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コラム
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砂時計
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“農業鎖国”
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小泉首相が先月タイのバンコクで同行記者団との“懇談会”の席上“農業鎖国はできない”と発言したことが波紋をよびました。当たり前のことを言っただけなのに記者サンには“鎖国”という表現が面白かったのか、言外の意味を深読みし過ぎたのか、これに飛びついた。発言そのものよりも、マスコミの浅薄な体質とそれに悪乗りする農業界の一部の見識と立場こそがむしろ興味深く分析に値すると私は思います。
“鎖国”で思い出すのが、幕末の“志士”が、最初のうちは、日本は“神国”であるから鎖国を国是であるとして、“尊王攘夷”を叫びましたが、すぐに本音の“尊王倒幕”に変えた。さらに、倒幕を達成して自分たちが世界の現実に直面するやあっさりと“攘夷”の旗を降ろしただけでなく、方向を180度転換して“開国”し、文明開化と富国強兵を合言葉にしました。 驚くのは、攘夷を叫んで、幕府要人にテロを仕掛けた人物が、後年の鹿鳴館で欧米人とダンスに興じていることです。政治では、建前と本音を使い分けするのが“適切”なのでしょうか。 今回も、選挙中でもあるためか、官房長官が釈明したことはご承知のとおりです。小泉首相の発言は、経済大国に発展した日本に対する外国の期待と経済大国であるわが国の責任を現場で体感し、率直に感想をもらしただけであり、特に問題視するようなことではないと思います。150年前にわが国は鎖国を続けられなかったように、否、それ以上に、鎖国も、農業鎖国も現在不可能なことです。 仮に、これが可能だとしてもそれで困るのはわが国自身であることは自明のことです。“できないこと”をできないと言っただけで可笑しくも面白くもない。コトバ尻で騒がれるなら、政治家は本音を隠し建前だけ発言することになるでしょうが、それで良いのでしょうか。 現在、WTOの交渉が頓挫していますが、これで損するのはわが国の場合、他国以上のものがあります。また、2国間のFTAの交渉も中国などがすでに活発に進めていますが、わが国は先にメキシコとの交渉が決裂しています。このままでは、わが国から特に希望をしなくても国際経済社会から孤立してしまう。150年ぶりに“鎖国”へ向かう“古道“を農民を先頭にして、全国民がわらじをはいて歩き始めざるをえなくなる気さえしてきます。 WTOにせよ、FTAの交渉にせよ、わが国全体の国益を天秤にかけてギブアンドテイクで交渉し総合的に判断していかねば国益を損ないます。農業面にだけ“しわ寄せ”がくるならそれは国内問題であり、政府が責任を持って国内での利害調整をしなければならないことは当然です。 同時に、わが国の農業が、他の産業と同様に、改革が必要であることもすでに農業界自身でも認識されています。建前と本音を使い分けて口先だけで“改革”を叫ぶ“守旧派”もいますが、見かけは味方に見えても、実はわが国の農業の活性化を妨げているのです。農業が国民を養っているのではなく、逆に、国民から支持されない農業は存続しえないのです。農業が広く国民の理解と支持を得て“新道”を切り開かねばならない時が来ていると思います。農業鎖国はできないのだから、ではどう対応するのかという点について国内各層が議論を深めるべきであって、“農業鎖国はできない”と発言したからけしからんという反応それこそが“不適切”であり改革を妨げるものと考えます。 譲二 (2003.11.5) |
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