◆米国の自由と平等?
安田 マッカーサーがやってきて……というと、米国の話になりますが、実は麗澤大学はアメリカ研究では日本一です。
米国は自由と平等、人種は平等といいますが、それは表向きの謳い文句に過ぎません。実際には黒人やアメリカインディアンを徹底的に差別しています。
アングロサクソンが行ってから約200年の歴史しかありませんが、そのわずかの間にインディアンを徹底的に虐殺し、また森林の80%を破壊しました。そういうことを平気でやった国です。しかも歴史がないから地域のコミュニティがなく、人と人の関係が非常に希薄です。
日本の場合、町内会があり、田舎ではムラ社会もあるわけです。それは縄文時代も含めて1万年もの間、日本人が築いてきた人と人とのすごい関係です。
そういう歴史を持った社会に対して、全く歴史の浅い、しかも表向きと内実の違う国が、ただ戦争に勝ったというだけで、たった数日間でまとめた憲法草案を持ち込んだのです。
そして日本は長い歴史の中で培ってきた人と人の関係とか、あるいは自然のあり方、農業のあり方などを放棄しました。戦争に負けるということは、いかに悲しいかということですよ。
憲法はたまたま内容が良かったものの、我々から考えたらマッカーサーのいうことなんて低レベルというと失礼ですが、そんなに注目すべきものではなかったのです。しかし日本は憲法を金科玉条として守ってきました。
今、真に改革とか革新をやろうというのなら憲法議論に際して、アメリカという国はどんな国かということをよく知らなければなりません。
――ざっくばらんにいって戦後政策を進めた結果が日本の農業を……
安田 破壊したのです。
――国民の意識そのものがよく農業を3Kといったりして、ほんとに一番大切な業であるにもかかわらず、それとは違う価値観を持ち込んだりしたのです。今それを痛切に感じます。
◆すばらしい縄文文明
安田 戦後60年は我々の文明、そして文化の価値を見失った時代だといえます。
アメリカインディアンの研究をしている先生に私は縄文というのは文明だといったら、先生も賛成だと応じました。縄文時代は1万年ですが、人殺しの武器を1回も作っていません。先生はそこを指摘したのです。
ギリシアのアテネなんかの博物館に行くと展示されているのは人殺しの武器ばかりです。我々はそれを文明だと思い、すごいという。一方、縄文人はそんな武器を作っていないから文明じゃないという。そうじゃないんですね。殺戮の武器を作らなかったことに新しい文明の価値を認めるべき時です。
――私はこの前、安田先生の講演を聞いて脳裏に残ったのは縄文のペンダントの話です。もう一度この場で話して下さい。
安田 縄文人は家族を非常に大事にしました。世界で初めて家族をつくったのは恐らく縄文人です。その証拠に最古の土器を作っています。家族みんなが炉を囲んで一緒に食事をするために土器を作ったのです。
函館の9000年前の縄文遺跡から子どもの足型が出ました。生きている子の足裏なら土踏まずはつかないはずですが、これはべったりと全体が型取りされているため死児の足裏に粘土を押し当てたものと推定されます。
親はこの足型を形見のペンダントにして自分が死ぬまで肌身離さず身に付けていたため足型は大人の墓場から出土しました。この発掘は子どもに先立たれた親の悲しさ、家族愛、命の循環を最重要視した縄文人の死生観などを表しているようです。
命の大切さを見つめるという文化を前提に縄文人は稲作文化を受け入れました。なぜか。長江流域からやってきた稲作だったからです。それはヒツジの乳を飲まず肉を食わず、たん白質を魚から摂る稲作でした。
だから森と水の循環系を守るなどの縄文文明が弥生時代になってもそのまま伝承されました。
◆少数民族に学ぶこと
――話は現代に移りますが、中国の少数民族の中に残されているアニミズムと共産党の指導の間には何かあつれきのようなものがあったと思うのですが、いかがでしょうか。
欠端 それは当然あったと思いますが、詳しくは話してくれません。しかし少数民族にはそれぞれの風土の中で長い間生き抜いてきた生活があり、伝統の文化がありますから、それをどう発展させるかということを強く考えていると思います。
けれども指導部は漢民族の考える文化に習えといい、少数民族が培ってきた風俗慣習などを迷信だなどと決め付けます。それでは幹部と民衆とのハラを割った話合いはできません。風土の中で生き残ってきた文化を洗練させる方向が必要ですし、非常に大切なことだと思います。
中国では北方の牧畜的な文化が力を持っています。しかし、南のほうの政治的に力のないような多くの少数民族の生き方、考え方にはすばらしいものがあるわけですから、そこにうんと学んでほしいなと思います。これからの中国には、そうした発想の転換が必要となっています。
――各国とも水資源の確保が国家戦略の大きな課題になっていますが、雲南省の山岳地帯から出る水はチベットのほうからの伏流水ですか。
欠端 いや、とにかく山の天辺から湧くんです。その水を守るために“聖なる林”として森を残しています。そこは伐採だけでなく立ち入りも禁止です。
ところが、中国は今ものすごい木製品ブームで全世界から材木を買い漁っています。ラオスに建設されたダムの底の樹木まで引き揚げる例もあるくらいなので漢民族の業者が聖なる林に来て切り倒していくんですよ。
昔、長安や洛陽の都市建設のため森林を乱伐しましたが、北のほうなので雨量が少なく森林は再生されないままです。必要があっても知恵を働かせて伐採を我慢すべきところは我慢すべきです。
これから中国の生活レベルが上がって使う水の量が増えてきますが、いったい、その対策をどうするのでしょうね。
◆中山間地の切り捨て
安田 例えばアマゾンでは大豆生産のため原生林を開き、そこで暮らしていた少数民族は大豆農園で働き始めましたが、森の中との環境変化に順応できず次々に自殺しました。そういうことが中国の少数民族にも今後起こってくると思います。
カネさえ払えば何をしてもよいという漢民族の商業主義、市場原理主義が拡大していくと少数民族が生きていく環境を破壊してしまうからです。
恐ろしいのは、その次のターゲットが日本であるということです。例えば中国の金持ちが日本の東北の美しいブナ林を買い占めたら日本の農村社会は崩壊します。市場原理主義はカネさえ払えば何をしてもよいという恐しい考え方です。日本の政治家は農山漁村を保存するあらゆる対策を考えるべきです。
――農業・林業・漁業は一体で考えないといけませんね。
安田 行政の縦割りの弊害が大きいですね。
――今の政策を続けていくと中山間地ではもう暮らせなくなります。現在まだ、そこで農業をしている人がいるのにですよ。これは大変な状況です。
欠端 日本の農業者は日本だけでなくアジアの農村部全体で起きていることを見ていく必要があると思います。
私は雲南の変わりかたに、ある方向性があると感じます。それはグローバル化と漢民族化の波が打ち寄せているということです。日本も実は同じその波をかぶっているわけです。そこで何を守っていくのか、何が守れるのか、アジア全体を見渡した上で、これで生き残って行く、これで世界一になるというものを見出していくことが大切だと思います。
――田んぼの生き物調査という農業団体や市民団体の環境を守る活動があり、参加者は体験で農業の大切さを実感し、理解しています。私たちはそれを昨年、韓国でも初めて実施しました。政策論だけではなくて、そうした市民運動のようなものも非常に重要だと考えます。
アジア全体に視点を置き、そうした幅広く消費者も含めた活動を雲南などにも広げて連帯を強めていくことができればいいなと思います。
◆命を原点にした運動起こそう
欠端 そうです。稲作文化、お米の文化の連帯は重要です。連帯の中でお互いの風土や歴史の違いを認識し手をつなぎあいながら、それぞれ自分たちの武器(宝)となるものを見つけ、それをどんどん伸ばしていく、そうであればすばらしいと思います。
安田 我々は1960〜70年の学生運動を体験しました。あれは1つの下から上がってきた改革のエネルギーによるものでした。
中国の天安門事件、米国のニューウェーブ・ベトナム反戦運動などもやはり1つの新しい時代をつくる大きなムーブメントになったと思っています。
それと同じような下からのエネルギーをもう一回噴き出せる運動のテーマはやはり環境問題だと考えます。
地球環境、大地の豊かさ、伝統的な文化をどう保存しながら、我々がどう持続的に生きるか、そこに最大の価値を置いたムーブメントに大衆が立ち上がる時代が多分やってきます。2010年くらいまでに起こるのではないかと思います。
――安保闘争では賛否のパワーがありましたが、環境問題では内なるものを表に出していくようなムーブメントになるだろうと思います。それは市民運動などさまざまな運動でなかなかやってこれなかった部分ではなかったかと私は思います。
安田 命の原点からの叫びに立脚したムーブメントですよ。
欠端 社会の混乱とかモラルの低下がいわれていますが、その1つの原因は命を見つめることを忘れちゃってるからだと思います。部分的に自給を残している生活がいいですね。例えば家庭に花壇があるとかいった――。ところが自給の部分が生活の中に皆無という人が多い。それが背景にあると思います。
また農業に携わる人たちは、「農」が持っているエネルギー、パワーのすばらしさを発信できていないと私は思うのです。
安田 政策そのものが都市本位で田舎を切り捨てているのですからね。命を育む場所を切り捨てていくような政治は改めさせなければいけません。
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