農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム
砂時計
“日野春”の秋

どこか懐かしい響きのある“日野春”は、中央線で甲府から長野寄り各駅停車で5つめの駅です。普通の観光地とは違い、駅前にも土産物屋さんどころか食堂さえもありません。旅館が一軒あるだけです。この旅館の2階にはアトリエがついていて宿泊客は自由に使えます。ここから南アルプスの最高峰“甲斐駒ケ岳”や“鳳凰3山”が一望出来るので、冬でも居ながらにして南アルプスを写生出来るのです。さらに、駅の北には、独立峰の八ヶ岳がそびえているので、この宿は“風景画家の宿”としてとおっているのだそうです。
 先日、仲間につれられて私も行ってきました。仲間は、予定どおり日帰りで東京に帰りましたが、すばらしい秋晴れに恵まれたので、私は急遽一泊することにしました。
 日がくれるとしんしんと冷えてきました。風呂はポリプロ製でちょっとここの風情に合わない感じがしたのでパスし、代わりに“熱燗”で“暖”をとりました。食事のあとはなにもやることがない。テレビはありましたがここにいると何故か見る気になれない。しばらく“所在無い”ということを楽しみましたが、やっぱり所在無いのです。仕様が無いので早めに寝ることにしました。体温で布団があったまってきたのは良いのですが、今度は、異常に静かなことが気になってきました。なぜか秋の夜長を慰める虫一匹いないのです。
 東京とは違うので静かなのは当然と思ってみるのですが、それにしてもまったく音が無いのは不気味なものです。どんな静かなところでも普通は、風の音がしたり、どこかで柱時計がチクタク・チクタクと時を刻む音とか、最低でも“針の落ちる音”が聞こえるホドのものです。
 ところがここの場合は、シーン、シーンという“静けさ”が“ただ”あるだけなのです。窓の外はもちろん漆黒の真っ暗闇でした。2重になっている窓を開けて空を見上げれば、満天の星が輝いているはずだと思いましたが、ふとんの外に出たときの寒さと、居ない間にまた冷えてしまう危険を考えると、結局、身を硬くして我が城を守っていました。
 周囲がうるさかったり、明るすぎて眠れないのは良くあることですが、静かすぎて、暗すぎて眠れないというのは初めてした。久しぶりに布団で寝たので畳の硬さのせいもあったかもしれません。
 翌朝も、日本晴れ。旅館のすぐ隣が入り口になっていて次の長坂駅まで10キロ続く“景観保存道”を3時間かけて歩きました。秋たけなわは多少過ぎていましたが、落葉樹の雑木林を抜けていく道できれいな落ち葉が厚く積もり、木々の紅葉が見事でした。すでに雪化粧を始めた南アルプスや八ヶ岳、収穫を終えて静かに休んでいる田畑やその傍を流れる渓流の澄みきった美しさで、昨晩の寝不足も忘れました。
 日本は狭い狭いと良く言いますが、その狭い日本でしかも東京からさほど離れていない日野春はかくも違う世界なのです。晩秋の日野春を今回満喫しましたが、雪に埋もれた日野春、オオムラサキ(山梨県の県ノ蝶)が舞い、桃の花が咲く春、暗闇にほたるが光る夏の日野春もおとずれて、いつか傑作を描きたいと思います。
 特急あずさが新宿駅に近づくと、街はいつものとおりまばゆいほどの光の洪水でした。
“パレットに日野春の色秋深し” (譲二) (2003.12.8)

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