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コラム
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砂時計
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コンプライアンス・その3
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同じテーマを3回も取り上げるのは気が引けますが、ある企業が社内のコンプライアンス体制を強化するために、社員の一人一人に誓約書を書かせたという新聞記事を読みました。
昨今、こういう会社はたくさんあります。中には、“利益”を採るか“正義”を採るかの判断を迫られた時には“利益”を捨てて“正義”を採るようにとわざわざ社員に訓辞をした社長もいました。このようなことで企業の経済犯罪が根絶できるなら問題は一挙に解決できるはずですが、果たして効果があるのでしょうか。 “正義”の反対は、“悪”のはずです。正義を採るかそれとも悪の道を進むかという選択なら分かりますがこれは当たり前の話ですから仮に泥棒に聞いても悪の道を進むとは言わないでしょう。聞くだけ野暮というものです。利益を捨てて正義をえらべというと、まるで“利益をあげること”が“悪いこと”ではないかと思わせるような“錯覚”を社員に与えないか心配です。企業に利益が生まれるのは社員が懸命に働き創意工夫をしてお客さんの要望に応えた結果だと思います。端的に言えば、利益は正義を懸命に行わなければ獲得することは難しいと言えます。従って、コンプライアンスは決して“利益か、正義か”という二者択一の問題ではありません。 もっとも、難しいケースも確かにあります。脱税を指摘された企業が、“当局と税法についての解釈が違うが追徴には応じました”と内外に対し説明することが多い。当局と解釈が違うなら行政訴訟を起こしてどちらが正しいのか“正義”を主張したら良いと思うが、何故かそれはまずしない。みすみす莫大な税金を支払い企業からみれば損を蒙っている。それでも不思議なことに社内的に責任問題になることもない。“節税”と“脱税“との違いは、解釈の違いだったりすることがあるとしても、企業が、税法については従わない解釈をするのはコンプライアンスとの関係でかまわないのでしょうか。 経済法関連のコンプライアンスには、“正義”とか“倫理”という難しい観念は持ち込まない方が良いと思います。それこそ定義や解釈が難しいので話がややこしくなるからです。 要は、単純に法令違反をしないこと、させないことです。そのためには、文字どおり山ほどもある法令を社員がよく理解することも必要であり、関係する法令の勉強会もあちらこちらで開かれているようですが、“費用対効果”を考えると、これも必ずしも現実的とは思えません。勉強する対象が多すぎることと、知識と行動は別のことだからです。 では、どうするか。やっぱり、企業・組織のトップの考え・発言・行動が一番大事なことではないかと思います。トップが対外的説明のために“建前”を発言しているだけなのかそれとも本気で有言実行をするつもりでいるのか、社員はトップと離れたところにいても本能的に嗅ぎ分ける力をもっているのです。 わが国は、戦争や大地震の混乱に乗じて、同胞に対し略奪行為に走ったり、博物館に押し入って貴重な国の財産を持ち出したりする国ではありません。よほどの“悪法”でない限りこれを守ろうとする気持ちは個人も組織ももっているはずです。 “ヒトに笑われるようなことはしない”とか“ヒトに迷惑をかけない”とか子供のころうるさく聞かされた母の小言が懐かしく思い出されます。 (譲二) (2003.8.8) |
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