鳥取県八頭郡智頭町にある新田集落は、「交流と文化」をキーワードにした村づくりに取組み、今年で15年になる。17戸、46人が「集落を消滅させたくない。賑わいを取り戻し次代にひきつごう」との思いから立ち上がった。都市住民との交流によって住民たちに自信も生まれ、今は自治組織をNPO法人化し「小さな自治体」づくりをめざしている。大阪いずみ市民生協の組合員との農林業体験交流会が開かれた9月下旬、現地を訪ねた。
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◆子どもの笑い声響く一日
新田集落内を走る県道沿いに「都市との交流・体験農園」の看板がある。9月下旬の日曜日の朝、ここに大阪いずみ市民生協の組合員、職員が集まってきた。大阪から車で約3時間。今日は就学前の小さな子どもたちも含めて50人ほどが、これから稲刈りをする。
新田むらづくり運営委員会・都市農村交流部会の部会長、岡田功さんが「みなさんが春に植えた苗は幸い台風の影響もなく立派に育ちました。がんばって刈りとって」とあいさつ。子どもたちはさっそく鎌を手に田んぼへ。「がんばって刈ろな」、「終わらへんと、ごはん、食べられへんで」などと関西弁が田んぼに飛び交う。稲刈りより、カエルを見つけて夢中で追いかける子も。今日収穫した米は集落で精米にし参加者に直送する。
稲刈りの後は、集落を流れる清流、白坪川で放流したイワナのつかみ取りをした。岩の下に隠れた魚を探すのに子どもたちは大苦戦。全身ずぶぬれになりながら、あっちへ、こっちへと両手を突っ込む。何しろこれは昼食の材料だから必死だ。
お待ちかねのお昼ごはんは、集落の女性たちが前日から用意していた地元の野菜、山菜の煮物や天ぷら、まぜごはんのおにぎり、そしてさっきつかみ取りしたばかりのイワナの塩焼きなどがたっぷりと並んだ。
山里の食材を楽しみながら、集落の人たちと会話もあちこちで広がる。何年も参加している家族とは、もう顔見知りで子どもの成長ぶりなどが話題に。昼食後は丸太伐りや木工細工なども体験した。
賑やかな一日だったが、集落の人たちの準備ぶりは淡々としたもの。長年の経験で役割分担もだいたい決まっているようだ。静かな山村での落ち着いた交流、という印象を受ける。子ども連れで初めて参加したという男性は「こんなにきれいな場所が残っているなんて。大阪とは、別世界、ですね」と話していた。
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(左)家族で手植えした稲が立派に育っていた・(右)岩の下に潜むイワナを探すのに大人も子どもも大苦戦 |
◆「交流疲れ」しない工夫
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新田集落に広がるきれいに枝打ちされたスギ
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新田集落が開拓されたのは江戸時代の初期。戦後は林業も盛んになり今もきれいに枝打ちされたスギ林が集落の特徴ある風景をつくっている。
しかし、農林業の衰退とともに人口は減少。昭和30年には107人いたが、現在は、17戸、46人になっている。農地面積は8haほどだ。
「人がどんどん減ったころ集まれば、何とかせにゃいけん、という話にはなっていた」とむらづくり運営委理事の岡田一さんは振り返る。そんな集落に智頭町役場から持ちかけられたのが、大阪いずみ市民生協との交流事業である。生協では、組合員による農産物の生産現場視察や農山村との交流を重視していた。
一方、集落の話し合いでは、交流の事業の意味を問う声や、これまでなじみのない大阪の住民たちとの付き合いに不安を口にする人もいた。そして何よりも問題となったのは「自分たちだけに負担がかかり、骨折り損のくたびれ儲け、にならないのか」ということだった。交流によってエネルギーが生まれそれが集落の発展につながらなければ事業の意味が問われるという問題意識だ。
そこで交流事業を始めるにあたっては、経費の負担や、村のイベントへの参加約束などを文書として生協と交わした。それも町長の立ち会いのもとで契約し、町も全面的にバックアップすることになった。
これが平成3年のことで、田植え、稲刈りなど農林業体験を中心にむらづくりが動きだす。
◆伝統文化の復活継承も
生協との交流事業では新田集落の農産物を大阪で行われる生協まつりで販売するなど集落から出向く事業にもつながった。また、1日限りの交流ではなく、民泊などで滞在するケースも生まれた。
むらづくりのためのこうした活動を計画的に進めるため、注目されるのは、平成6年に5年間の総合計画を打ち出したことである。戸数17戸ながら集落の総会で議論し樹立した。
そこでは都市・農村交流のための宿泊研修施設整備のほか、鎮守の森の整備、人形浄瑠璃芝居の上演、伝承など、計画の軸として「交流と文化」を掲げた。
とくに人形浄瑠璃は、実は集落の歴史、ここの人々の心に大きく関わる文化なのである。
集落で盛んになったのは明治初期。江戸時代から明治維新への激動の時代のなかで、村人たちの心は荒れ博打などが流行ったのだという。そこで村人のなかからもっと穏やかで健全な風土をつくりだそうとして始まった。人形浄瑠璃は、3人で一体の人形を手繰る。共同作業そのものでまさに心をひとつにした村の発展を願ってきた歴史の象徴なのである。
その練習に集落の人々が改めて取組み、上演するための場所として補助事業などを活用して建設したのが、宿泊交流施設にもなっている「人形浄瑠璃の館」である。現在は集落での上演だけでなく、各地で上演する活動にまで発展してきた。
一方、総合計画はその後、第2次が計画され現在は16年から20年度までの第3次計画に取り組んでいる。そこではこれまでの計画で実現できなかったことに加え、「21世紀はこころの時代」をキーワードにしている。生協との交流現場からはまさに心のなかに染みこむ活動が感じられた。
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後ろが人形瑠璃館。肩に力の入らない交流で人の循環が続く |
◆NPO法人として地域経営
中山間地帯の智頭町の集落では、どこも新田集落と同じような問題を抱えていた。そこで町として平成8年に打ち出したのが「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」である。
この運動の趣旨は、ニッポン一をめざせば限りない競争の世界になってしまうとして、村づくりの論理を、地域住民たちがそれぞれの特色を一つ掘り起こし一歩踏み出すこと、としたものである。住民が主役となって村の誇りづくりを行おうと提唱した。
10年後の姿を描くことや地域外との交流を行うことなど、いくつかの条件をクリアしたものに町が10年間活動経費を助成する。現在、89集落のうち16集落がこの事業を活用して村づくりに取り組んでいるという。
すでに平成3年から交流事業などこの運動の先駆けとなっている新田集落は同事業も活用している。また、平成12年には全国で初めて、集落全体がNPO法人となった。
◆人を惹きつける集落に
第3次総合計画では「小さな自治体」がテーマだ。NPO設立時の会長を務めた岡田一さんは、その意図について「市町村合併が進めばこの集落は完全に周辺地域になる、という危機意識があった」と話す。行政が大きな自治体をめざすなか、岡山県境にあるここでは公的サービスも「後回しにされるならまだしも、サービス中止も覚悟しなければならない」。智頭町は鳥取市と合併しないことが決まったが、自分たちでやれることは自分たちでやってみようというのが基本だ。
たとえば農道の補修や集落内の除雪は住民で行う。また、福祉でも人形浄瑠璃館を活用してデイサービスも実施している。
また、力を入れているのが子どもの教育への貢献と住民自身が視野を広げる活動だ。子どもの教育では毎年「田んぼの学校」と称して子どもたちを対象に1泊で農林業体験、登山、星空観察などをしてもらう。夕食は畑に食材の収穫に行かせ自分たちで作らせる。むらづくりは人づくりでもあるとの考えだ。
一方、住民自身がもっと視野を広げようと始めたのが月1回の新田カルチャー講座だ。12年からスタートしこれまでに70回以上になる。文化人、政治家、経営者などさまざまな講師を呼んだ。弁護士の大平光代さんの講演には町から400人が集まったという。今でも集落外から参加する人は多い。小さな集落が多くの人を惹きつけ、さらに文化の発信の地にもなってきた。
「以前なら田んぼの畦道での世間話で日が暮れるという一日が、それぞれに役割も生まれ人生に楽しさが出てきた。少しだが経済効果ももたらされた」。
ただし、課題もある。自治組織の運営を担う後継者確保や特産物づくりと販売などだ。また、この間、JAの合併により支所が廃止されJAが遠くなったと住民は不安に感じている。一方、JA鳥取いなばでは元支所長をふれあい渉外係として組合員宅を巡回させるという出向くサービスで信用、共済、生活購買などの要望をJAに取り次いでいる。
岡田さんは「何もしなければ過疎化の勢いはもっと増していた。私たちの活動にはまだ課題もあるがメリットもあった。みなこのむらを残したいという気持ちは一致している。JAも作物の栽培技術とか営農指導とかでなく、もっと根幹の山村集落存続のための視点で考えてほしい」と話している。
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