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シリーズ 歴史を振り返り農協のあり方を考える |
JAをどう利用するか |
◆若者を育てる気風を
梶井 昭和32年に駒口さんは29歳で農協理事に選ばれています。これは大変なできごとだったろうと思います。 駒口 これには前段がありましてね。終戦で価値観の大転換を迫られ、南郷村にできた日本農民組合の青年部は学習会を精力的に開きました。当時の日農は全村加入で、軍国少年だった私も自動的に青年部に入り、学習会に出ました。 梶井 そこには農地改革の影響があるのですか。 駒口 いえ戦前からの気風です。南郷は大地主たちの村で自作農は1割でした(昭和14年)が、いわゆる開明地主が多かった。中には国民高等学校をつくって村に寄付した人もおります。また農地改革の前に農地を解放しちゃった人が2人います。その1人が初代の農協組合長である木村仁さんです。 梶井 「南郷町農協二十年史」には、お米の強権的な供出を迫った県に対して駒口さんらが地方事務所長と直談判した話が載っています。 駒口 あれは農協設立直前の23年冬でした。小川、斎田両青年を先頭に私が事務局長の形で乗り込み、人権無視のやり方に抗議しました。また南郷はよそより多く供出しているのに引揚者たちには十分に配給されていない、供米割り当てそのものがおかしいなどと深夜まで交渉して納得してもらいました。 ◆町ぐるみで米価要求
駒口 前任者は非常にまじめな百姓で、農協運動といえば貯金集めだ、借金なんかするものでねぇ≠ニいう主義で、専務の仕事は借金を断ることといったふうがあったため、若い連中は農協は変わったということを見せるためには私を専務にと推してくれたのです。 梶井 「月給農家」という言葉が二十年史に出てきますが、これはどういうことですか。 駒口 昔は年に一度秋に米代金が入るだけの百姓の生活は秋は大名、夏は乞食≠ネどともいわれました。そこで年間の生活費を月給制のように確保できないものかと平準化を呼びかけたのです。 梶井 その上で毎月の生活費は農協貯金の中から一定額をおろしていくという生活設計を立てさせたわけですね。 駒口 ところが米代金の枠内ではどうしても足りないので、ほかに収入を増やす道を考えなければということで、養豚とか野菜作りを導入し農協の事業を広げました。 梶井 複合経営化ですね。ところで32年に発足した「農職連」という組織は実にユニークな活動をしていますね。 駒口 南郷町農業関係団体職員連絡協議会といい、町、農業委員会、公民館、農協、共済組合、土地改良区の職員で構成し、各機関のトップ層による地域づくりの協議を事務局の立場から支援する組織です。 梶井 60年代、南郷の全町的な米価闘争は全国的に有名でした。農職連も活躍したのですか。米価要求で町民大会を開くなんてほかにはなかったことです。 駒口 稲作農家の実態は当時、平均耕作面積が1町5反で所得は高校卒の農協職員の初任給より低かったと思う。これではどうにもならない、我々にも生活する権利がある、だとすれば米価闘争は権利闘争だという考え方がありました。 ◆進む転作集団づくり 梶井 残念ながら全国的にはそういう形にならなかった。 駒口 そうなんです。後年ウルグアイラウンド(UR)の時、欧州各国の農民デモを見ましたが、これぞ自分たち自身の運動という感じでした。スキやカマを手にフランスデモで道いっぱいに広がり、すごい熱気に圧倒されました。 梶井 日本ではマスコミなんかで運動が孤立させられる面もありますが、一部の人の運動になりがちです。南郷の米価運動はその後も続いたのですか。 駒口 減反政策が始まって、減反反対運動(全国一律1割減反)が加わりました。南郷では減反率が1割から2割になった時、反対運動だけではだめだ、将来展望を本気で描こうという議論が出ました。農職連と農協は、米以外は作れない状況から、何でも作れる農地に変えていこうという運動をしました。一時的には挫折しましたが、再度取り組みをし、今は完成しています。 梶井 生産調整は政策目的を明確にしないまま続いています。水稲作付けはしないが水田機能は保全しようというのは、食料安全保障のための生産力確保対策であり、国が責任を持たなければならない重要政策です。価格安定の手段ではありません。そこが不明確であるため、価格変動を前提とする先物市場開設の要請も出てきます。減反による価格維持説をいいながら先物を容認するのは全く矛盾しています。 駒口 先物は投機に走る人たちのおもちゃですよ。 梶井 JA全中理事の時にはウルグアイラウンド農業交渉の妥結がありましたね。 駒口 私は全中の水田農業対策中央本部長でした。だから責任をとってやめましたが、全体として、そんなケリのつけ方でよかったのか反省しています。というのは日本には欧米のように自国の農業をどうするかという軸足がなかったため団体としては関税化反対一本ヤリで進んだのです。それから、UR対策費6兆円の使い方も大いに疑問です。 ◆小泉改革はおかしい 梶井 本来は、この時、不足払い的所得補てん策を講じなければならなかったんですね。UR対策は無きに等しかった。さて若者たちに話を戻して、JA青年部の盟友に対する注文とかはどうですか。 駒口 例えば、宮城の石ノ森農協の青年部長は合併総会でJA合併反対派を賛成派に変えました。自分の経営方針の演説によってです。 梶井 おれたちは協同でこういうことをやりたい、だから農協は、それが実現できるようにしてほしいという、そういう発言ですね。 駒口 現代における協同組合運動の役割とは何かをもっと考えてほしいと思います。その反対の方向で効率化とか競争を追求すればホリエモンになってしまいます。我々がたたき込まれたのは農協は単なる事業体ではなく組織体であり、運動体である、三つをちゃんとするということでした。 梶井 もちろん経営体としての側面は大事ですが、農協経営を支えるのは、協同の運動に参加しているのだという組合員の意識です。それがないと効率追求になってしまいます。だから意識を高める教育が大切です。 駒口 協同組合運動は教育に始まり、教育に終わるといいますからね。農協批判がはびこり、ホリエモンが評価されるような風潮に対して、今こそ協同組合の助け合い精神を声高らかに訴えるべきです。農協側には何か、やられっぱなしになっている、弁解しているといった感じがあります。 梶井 組合員教育をめぐる問題点をもっと研究する必要もありますね。 駒口 そうです。戦後の日本は民主主義国家、平和国家として再出発しました。その方向に間違いはない。ところが小泉さんはそこを見直そうとする動きを強めています。そんな方向では日本の社会はおかしくなる一方です。私たちが青年部運動を始めたときのことを振り返ると、どう考えても小泉さんのやり方はおかしい。 梶井 やはり強きを助け弱きをくじく新自由主義の考え方ですからね。
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(2006.3.2) |
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