農業協同組合新聞 JACOM
   

特集  食と農を結ぶ活力あるJAづくり −「農」と「共生」の世紀を実現するために−


農山村の新たな挑戦 ―空洞化に抗して(2)

誇りをもって地域を活性化する人たち
これまでの現地ルポから


◆新潟県山北町山熊田集落・さんぽく生業の里企業組合
  生業を受け継ぎ集落に輝きを

さんぽく機

 新潟県山北町は人口7800人、2500世帯が住む。海沿いから山間部まで48の集落がある。昭和33年には人口は1万5000人を超えていたから現在は約半分に減ったことになる。ただ、世帯数はそれほど減少しておらず消滅した集落はない。
 町では、住民がそこに住むことに誇りをもとうとそれぞれの集落の暮らしを見つめ直していく集落づくりに平成2年ごろから取り組んできた。
 本紙が06年新年号で取材した山間部の山熊田集落の名前には、山と熊、そして田んぼが暮らしを支えていた地といわれ、実際に今もマタギの文化が残っていて春には共同で狩りも行われる。
 この集落は町のもっとも奥地で22世帯、71人が暮らす。今、年間7000人ほども都会から人が訪れている。
 とくに宣伝もしていないが訪れる人の目当ては、平成12年に立ち上がった「さんぽく生業の里企業組合」だ。民家を改装してつくった工房で集落の4人の女性が地域で代々受け継がれてきた生業である「しな織り」をつくっている。
 山にあるしなの木の甘皮を梅雨時に剥ぎ取る。それを水にさらし、木の灰汁で煮て柔らかくし帯状の繊維だけ残して乾燥させる。秋から冬の間に、糸にして機織り機で布地にする。その布地で帯やバッグ、帽子などを作って地元のほか首都圏などでも販売している。ほかに木の灰汁に浸して作る餅「アク笹巻き」づくり、さらに集落の旬の食材でつくる郷土料理も味わうことができる。今では年2100万円の売り上げがある。そのうち7割が「しな織り」の販売高だ。

点から線へ、そして面へ

 「生業の里」が核になって、この集落自体にも生業が戻ってきた。たとえば、しな織り用の糸は集落のほとんどの家がここに卸すようになり、生産性も上がっている。
 また、赤カブ漬けもこの土地の伝統的な郷土料理だが、赤カブは山の木を伐採した後に焼き畑をして種を播く。
 赤カブの収穫体験も行ってきたが、今年の夏、初めて山焼きと土ごしらえ、そして翌日の種まきまでの体験ツアーを実施した。山焼きを行うのは夜。闇のなかの炎は感動的でぜひ都会の人にもと企画したところ15人が参加した。集落内の農家に初めての民泊も実現。交流の幅がまた広がっている。大好評で15人の参加者は秋の食文化祭りにもやってきた。確実にリピーターも育てている。
 同企業組合総支配人の國井千寿子さんは「点だった交流が線になりつつある。他の集落とも連携し面にしていきたい」と話す。「生業」と「人」をキーワードにした村づくりが続く。(記事参照

◆鳥取県智頭町新田集落
  「交流」と「文化」で「小さな自治体」づくり

鳥取県智頭町

 鳥取県八頭郡智頭町にある新田集落は、「交流と文化」をキーワードにした村づくりに取り組んでいる。昭和30年の人口は107人だったが、現在は、17戸、46人。農地面積は8haほどだ。
 そんな集落に15年前、役場から持ちかけられたのが、大阪いずみ市民生協との交流事業である。しかし集落では「自分たちだけに負担がかかり、骨折り損のくたびれ儲け、にならないか」という声もあった。そこで交流を始めるにあたっては、経費の負担や、村のイベントへの参加約束などを文書として生協と交わしたうえで田植え、稲刈りなどの農林業体験交流を中心にむらづくりが動きだした。
 むらづくりのためのこうした活動を計画的に進めるため平成6年には5年間の総合計画も打ち出した。計画では都市・農村交流のための宿泊研修施設整備のほか、人形浄瑠璃芝居の伝承など「交流と文化」を掲げた。
 3人で1体の人形を手繰る人形浄瑠璃は、共同作業そのもの。心をひとつに村の発展を願ってきた歴史の象徴でもある。、それが宿泊交流施設にも。
 中山間地帯の智頭町の集落では、どこも新田集落と同じような問題を抱えており町は平成8年に「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」を打ち出す。運動の趣旨は、ニッポン一をめざせば限りない競争の世界になる、そうではなく地域住民がそれぞれの特色を一つ掘り起こし一歩踏み出そう、だ。
 新田集落は平成12年に全国で初めて集落全体がNPO法人となり、今のテーマは「小さな自治体」づくりだ。たとえば農道の補修や集落内の除雪は住民自身で行うことにした。
 また、住民自身がもっと視野を広げようと始めた「新田カルチャー講座」はこれまでに70回以上になる。文化人、政治家、経営者などさまざまな講師を呼び、最先端の知識、情報に接することができると集落外からも大勢の参加がある。
 本紙06年10月10日号では昨年9月に現地を訪ね大阪いずみ市民生協との交流の様子を紹介した。なかには15年前の交流当初からの参加者もいたが、昨年末、新田むらづくり運営委の早瀬会長に尋ねると、その後、その家族は来年から集落に移住することを決めたのだという。集落の人口が増えることになる。福祉の専門家とのことで新たな智恵を期待。交流の成果だ。
 また、昨年秋に中国地方で放映された過疎化問題を討論するNHK番組に早瀬会長は出演。中山間地域の果たしている役割と「交流」によるむらづくりの取0組みを語った。「現実をよく知ってもらい少しでも関心を持ってもらうためには出かけて話すことが大事」といい、1年間の農業体験をしながらまずは「お試し居住」するなどの同集落の実践に反響があったという。
 そのほか鳥取県は18年度に地域提案型のツアーを募集する「観光メニューオーディション」を実施したが集落が提案した「茅葺き民家で田舎生活を楽しもう」が昨年末に採択された。
 現地取材から3か月、その間にもむらづくりは着実に進んでいた。(記事参照

◆山口市仁保地域
  自分たちの問題は自分たちで解決し「近代的いなか社会」を

道の駅・仁保の郷

 06年10月10日号で訪ねた仁保地域は山口市最北部に位置し三方を山に囲まれた中山間地域だ。昭和45年ころに6学級あった中学校の学級数が6から3つに減少するなど、過疎問題が深刻化する。このままでは「ムラの将来が何も見えてこない」。従来のように農協や自治会など地区内にある組織がバラバラで、しかも行政頼りではどうにもならないという危機感から、仁保自治会が呼びかけ、昭和45年に「仁保地域開発協議会」(協議会)を設置。仁保農協・仁保土地改良区など仁保地域のすべての組織が参加する。
 そして山口大学の協力を得た調査結果をもとに、「近代的ないなか社会の創造」を基本理念に「地域開発の基本計画」をまとめる。その心は「都市部に負けんような近代的な生活環境をめざすが、人情だけは古きよき“いなか社会”の伝統を守っていく。農業を大切にするムラづくりこそが仁保を守る」ということだ。
 そして、産業開発と環境整備の目標として、土地資源を農業(林業も含む)的開発に限定農業的開発のなかには、農産物の加工を含む工業の農村導入やサービス業などへの土地利用は考えない、という仁保独自の考え方を明確に打ち出す。と同時に、隣接地域の他産業に通勤就業できやすい道路などの条件整備公害のない優れた自然環境の中で通勤者も距離的ハンディをこえて、近代的生活が享受できるような生活環境と田園都市的な条件整備をすることを打ち出す。
 まず取り組まれたのが道路整備だ。実施地区の選定は経済的効率ではなく「もっとも不便なところから良くする」。そしてその地区の合意をえて自治会が用地を確保してから行政に要請するという「仁保方式」を確立する。条件不利地からという仁保方式はほ場整備でも活かされる。これは、「仁保の問題は仁保の住民で解決していく」という、仁保地域独特の誇り高い住民意識の表れでありムラづくりの大きなエネルギーとなっている。
 ほ場整備後は、農協のライスセンター運営を核に農機具を集団利用する「営農改善組合」を集落ごとに組織し「一集落一農場」を提唱。農家総ぐるみで特産品づくりに取組み少量多品による「彩り豊かなむらづくり」を進める。
 さらに協議会役員や農協が出資して「道の駅・仁保の郷」を開設。平日で1000台、休日は2000台の来店がある。道の駅内の直売所登録生産者などを中心に地域の活動拠点となっている。(記事参照

◆山口県岩国市錦町三分一集落
  次世代に受け継がれる高齢者の中山間地でのムラづくり

三分一集落

 「小さくとも自然の恵みがある。それを糧に先祖代々にわたって生活してきたのだから、ここを守りたい」。かつて20世帯あった集落は現在は4世帯、それでもこの地で農業を続ける気持ちを三分一(さんぶいち)集落協定(中山間地等直接支払制度)代表者・中村利郎氏は06年新年号でこう語った。
 中国山地の山懐に抱かれた山口県錦町(18年3月合併し現在は岩国市錦町)野谷の三分一集落の経営面積は、田・急傾斜2ha、田・緩傾斜1.1ha、畑・緩傾斜0.5ha。かつては農業と林業の兼業だったが、林業が衰退し米を中心とする農産物価格が低迷。さらに台風で田畑が流されたり、獣害などで集落を去る人が増え80歳を超える中村さんたち4世帯になった。
 ほ場整備され水田が広くなったので、交付金を財源に動力噴霧器を購入し、4世帯による協業・共同化が始まる。さらに耕運機、トラクター、コンバインなど機械化を進める。コンバインを導入したことではせ掛けを止め籾乾燥機も導入、「損得抜きで高齢者でも楽に農作業ができる」ようにする。
 砂地のために維持管理が大変な畦畔に根が横に広がり畦畔維持に向いているゼンマイを栽培。スーパーなどに出すと「すぐに売り切れる」状態だという。
 集落協定は18年から2期目に入った。2期目のマスタープランを作成するときに4世帯の子どもたちにも集まってもらい相談する。田植えから収穫まで機械化されていることもあって、協力を約束してくれる。実際に18年産米では、「田植えや稲刈りは若い人たちが手伝ってくれた」と中村さん。お盆にはみんなが集まって「臨時総会を開きその後、和やかにそして楽しく昼食会」をしたという。
 先祖が代々苦労してつくり上げてきてそれを受け継いだムラ(集落)、子どもたちにとって生まれ育ってきた故郷であるムラを守り、次の世代に渡したいという熱い思いが、子どもたちに伝わったということだ。
 これからの課題はとの問いに「みんな年寄りですから車の問題」だという。車がなければ生活できない土地だ。いま、旧錦町の町長だった寺本隆宏氏が理事長となり、錦町町民がみんなで支えあってまちづくりを進めようという新しいタイプの自治組織ともいえるNPO法人ほっとにしきに協力して「交通弱者の考えてもらおう」と思っているという。(記事参照

◆「夢ランド十町」(旧熊本県玉名郡三加和町)
  みんなが主役のムラづくり活発になる都市との交流

夢ランド十町

 旧熊本県三加和町(現在・和水〈なごみ〉町)が人口減少と高齢化、とくに若年層を中心とする生産年齢層の減少から低下する「地域力を維持し向上」させるために打ち出した「里づくり運動〜一里一夢(ひとさとひとゆめ)運動」のモデル地区として、女性や若い人たちが担い手となり、里づくりのトップバッターとして発足したのが「夢ランド十町」(3行政区・6集落)だ。06年新年号で取材した。
 ここでは9年から各集落ごとにワークショップによる意見交換会「夢談義」を行い、集落の現状を見直し、将来の夢を語り合いムラづくりの方向性を模索。そして集約された「夢」は次の通り。
 キャッチフレーズは「みんなが主役のむらづくり」。将来像は安らぎのあるムラ美しいムラ豊かさのあるムラ楽しいムラ皆が主役のムラの5つ。目標は農業でもうけよう十町を知らせよう道路を安全にしよう花いっぱいをすすめよう川をきれいにしようの5つ。役員は集落の枠にとらわれず30〜40歳代が中心となり半数は女性が占めている。
 具体的な活動は農産物直売の推進、郷土料理や農産加工品を受け継ぎ次世代に伝えるための高齢者からの聞き取り。各集落入口にオリジナル看板設置。誰でも親しめる広報誌の発行。季節の花の植栽。水質保全のためのアクリルたわしの製作・配布。カーブミラー清掃と道路危険箇所の点検。通学路での交通指導など多岐にわたっている。
 子どもたちを対象とした「ちびっこ夢ランド」は、お年寄りによる読み聞かせ、農業体験や炭焼き体験などの活動が評価され「18年度あしたのまち・くらしづくり活動賞・子育て支援活動部門」の主催者賞を受賞した。
 三加和町は菊水町と18年4月合併し和水町となったが、里づくり運動は十町だけではなく他の地区でも都市との交流などによって活発になっている。例えば「富貴の里 吉地」は地元種酒造会社の協力を得て「自酒オーナー」事業を立ち上げた。オーナーたちは田植え、草取り・案山子づくり、稲刈りとラベル用手漉き和紙、稲の脱穀をすでに体験、酒ができれば自酒の瓶詰めをし、自ら作った酒を味わうことになる。
 活動は活発になったが町が予算化した補助金へ申請があり交付したのは予算の1/3だという。自主自立した活動になってきているからだ。
 これからの一番の課題は、合併した旧菊水町にこの運動をどう広げていくかだが、里づくりの講演会や先進地への研修などが町によって取り組まれているという。(記事参照

(2007.1.12)


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