農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 第50回JA全国女性大会特集号 農業の新世紀づくりのために

特別インタビュー 小さなことをコツコツと積み上げる
農業も相撲も基本は一緒
高見盛 精彦関
東関 大五郎親方(元関脇 高見山)

 年に6場所開催される「大相撲」は、老若男女を問わず日本人にもっとも愛されてきたスポーツだ。しかし、最近はその人気に翳りが出てきたといわれている。しかし、外国人力士が注目を浴びるなかで、もっとも人気が高いのが、土俵上で肩や腕を動かしたり握り締めたりする「気合入れ」で角界の「ロボコップ」の愛称で親しまれている高見盛精彦関だ。青森県板柳町のリンゴ農家に生まれた関取に相撲のこと、農業のことについて話を聞いた。
 そして、高見盛関を育てた元関脇・高見山の東関大五郎親方に、ハワイから入門した当時のご苦労や相撲についてお話いただいた。聞き手は、坂田正通本紙論説委員。
(このインタビューは16年12月20日に行われた)


◆小さなころから母親を手伝い、力仕事を

 ――関取の実家は青森県板柳町でおじいさんの時代からリンゴ園を経営されていますが、小さいときにお手伝いをされましたか。

 高見盛 他の兄弟よりも身体が大きかったので、収穫したリンゴを運んだり、木箱に入ったリンゴをトラックに積んだり力仕事全般を手伝いましたね。

 ――お母さんは働き者だそうですね。

 高見盛 はい、そうです。朝早くから働いていましたね。

 ――近所で助け合うこともあったんですか。

 高見盛 手が空けば隣同士や親戚の手を借りたり貸したりして、持ちつ持たれつですね。

 ――お母さんは関取が勝ったときだけVTRで見るようにして、負けた相撲は見ないようにしているそうですね。

 高見盛 心配をさせ、不安な気持ちにさせているという意味では、親不孝かもしれないなと思いますね。

 ――それよりも関取が出世された姿をみて嬉しいんじゃないですかね。

 高見盛 相撲を取ることが、いまの自分の仕事ですから、そう思わないとやれませんよ。

 ――いまは独身ですね。

 高見盛 まだ、修行中の身ですし、相撲を頑張らなくてはいけませんから、いまは相撲、相撲でいきたいと思っています。

◆土俵は真剣勝負 勝たなければ何ももらえない

高見盛 精彦関
高見盛 精彦
(たかみさかり せいけん)

東関部屋所属。本名 加藤精彦。
昭和51年5月生まれ。青森県北津軽郡板柳町出身。日本大学経済学部卒業。
アマチュア時代に、中学横綱、国体少年の部個人優勝、アマチュア横綱などのタイトルを獲得。
平成11年春場所、幕下下位格付出で初土俵。12年名古屋場所で新入幕。14年秋場所に小結。この間、十両優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回を受賞(16年11月現在)。得意技は右四つ・寄り
 ――4年前にケガをされましたが、あのときは大変だったのでしょうね。

 高見盛 相撲にはケガはつき物で、自分以上に力がある人でもケガで諦めなければいけないこともあるので、自分も、もうダメなのかなと思いましたね。

 ――それでも療養して…

 高見盛 鍛え直して、なんとかここまできました。

 ――強い人とか大きな力士が前に来ると怖くはないですか。

 高見盛 相撲をとること自体が怖いです。でも、怖がっていたら勝てないと思います。相撲はたった一番でも、お金や地位やプライドとかいろいろなものがかかっている真剣勝負です。勝たなければ何ももらえない。相撲とはそういうものです。

 ――勝てば三役そしてその上に番付が上がるわけですね。

 高見盛 そういう欲を持つと自分がダメになりそうなので、何も考えず一番一番に集中してやるだけです。

 ――相撲を始めたのは小学4年生と聞いていますが…。

 高見盛 部活で入りました。

 ――そして中学横綱になり、国体で優勝し、大学時代にはアマチュア横綱と数多くのタイトルを獲得されましたね。

 高見盛 相撲をとるまでは、ただ身体がデカイだけで、何の取り柄もないと思っていましたから、嬉しかったですね。土俵の上で勝てばみんなが評価してくれますから…。それでずっと続いてきたんだと思いますね。

 ――そして角界に入られたわけですね。

 高見盛 あまり親にすがりつきたくなかったですね。相撲がダメなら力仕事だけでもやる気があれば食えるでしょう。

◆我慢して努力して収穫するのは農業も相撲も同じ

 ――弘前実業高校では農業科でしたね。

 高見盛 そうです。だから、農業関係についてはいろいろ勉強しました。例えば、木の葉だけを見てリンゴとか梨とか、何の木だか分かりますよ。

 ――日本の農業では、関取のお母さんのように女性がよく働いて担っていますが、そういう農村女性の多くが関取のファンだと思いますね。

 高見盛 相撲界はそんなに華やかな世界じゃないですよ。まず、毎日、朝7時頃から稽古稽古の連続ですしね。そういう意味では、農業と似ています。農業は、畑を耕したり、種を蒔いたり、育てたり、小さいことからコツコツと積み上げていきますね。相撲の稽古も四股を踏んだり、鉄砲したり、身体を鍛えて筋肉をつけたり、もうし合いをして技を磨きあったりして、収穫のときが本場所の土俵になるわけです。
 基本的な共通点は、相撲だろうが農業だろうが、コツコツと積み上げるしかないわけで、楽なことなどどこにもないです。自分の場合も、高校・大学を通して華やかなものは何もないです。コツコツと身体を鍛えまくってきただけです。楽をして勝てるのは天才だけです。
 農業は天候で目茶苦茶になることがありますね。自分もケガとかで目茶苦茶になったこともあったけれど、それでも我慢して努力してやってきましたが、そういうことも同じだと思いますね。

 ――世界は違っても、基本的なことを積み上げていかないと収穫できないのは同じですね。

 高見盛 相撲取りにとって一番華やかな舞台は、関取になって勝つことですからね。そして横綱になれば、ブランドものの品種になるわけです。そのためにも基本は、稽古場での努力なんです。

◆勝ったら思い切り嬉しいが負けたら腹の底から悔しい

 ――関取は稽古よりも本番が強いといわれますね。

 高見盛 序口だろうが横綱との土俵だろうが、たった一番の取り組みといわれるかもしれませんが、その一番にお金とか相手との誇りやプライドがいっぱいかかっている真剣勝負だということを分かって、見て欲しいと思いますね。負ければ落ちるし、勝てば出世できるそういう世界なんです相撲は…。

 ――それが勝ったときは意気揚々、負けたときは本当にがっくりしている姿によく表れているわけですね。

 高見盛 自分らは遊びで相撲を取っているわけではないです。とくに本場所は。勝ったら思いっきり嬉しいし、負けたら腹の底から悔しいから、そういう感情が出てくるのかもしれません。

 ――最後に全国の農村女性にメッセージをお願いします。

 高見盛 農家の女性のみなさんも辛いことが多いと思いますが、相撲も一緒です。自分も頑張りますので、みなさんも頑張ってください。

 ――ありがとうございました。
 



ハングリー精神で頑張った現役時代
――東関 大五郎親方(元関脇 高見山)

◆厳しかった親方

東関 大五郎親方
東関 大五郎
(あずまぜき だいごろう)

元関脇・高見山。本名 渡辺大五郎。昭和19年6月 米国ハワイ州出身。昭和39年に高砂部屋に入門。昭和59年5月に引退し、東関部屋を創設。この間、幕内優勝1回、殊勲賞6回、敢闘賞5回受賞。最高位は関脇。初の米国出身関取として大相撲の国際化と豪快な取り口や陽気な人柄で大相撲人気に貢献。著書に「あたってくだけろ!高見山の泣き笑い土俵人生」「わしの相撲人生」「大相撲を100倍愛して!」などがある。

 ――いまは外国人力士がおおぜいいますが、親方がハワイからこられた当時は苦労されたのでしょうね。

 東関 いまは53部屋あって1部屋に平均15人くらいですが、入門した昭和39年当時は23部屋しかなく1部屋に40〜60人いましたから、厳しかったですね。

 ――親方や兄弟子は厳しかったですか。

 東関 師匠(高砂親方・元横綱の前田山)は厳しい人でしたね。昭和41年に扁桃腺を手術してとりました。普通は1週間くらい休むんですが、すぐに稽古しろといわれ、それで声帯がおかしくなり、かすれ声になってしまったんです。兄弟子にも厳しい人がいましたが、将来性がある者か、悪いことをした者はホウキで叩かれました。いまはそういうことはしませんね。

 ――出世していくと馴染んでいくものですか。

 東関 僕の場合はハングリー精神で頑張りましたね。

 ――優勝もされていますね。

 東関 昭和47年ですから、もう30年以上前の話ですよ。

◆野菜の値段が上がると苦労するチャンコ

 ――引退後、部屋を起こされ横綱の曙関も育てられたわけですね。部屋を持たれて何年になりますか。

 東関 私は60歳になりましたが、19歳8ヶ月で入門しましたからハワイが20年、現役時代が20年、そして部屋を持って20年と、ちょうど20年づつですね。

 ――部屋を持つために日本へ帰化もされたわけですね。

 東関 24年前に帰化しました。

 ――きれいな女将さんとも結婚されましたが、部屋を運営するためには女将さんの力が必要ですか。

 東関 運営は全部任せていますから頭は上がりませんよ。

 ――相撲部屋は朝の稽古が終わるとチャンコですが、どういう食材を使われますか。

 東関 うちのチャンコは野菜が多いんですが、いまは野菜が高くて大変ですよ。それから、昔から鶏をよく食べますね。鶏は人間と同じ2本足だから…。

 ――お米はどれくらい食べますか。

 東関 30キロの袋を2〜3日で食べますね。若い人が多いから食事は大変ですよ。

◆相撲人気には波が 早く欲しい日本人横綱

 ――いま相撲人気が下がってきているといわれていますね。

 東関 波があると思いますね。人気を回復するためには、早く日本人の横綱が欲しいですね。

 ――日本の若い人はハングリーではないといわれていますね。

 東関 昔は30人いれば20人がハングリーでしたが、いまは30人のうち10人くらいはいるんじゃないですか。出世するには運もありますしね。

 ――相撲が強くなるにはハングリー精神が必要ですか。

 東関 いままで相撲をやったことがなくても、相撲のセンスとか勘がいい人は覚えが早くて、将来、成功していますね。

 ――そういう将来性のある若い人が親方のところにもいるわけですね。

 東関 いまは、幕内の高見盛と十両の潮丸と2人の関取を含めて15人います。

 ――そこに、(1)おはようという 親愛の心、(2)はいという 率直な心、(3)すいませんという 反省の心、(4)どうぞという 謙譲の心、(5)私がしますという 奉仕の心、という標語が書かれた額がありますね。

 東関 毎朝、声を出して読ませています。そういう気持ちをもつことが大切だからです。

 ――ありがとうございました。

インタビューを終えて(東関親方・元関脇高見山と高見盛精彦)

 パチン、パチンという肌のぶつかる音が外に漏れ聞こえる。東関部屋の朝稽古。土俵を親方の鋭い目が追う。東関親方はハワイ生まれ。入門したのは40年前、外人力士のはしり。ハングリー精神で厳しい稽古に耐え、幕内最高優勝もした。部屋を持って、横綱「曙」を出し、今は人気力士「高見盛」が部屋頭。早く日本人横綱が出て相撲人気を盛り返して欲しいという。
 親方のあと、きちんと着物に着替えて高見盛関。優しい色白の28歳の青年。勝てば意気揚揚と花道を、負ければ肩を落として去る。テレビで大人気。一番一番が真剣勝負ですから内面の気持ちがストレートに表れます。農家が畑を耕し作物を育てるのは、相撲で言えば稽古です。楽ではありません。実家は青森県板柳町のりんご農家。親思いの末っ子。お母さんが初場所に東京国技館で特産りんごを来場者にくばって好評。高見盛関の活躍は親も町の人も誇りではないですか。独身、出会いがないからという。(坂田)

(2005.1.18)


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