省力化と経費節減へ 大豆づくりを共同化
◆地主の信頼を得て
市村さんは借地を増やして経営規模を拡大している。そのためには「地主との信頼関係を築くことが一番大切」と強調。普段の付き合いに気を配り、例えば地主の家の前を通りかかった時はできる限り車を止めて立ち寄り「近況などを話し合うように心がけている」。
「作らせていただいているのだから」と農作業は借地優先で、自作地は後回し。というのは地主の所有地に対する愛着は強く、貸した農地でも田植えや稲刈りが周りより遅かったりすると気にするし、ましてや雑草が目立ったりするのをいやがるからだという。
「あの人に貸すのは考えもの。管理が悪い」などの風評が出ると借地を継続することができなくなる場合もある。それでは規模拡大が進まない。
「とにかく土地集積には年月がかかるから日常的に人間関係を考えた努力が必要だ」と市村さんは集落との共生を心がけ、地域水田農業の担い手として期待されている。
経営規模は水田30ha、うち自作地14ha、借地16haで貸手の地主は16人にのぼる。ほかに部分作業受託地が6haある。
水稲―水稲―麦・大豆の3年4作体系を基本に輪作で大豆の連作障害に対応している。労働力は夫婦と両親の4人。
大豆と麦の本作化に向け、機械の共同利用を目的に、平成10年によその集落の仲間と計3戸の大豆組合をつくった。
それぞれが別の集落なので組合としてのエリアは3集落にまたがり、それだけ土地集積が広域的にやりやすくなった。
◆中古の機械を改良
大豆の刈り取りと麦の種まきは時期が重なって作業が競合する。そこで3戸から計7人が出て作業を共同化している。まず、どのほ場から刈り始めるかを決め、大豆の収穫班と麦のは種班に分け、大豆コンバイン2台を先頭に組作業で効率的に手早く仕事を進めている。
作業を通じてお互いに品質や単収がわかるため、自家の出来具合と比較して、良い意味での競争心を湧かせ、切磋琢磨しているとのことだ。
一方では共同利用の機械を3人とも自分の機械のように大事にし、メンテナンスも自分たちでやり、管理はきめ細かい。
仕事の上だけでなく組合は家族ぐるみの新年会や忘年会、バーベキューパーティを開いてコミュニケーションを深めている。ここにも共生の理念や人の和づくりの考えが基底にある。
市村家は4世代の大家族。祖父母、両親ともに健在で、当主夫妻とその子ども2人の計8人が組合の懇親行事に参加する。3戸の家族を合わせると20人ほどのにぎやかな集まりになるそうだ。
当初、市村さんは大豆コンバイン導入のために同じ集落内での集団化を提起したが、大豆の本作化に対する反応に温度差があったことなどから集落外の仲間と組むことになった。
こうしてコンバインや選別機などの大型機械は共同利用で農機具費を低減し、共同作業で燃料費も低く抑えた。
また市村さんの機械はほとんどが中古の改良品だ。培土機は近くの農家の庭先に眠っていた田植え機を譲り受け、自分で改造して培土板を取り付けた乗用型管理機だ。
◆消費者宅を回って
大豆の乾燥装置も知人から譲ってもらった平型乾燥機と、リース業者に借りた熱効率の良いジェットヒーターを組み合わせた自作の装置で、これにより16年度は長雨による品質低下を免れることができた。
12年度からは両親とともに味噌加工を始めたが、麦こうじ味噌を作るのに麦すり機がないため精米をやめた業者から譲り受けた機械を改造して使っている。精米業者に麦すりを頼むと経費が高くつくので改造機でそれを省いた。
「私が就農したころの米価水準は約2万2000円だった。それが今は1万円台。かといって生活レベルを切り下げるのは至難だ。だから経費が昔の水準のままではどうにもならない」という市村さんのコスト削減対策はまことに厳しい。
肥料や農薬などはJAも含めた数社から見積もりを取ってもっとも安い金額を示した業者から買い入れている。
JAに対する要望の第一番にくるのはやはり生産資材価格の引き下げに一段と努力し、ほかの業者との競争に負けないようにしてほしいということだ。
市村さんは生活クラブ生協に米を供給し、生協と生産者の交流会へも参加している。
東京で生協職員の宅配車に同乗して組合員宅を回り『栃木の黒磯米をよろしく』と地元産米をPRしたところ『生産者が直接きてくれたのだから』とその場で注文してくれた家が5軒に1軒ほどあったという。
そんな経験から「生産者が直接消費地に足を運ぶことが米の消費拡大に一役買うのではないかと感じた。米の問題だけでなく、JAの組合員はいろいろな課題についてJAにものを頼むだけでなく自分自身も行動すべきだと思う。人任せではだめだ」とも語る。
◆米消費の拡大を
しかし組合員としてはどういう行動が求められているのかわからない。だからJAとしては組合員に協力を求めたいことを明確に示していく必要があるとも要望した。
米消費については「朝食にパンを食べていた子どもが大きくなって、ご飯と味噌汁に切り替える可能性はほとんどない」などと深刻な問題点を出し、JAグループ全体が総力を挙げてさらに消費拡大運動を強化すべきだと重ねて力説した。
大豆組合をつくった経験から集落営農については「同じ目標を持った人たちの集まりでないいと、いったんは組織化しても壊れるのではないか。人数が多くなればなお難しい」と指摘。
「集落営農の組織化にはJAや農業委員会などの関係機関による積極的なサポートが欠かせない。その姿勢が土地の貸し手を安心させることになるだろう」と期待を寄せた。
JA青年部の活動については「JA合併で組織が大きくなり顔も知らない人が増えた。そうした中では支部や地区の末端組織からがっちり固めていく必要がある」と提起する。市村さんは青年部黒磯支部東那須地区の副部長だ。
JA全青協としても米消費拡大の課題をさらに追求するとか農政課題に対する発言をさらに活発化することなどが求められているとした。
農政については「農業に魅力がなければ後継者は育たない。自分の子どもに後を継ぎなさいといえる経営にするのが親の役目。次世代のことも考えてがんばっている親の努力を台無しにしないように支援をすることが課題の一つ」とした。
市村さんは集落との共生のもとで借地経営の発展をさらに追求し、100ha規模の経営や法人化も展望する。そうした考え方はどこに由来するのか。
◆手作り味噌が好調
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石造りの味噌蔵で熟成した麦こうじ味噌のパックを手にする市村さん |
そこには父和男さんの存在がある。「父は私が農業に魅力を感じ、すんなり後を継げるようにと早めに土地集積型の借地経営方針を実行し、収入を増やしていた。そのため私は栃木県農業大学校の園芸科でトマトを専攻したが、卒業後は父の路線を継ぐ道を選んだ」という。16年前のことだった。
当時の米価は今ほど安くはなく減反もこれほど増えるとは思わなかった。市村家は先祖代々の稲作農家。大豆作りの最初は手さぐり状態だったが、今では作付面積約12ha、収量は10a当たり270kgで上位等級比率は100%。品種はタチナガハ。JAに出荷し、ほとんどが豆腐になっている。
味噌の自家製造も好調だ。大豆の付加価値を上げ、冬の仕事に良いとして始めた。特に「夫婦麦みそ」と名付けた麦こうじ味噌は贈答用に注文が多い。米こうじ味噌より風味がよいとのことだ。原料の大豆、麦、米はすべて自家産を使った手作り品で1年または2年熟成があり、年間10tを作っている。
後発品は特徴をアピールしなければと昔作られていた麦こうじに着目したが、米こうじより作り方が難しいそうだ。
販売面では市村さんがパソコンを駆使して作った季節の便りを味噌購入者に郵送するなどして固定客確保を図っている。味噌加工も今後さらに事業を拡大し、従業員を雇うため法人化も念頭に置いている。
一方、大豆生産への新技術導入では▽不耕起無中耕無培土栽培による作期の拡大▽無人ヘリによる病虫害防除の省力化▽緩効性肥料による収量の向上などが挙げられ、地域では土地利用型農業のモデル的経営とされている。
なお米は品種が「コシヒカリ」と「ひとめぼれ」で10a当たり収量は16年までの3ヵ年平均で548kg。麦は六条大麦の「シュンライ」で同408kgとなっている。