農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 改革の風を吹かそう 農と共生の世紀づくりのために

農と共生の世紀づくり 農的な価値をゆっくり主張しよう

大泉一貫 宮城大学事業構想学部長


◆これまでとは違う動き ―感性からの創造の時代

大泉一貫氏
おおいずみ かずぬき
宮城大学事業構想学部 学部長 1949年2月宮城県生まれ。東京大学大学院修了。農学博士。主な著書、『一点突破で元気農業』家の光1993、『ニッポンのコメ』朝日新聞社2001、『大衆消費社会の食料・農業・農村政策』東北大出版会2002、『個の時代のむらと農』農林統計協会2004

 これからの社会は、農的なものをゆっくりと主張する社会になるでしょう。人々の間で、農業はプラスの関心事となるにちがいありません。「おいしい、楽しい、癒される」といった、個人的で、感性に根ざした、日常的価値観が社会をおおうでしょう。
 わが国の価値観は、これまで「都市化・工業化・西欧化」をめざしていました。科学に裏付けられた理性的な価値観です。産業は、ITや金融など、理性を拡大し脳を肥大化させバーチャルな世界を極限まで作りました。
 しかし、その間、私たちはいろいろなことを失ってきました。
 その一つに、実際に「触れてみる」、「経験してみる」といった「身体性」があります。「気持ちいい」とか「おいしい」といった「感性」です。それらは全て理性に従属するものと考えられていたのですから分が悪かったのです。
 しかし、いま社会のあちこちで「自然回帰」や「身体性確保」現象が生じています。「近代」への反動でしょうか。
 たとえば、食べ物は、旬や地域性が求められています。私たちは、これまで、年間を通じて同じものが食べられる事を科学の発展、社会の豊かさと考え礼賛してきました。冷凍してでも年間保存できる技術や加工食品の開発を歓迎し、料理は簡便化し、世界のどの街角でも同じハンバーガーが食べられ、あるいは砂漠の中でも世界標準の清涼飲料水を飲めるようになりました。
 しかし農産物や海産物は自然の恵みものです。季節性や地域性があります。サンマは秋に焼くのが一番うまいし、マツタケの季節やスイカのシーズン、さらには新米の時期などというように、季節性とともにある食材は生活を確かに豊かにします。こうしたことは理性の世界と言うよりは、わくわくするといったような、明らかに感性の世界に属します。
 また、産業といえば、国際性や東京発ということがすぐ頭に浮かびました。農村に工場を立地させ就業者を募集する。高度経済成長時代を通じてわが国の農村を覆ってきたパターンです。それは確かに農民に就業機会を与え生活を豊かにしましたが、その分、むらから創造性というもっとも大事なものを失わせたように思います。
 でも、近年おきているむらの起業は、啓蒙的でも中央集権的でもなく、農家自身の創造性をかき立てています。
 農村女性による起業には、実に身近で感性に富んだストーリーがあります。自分の生活がたまたまビジネスになったとか、楽しみを増やそうとしたらビジネスになった、というものです。社会は、生活に根ざし、隣人を大切にする、創造の時代に入ってきているのです。

◆村は味気なくなっていないか

 農村の価値観もこれからどんどん変わるでしょう。ただ、問題を一つあげるとすれば、むらにある「同調圧力」です。「多様性」が本来の農村や農業の有り様と私は思っています。だが、農村社会には「皆同じ」とする発想で、農家同士が協同したり助け合っていくことが望ましいとする発想が定着しています。それはそれでいいのですが、そうした社会には異質なものを排除する傾向もあります。多様性というのは異質なものがあって初めて成立します。異質があって、共生するから、多様性や多面性が生じるということを忘れないでいただきたいのです。むらは均質で味気ないものになっていないか見渡してみてください。
 課題は、多様な人々が、どう互いの良さを認め合えるかでしょう。「差異」を持つ人々が協調し同居するむらが理想です。農村には、共生の「ものの見方」やその基盤となる価値観の醸成がますます必要となってくるのです。
 それはそんなに難しいことではありません。「脱近代」で「身体性追求」という農の本来の価値観に基づいて社会を見ていけばそれでいいのだと私は思っています。

◆共生のルールと特別枠

 私たちの時代は自由な社会です。自由な社会は、「他人に迷惑をかけない範囲での自由」が認められます。ただ、どんな行為が他人に迷惑をかけるかは、慣習や躾などの社会常識によるよりほかありません。
 先日乗った飛行機では、座席のTVで、他人に迷惑がかかる行為を逐一あげ、乗客に注意を促していました。通路を通るときは座っている客に荷物をぶつけないようにとか、上から荷物を取るときには滑り落ちるから注意して、といったたぐいのものです。新幹線では携帯電話はデッキで使えというアナウンスがよくなされます。
 つまり、共生のためには「迷惑とは何か」について繰り返し共通認識を持たせることが必要になっているのです。
 国が違えば「礼儀作法」が異なり、一方は大丈夫と思っていても、他方では迷惑と思っているかもしれません。その関係は被害者と加害者の関係にもなりやすく、喫煙などはそうした例の一つでしょう。たばこを吸わない人にとって、列車での喫煙はたまったものではありません。そんな時の社会のルールは、両者を分断することしかなくなってしまいます。禁煙車両と喫煙車両の別立てがそれです。
 世の中にはなかなか優劣をつけにくいものが多いものです。
 遺伝子組み換えや、クローン、臓器移植、自然環境保護といった問題もどちらかに決着をつけるようなものではありません。生命倫理や環境倫理が活躍しているものの、それでもなかなか解を与えてくれないのが現状です。
 安楽死や麻薬、売春といったものもその一つなのかもしれません。オランダは、これをある領域に閉じこめ、政府の管理下において許可しています。つまり別枠を設けているのです。我が国の経済特区などもその例といっていいでしょう。

◆野暮か粋か

 話は飛躍しますが、WTOの議論は、自由化、市場原理がルールです。国内保護を削減することが命題となっています。このルールで、多様な国の農業の共存可能性に接近できるのかとなれば、多くの人々が疑問に感じています。事実WTOは、先進国や輸出国に偏っていると批判されています。
 しかし先進国の中でも、農産物の輸出国と輸入国との関係は、喫煙と禁煙の同居状況のようなものかもしれません。新大陸の農業と旧大陸の農業とは果たして同じ農業なのでしょうか。共生のルールは違いを違いと認めたときからはじまります。ルールでなかなか決着の付かない場合には、別枠を設ける寛容さが必要な気がするのです。
 さらにいえば、そうした考えは、国々が交渉して、作り上げるような「こわばった」ものではない方が、はるかにいいと私は思うのです。自然の摂理や、習慣、常識や作法といった暗黙の認識の方が遙かにいいと思います。
 その点我が国は実にうまくやってきたのではないでしょうか。
 日本に来た有名なナチュラリストが、日本にはサンクチャリーや自然保護区が少ないと嘆いたことがあります。同調する人も多かったと聞いています。人間を立ち入らせないことを自然保護と考えているのです。
 保護区や用途地域などの規制が人間の暴挙を押さえるのは確かです。ヨーロッパの都市計画はルールを作って秩序ある美しい町を造ってきました。ただ、我が国では、線引きがあまり機能せず、規制があっても有名無実です。
 どうも、私たちの行動様式には、「ここは人間が住む所」、「ここからは保護区」とする発想はあまりないのではないでしょうか。いつもボーダー(際)を何となくうまくやってきた様な気がします。「際」をどう処理するかが「粋」というものでしょう。いろいろあるものを「調和あるもの」に仕上げる事を、私たちは「和」といってきました。それをルールだ、規制だ、規則だ、と言って四角張った議論をしてしまうのは「野暮」というものです。
 ルールに従わないものは排除するというロジックは野暮の骨頂ということになります。
 たとえば、里山は何となく自然と人間社会の調和がとれた空間ですが、自然があることによって人間の生活に潤いが出、人間の手が入ることによって自然が適度に維持されています。それが「共生」というものでしょう。自然と調和した農業が大事にされ、自然を征服する農業とは一味違い、生物多様性という論理も里山を例に取るとわかりやすいように思います。

◆農的なものをゆっくりと主張しよう

 WTOでは、農業の多面的機能といってもなかなかわかってもらえないようで、我が国は苦戦しています。「粋」だとか、「和」などというのを国際議論に出して理解してもらうような困難さなのでしょう。しかし里山を経験してもらえば、何を言おうとしているのか肌で感じてもらえるのではないでしょか。肌で感じるのが頭で考えるより良いのは間違いありません。
 私は、昔からの考えや老人の知恵といったものをもっと大切にしたらいいと思っています。それでスピードを失うというのなら、別にスピードを求める必要もないのではないでしょうか。脱近代の価値観に基づいて、農的なものをゆっくりと主張していけば、これからの農村も農業経営も安泰だと私は考えています。またそうした考えの中にこそ、共生する萌芽があるのではないかとも思っています。特に市場社会とむら社会の調和ある共生は、もしかしたらわが国が世界でもっともすばらしいものを作りあげるかもしれません。
 直感でしかないのですが、経営理念として、自然や感性や、むらとの共生を射程に入れることによって、農業ビジネスははじめて成長を約束されると、私は思っています。それが正しいかどうかは、今後の推移と読者の判断にゆだねたいと思います。また、これらのことにもしご興味をお持ちの方は、拙著『個の時代のむらと農』農林統計協会をご参照頂ければと存じます。

(2005.1.4)


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