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たにぐち・のぶかず
昭和23年東京都生まれ。東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。名古屋大学経済学部助手、愛知学院大学商学部助教授を経て、平成6年から東京大学大学院農学生命科学研究科教授。 |
神奈川県中央部にある寒川町のJAさがみファーマーズマーケット“わいわい市”を訪問した。寒川町は平塚・伊勢原・厚木・茅ヶ崎市に隣接する都市的農業地帯だ。
ファーマーズマーケットはすでに全国各地に開設されているし、神奈川県でも類似の施設のうちの五番目だから取り立てて珍しいわけではない。しかし、私は久しぶりに「目から鱗が落ちる」思いをした。
売り場面積がわずか90坪の298m2しかないにもかかわらず、2005年12月の開店から1年にして6億円の売り上げを達成した。5年後の目標が4億円だったから、いかに驚異的かはマーケティングの素人の私にもよく分かる。それが店長の菊地達也氏の類いまれな才能によるところが少なくないということは、同氏と数分も会話を交わせばたちどころに理解できるといってよい。マーケティングの観点からは以下の諸点が注目されるところである。
(1)徹底した鮮度重視の姿勢:地産地消、新鮮・完熟、顔の見える安心感を商品コンセプトとして、野菜の8割近くを地元産及び県内産で確保した。これがファーマーズマーケットの神髄=顧客のニーズだと考えた。
(2)基礎野菜の確保という商品構成:献立に関係なく購入する野菜約20種類を確保することを最重視し、結果として地産地消に限りなく近づけた。スーパーとの違いを強く意識し、品揃え競争には踏み込まないとしたわけである。
(3)店長権限を通じた品質管理:粗悪品・鮮度劣化の判断権限を店長が責任をもって厳しくチェックする一方、残品の毎日夕方の引き上げを徹底した。粗悪品を低価格で販売してしまおうとする一部の出荷者の姿勢に転換をもたらした。こうして、商品に対する信頼度が格段に高まった。
(4)消費者に軸足をおいた店づくり:ガラス張りの店舗を道路に近づけて建設し、駐車場は裏側にすることで、道路から店舗内が見えるようにした。また入り口にかけては花卉の鉢物を並べ、見た目にも美しい外観を実現している。さらに、売り場内は陳列棚で遮らないレイアウトにして、レジ・事務室からも全体が見渡せる構成とした。
(5)出荷者に厳しい意識改革を求めた:店長権限による厳しい品質管理と並んで、陳列棚を特定の出荷者に固定することを排して、常に新鮮な感覚で出荷することを促している。ここでも生産者ではなく消費者に軸足をおくという考え方を貫いている。
◆食と農をむすぶ新たな視点
いずれも極めて興味深いコンセプトである。また、これ以外にも多くの点が指摘されねばならないが、筆者がここで強調したいのはその先である。そこには単なるスーパーとは異なる仕方で、生産者と消費者をむすぶJAらしいファーマーズマーケットの新しい姿が示されていると考えられるからだ。
第1に指摘されるのは、店舗の立地を農業振興地域内農用地区域にしたことである。農地転用が原則的に禁止される農用地区域になぜ、あえて出店したのかが問題となるが、これには極めて深い意味が込められている。
実はこうすることによってファーマーズマーケットの隣接地に長期にわたって「農地」が確保されることになる。そこで、この農地を活用して、いわゆる「都市・農村交流」事業を行おうというわけである。農産物を「直売」方式で販売している、その隣で昨年は田植えと稲刈りを組織し、市民に農業体験の場を提供した。直売と交流事業(農業体験)の結合である。
これまでの農業体験はどちらかといえば、「純農村」の農用地区域などで実施されるものが中心だったといってよい。そこでは「直売」=購入と農業体験=生産が切り離されている。この間に橋を架けようというのが“わいわい市”の試みである。注意を要するのはこうした試みは単なる思いつきで実施されているのではないということだ。そこにはJAさがみの「第2次都市農業振興戦略」における「みどりの仲間プラン」に基づく「地産地消による農産物の安定供給」、「環境に配慮した農業生産」とならんで「地域と共生した農業振興」という視点が反映されているからである。ここでの「都市農業」という言葉については後に再度触れることにしよう。
第2に指摘されるのは、“わいわい市”の駐車場の端にあたる場所に「実証展示圃」(温室)が設置され、出荷する農産物に関する技術革新・新品種導入などの普及事業が「直売事業」と結合されている点である。
周知のようにこうした直売所に出荷する主力は高齢者や女性であって、専業農家や法人経営はもっぱら卸売市場流通(あるいは自らの直販)に依存しているのが一般的な姿である。実際、“わいわい市”の場合も(表)に示したように、約9か月の実績ではあるが、出荷額50万円未満が出荷者の半数を占めている。そこで問題となるのが我流ではない、「確立された技術」に基づく生産であり、新品種の導入などの技術革新である。
だが、そうした技術普及のための施設を試験場や特別の実証圃に設けても、高齢者や女性がわざわざ出向くことはないというのが現実であろう。ここにメスを入れたのが“わいわい市”の試みである。出荷者が確実に行くところ、それが直売所なのだから、そこに「実証展示圃」を設ければよいというところが発想の転換である。出荷者は出荷の度に「実証展示圃」をみて、新しい品種を知り、新たな技術に対する理解を深めることができるわけである。このために、「産地から創る地域ブランド実証化モデル事業」といった県単事業を導入する上でも“わいわい市”が農用地区域に建設されることが望ましかったということになる。
第3に指摘されるのは、“わいわい市”には出荷者として専業的な農家群が参入していることである。先の表にも示されているように9か月間のデータという制約があるにもかかわらず、販売額で1000万円以上の出荷者が合計で4人、2000万円以上でも2人が存在しているからである(500万円以上だと合計10人にもなる)。
直売所への出荷者は繰り返し述べてきたように高齢者や女性が多く、どちらかといえば、販売を通じて得た所得で生活しているというわけではない階層が主流である。そこから、一方では出荷量の少なさと不安定性が直売所を経営する側にとっても、消費者にとっても問題点として指摘されることが少なくない。他方で、そのことに規定されて、商品の販売単価はしばしば1袋100円のオンパレードとなり、農業所得で生計を維持する専業的な農業経営者が参入しにくい現実が存在していた。いわば、高齢者や女性のダンピング販売によって、専業農家がはじき出されていたわけである。
しかし、“わいわい市”では基礎野菜の安定的な供給を重視し、施設トマトなどを中心として専業的な農家群の出荷を組織することによって、直売所をめぐる専業農家と高齢者・女性との間の「いさかい」を解決する方向に着実に一歩を踏み出したのである。こうした方向は、神奈川県では最初のファーマーズマーケットである“はだの・じばさんず”においても見られることであり、これまでの専業農家=卸売市場流通、高齢者・女性=直売所という固定観念を打破するような動きとして注目されるところである。それは、ファーマーズマーケットが非専業的な農業者群と専業的な農業者群の共生という新たな段階に入りつつあることを示唆するものといってよい。
◆JAがいかに自治体の協力を引き出すか
ところで、以上のようなファーマーズマーケットを通じた食と農のむすびつきによって地域農業の振興を図るという新たな方向は、決してJAさがみだけの努力によって実現されているわけではない。少し長いのだが次の文章を読んで頂きたい。
「県民は、農業生産活動及び農業の有する多面的機能に関する理解を深めるとともに、次の各号に掲げる事項を行うよう努めるものとする。(1)県内産の食料等の消費及び利用に努めるとともに、農業生産活動への参画及び農業者との交流活動を通じ、基本理念の実現に積極的な役割を果たすこと。(2)県が実施する都市農業の持続的な発展に関する施策に協力すること。」これは2006年4月から施行された「神奈川県都市農業推進条例」の「第6条県民の責務」の部分である。
県レベルの農業振興条例は全国に20以上ある。しかし、農業者の立場が前面に出たものが多く、県が農業を振興することを謳うだけに止まっているのがほとんどである。しかし、神奈川県の条例では「農村」がなくなったものの、全県を「都市農業」の展開する地域とし、農業と農業者への県民の関わりかた=県民の責務を上述のように規定した。県は当然ながらそうした県民の責務が実現できるような環境を整えることが責務となる。先の、“わいわい市”の設立とその後の活動については様々な事業による神奈川県の支援があったことはいうまでもないであろう。むしろ、県とJAの協力によって初めて“わいわい市”が誕生したといっても過言ではない。
条例は第1条で目的を次のように規定していた。すなわち、「この条例は、県民等が日常生活及び事業活動を通じ、都市農業による新鮮で安全・安心な食料等の供給と、農業の有する多面的機能の恵みを享受していることを認識し、県民の日常生活の基盤である都市農業を貴重な営みとして次世代に引き継ぐことの重要性にかんがみ、・・・基本理念を定め」るというものである。大切な点はここでの「県民等」とは「県民及び、農業者並びに農業に関する団体をいう」と定められていたことである。JAがどこまで味方を増やすことができるか、そこにJAの未来がかかっている。
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