農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 生産者と消費者の架け橋を築くために(2)

 揺れ動く農村 流れに抗する地域


今こそ、農村から新たな豊かさの時代を創る

現地ルポ(2)
山口県・玖珂郡錦町三分一集落



三分一集落
三分一集落

自然の恵みがあるこの土地を守りたい
80歳代の高齢者が新しい時代をつくる

◆20世帯あった集落がわずか4世帯に

 「小さい谷川の清流があり、そこにホタルが群れ飛びカジカもいます。私たちの集落は、小さくとも自然の恵みがあります。それを糧に先祖代々にわたって生活をしてきたのだから、ここを守りたい」。
 中国山地の山懐に抱かれた山口県玖珂郡錦町野谷の三分一(さんぶいち)集落協定の協定代表者・中村利郎さんは、かつて20世帯あった集落が4世帯になってしまったがそれでもこの地で農業を続ける気持ちをこう語ってくれた。今年、82歳になる。
 錦町は島根県と広島県に隣接する山口県の東北部に位置し、町の面積の91%が森林で、北部は西中国山地国定公園に指定された1000m級の山々が峰を連ねている。名水100選・名滝100選で知られる寂地峡もあり「清流のまち・錦町」が町のキャッチフレーズだ。
 しかし、かつて1万2000人あった人口は現在4000人弱までに減少してきている。農業と林業が町の基幹産業で多くの農家が農業と林業を兼業しているという。だが、林業は一般材は取り引きができないほど厳しい状況にあり、米を中心とする農業も米価が低迷し経済効果が発揮できないことが過疎化の大きな要因だと中村さんはいう。
 中村さんたちの三分一集落はかつて20世帯あったが、台風で田畑が流されたり、イノシシやサルによる獣害などによって集落を去る人が増え、いまは残っているのは中村さんたち80歳を超える4世帯だけになった。中山間地域等直接払制度の集落協定のデータによれば、三分一集落の経営面積は、
「田・急傾斜2ヘクタール、田・緩傾斜1.1ヘクタール、畑・緩傾斜0.5ヘクタール」となっている。

 

動力噴霧機導入で協業、共同化が
動力噴霧機導入で協業、共同化が

◆機械導入で協業化が始まる

 ほ場整備がされ田んぼが広くなったことから、平成12年に交付金を財源に動力噴霧機を購入する。動力噴霧機の操作には3人くらいは必要なことから、4世帯による「協業・共同化が始まった」。さらに耕運機からトラクターへ、稲刈りもバインダーからコンバインへと機械化を進める。コンバインを導入したことで従来のはせ掛けを止め、籾乾燥機も導入し、「損得抜きで高齢者でも楽に農作業ができる」ようにする。
 交付金の半分は共同取り組み活動の財源として活用しているが、その取り組みには獣害から農作物を守るイノシシの被害防止柵の設置や傾斜地にある田んぼの景観保全を兼ねた畦畔整備などがある。

◆スーパーから引き合いが 畦畔でのゼンマイ

 畦畔の整備では、砂地なために維持管理が大変なことから何を栽培するのがいいのかいろいろと試した結果、ゼンマイを栽培することにする。ゼンマイの根は横に広がり非常に堅いので畦畔の維持には向いているという。すでに5年目になるが、いまでは岩国市のスーパーから引き合いがくるほど評判がいい。9月になると雑草と一緒に刈り払い肥料として活用もしている。ゼンマイは本来は山林の収穫物だが、山林の手入れができにくくなり採れなくなっていたが、田んぼの畦畔で復活させ、貴重な収入源の一つになろうとしている。
 また「集落に入って、花があれば気持ちがいいじゃないか」ということで、アジサイの苗を作り、集落に植えている。アジサイづくりは、現在では野谷地区5集落にも広がっており「5年先、10年先が楽しみですよ」と中村さん。

◆米も山も止めるわけにはいかない

 中村さんたち80歳を超える4人の人たちが、集落を守ろうと頑張っているいるのはなぜだろうか。
 三分一集落には、かつて萩往還が通っていて、10数人が常駐する番所があった交通の要衝だった。中村家の過去帖をみると300年前まで遡れるという。つまりこの集落は「先祖の人たちが大変苦労して、私たちが生活できる基盤をつくってきてくれた」土地だということ。いまは町にでていっているが「この集落で育った子どもたちもいて、その子たちとってここは故郷だし、いずれは定年を迎えれば帰ってくるかもしれない」。
 そして、ほ場も整備されているし、「いいときには米以上の収益があるマツタケが山では採れるが、人がいなくなれば採れなくなる」。先祖のことそして子どもたちや子孫のことを考えれば、ここで「米も山も止めるわけにはいかない」と中村さんたちは考えている。

◆子どもたちも集落協定に署名し協力

 集落協定を結んで5年。隣の集落から「1町2反歩面倒をみてくれないかと頼まれ」たりもする。そうしたなかで、しだいに協業体としての意識が強まり、18年度からはマスタープランをつくって交付金10割給付をめざそうという意見がでた。しかし、体調を崩した奥さんもいて、先行きに不安もでてきた。
 そこで、お盆の時期に4世帯の子どもたちに夫婦同伴で集まってもらい相談することにする。
 中村さんたちが丹精こめた米と野菜でお握りや料理をつくり、それを食べながら苦労していることや困っていることも率直に話して相談した。
 いまは田植えも収穫も機械でできることもあって、「それなら協力できるよ」とか、「みんなが一緒に来るのはむりでも、連絡をくれれば必要なときに協力する」など、中村さんたちが「思いもせんような、意欲的で協力的な」話がでてきて、2期目の集落協定の協定書に5人の子どもたちが署名をしてくれることになった。高齢でもあり先行きどうなるかと思っていたが「不安が払拭された」。
 中村さんたちの、先祖が代々苦労してつくり上げてきてそれを受け継いだムラ(集落)、子どもたちにとって生まれ育ってきた故郷であるムラを守り、次の世代に渡したいという熱い思いが、子どもさんたちに伝わったということだろう。
 中村さんは「ここで育ってきた子らだから、集落から人がおらんようになったら、マツタケだってだんだん採れんようになることは分かっちょるんですよ」という。ただ、いま一家を挙げて帰ってきても食べていけないという現実もある。定年を迎えたら三分一に戻ろうという気持ちがあり、両親が苦労しているならできるかぎり協力しようということになったのではないか。
 この話し合いはわずか半日だったが「いままでになかったほど、和やかで笑いにあふれていた」という。そして、年に1回は「収穫祭り」をしようという話にまでなったと中村さんは嬉しそうに話してくれた。

三分一集落の皆さん。左端が中村さん
三分一集落の皆さん。左端が中村さん

◆定年後にはここで農業をという非農家も

 平均年齢80歳超という4世帯の思いが後継者である子どもたちに伝わったのには、4世帯が一つになり「協業体をめざし」努力してきたからだといえる。家族だけではなく非農家の人からも「定年退職したら三分一で農業をしたい」という申出もあるという。そういう人も受け入れて「荒地をださないような協業体に育てていきたい」し、そのことを通じて「生きがいを感じられる」ものにしていきたいと語ってくれた。
 そして別れ際に中村さんは「こんな小さな集落でも頑張って農業を続けているんですから、他の地域の同じような環境の人たちも頑張って欲しい」と伝えて欲しいといわれた。

(2006.1.16)



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