中世に、ジャンヌダルクが宗教裁判で最後には魔女とされ火あぶりになった歴史は、有名ですが、これは今は昔の歴史のひとこまなのではなく、現代でも少し形を変えて時々起こっていることではないでしょうか。この背景には、政治的な要因があり、経済的な要素も複雑にからみあっていると思いますが、その時は、目の前で行われている宗教裁判の正当性について誰もが疑いを抱かない。仮に、そんな人がいたとしても疑いを公然とは口に出来ない状況なのだと思います。
多数決で物事を決めることは、民主主義の大原則ですからこれに異議を申し立てる積りは毛頭ありませんが群集心理の怖さについては、十分に認識しておきたい。変な話ですが、ワールドカップの試合を見ていてそう思いました。会場をうずめた大群衆が、日ごろさめているヤングを中心に、熱狂的にニッポンニッポンと叫んでいるのをテレビでみて、愛国心が高まってよかったとスナヲに喜ぶよりも、なにか理屈をこえた不気味な気配を感じたのは私がスポーツをよく分かっていないためでしょうか。
閑話休題。昨年来のBSE騒動もちょっと腑に落ちない。狂牛病というおどろおどろした名前にマスコミが警鐘をならすという域をこえてまず自ら進んで発狂寸前になってしまった。本件では、行政自身も批判の矢面にさらされたこともあって、冷静に知的に本件に対処することが誰も出来ずに誰もが恐怖心からや、自己防衛のために、魔女を捜し求めた側面があったのではないでしょうか。
では、BSEは本当にどのぐらい怖いのでしょうか。口蹄疫と比較したらどちらが怖いか。BSEは人にもうつるというが、では何人が犠牲になったのか。ものごとは比較してはじめてわかる部分があるので更に言わせてもらえば、昨今問題になっているC―型肝炎ウイルスでは、アメリカでは年間1万人の死者が出てさらに増加傾向なのに日本ではBSEほどの騒ぎにならないのはなぜか。また、エイズウイルスは怖くないのか。もっと言わせてもらえるなら交通事故が怖いからといって車を壊したらこれはもう奇人/変人以上で、それこそ精神病扱いされるのは必至です。私はなにもBSEなんか怖くないと言っているのではなくて、他の怖いものに比較してどのぐらい怖いのか分かったうえでの一連の騒動なのか、それとも失政にたいする怒りが補償を求めてのことか分からないのです。
私たちは、小さな問題や新しい事態には関心を持ち、時には、過剰にまた感情的に反応しますが、時間がたったり、問題がとてつもなく大きくなるとかえって反応が鈍くなるような傾向があるように思います。ワールドカップの熱気はつむじ風のように来て去っていきました。間もなく、暑い夏を迎えますが、その前に頭が冷えたところで、BSEが提起した問題を、改めてひとつひとつ冷静に見直して見る必要もあるのではないかと思います。魔女狩りに参加する気はさらさら無いが、魔女に仕立てられるのも真っ平御免です。加害者にも被害者にもなりたくないからといって局外中立を装うのは、昔なら出家遁世でしょうが、いまはそんな余裕もない世相です。熱しやすく過剰反応するかと思うと、問題はまだ残っているのにみるみる冷めてしまい無関心になってしまうのは、わが国民性です。ともかく、表面に出てくる事象に惑わされずに隠れている本質を見抜く方法はないものか考えさせられる昨今です。(ジョージ)