板ばさみになった苦し紛れのジョークだったのではないでしょうか。
おいしい牛丼は食べたいですが、消費者の食の安全性は非常に重いということを肝に銘じて、適切な対応をお願いしたいものです。(花ちゃん) |