農業協同組合新聞 JACOM
   

特集  食と農を結ぶ活力あるJAづくりと女性達の役割



  「女性が元気に生きるために」をテーマにお二方に登場していただいた。家事評論家の吉沢久子さんは88歳。インタビュアーの吉武輝子さんが「後輩に心強いメッセージを贈ってくださっている」という吉沢さんは「戦争中は日常的な自分らしい生き方が否定されるような時代だった」と振り返るが、今、かつてのそうした雰囲気が出てきて「つらくていや」な時代ではないかと語る。家事評論家として農村部も回ってきた経験から、同じ年頃で元気な女性は農家に多く、最近では農産物加工などに取り組む元気な活動が目立つともいうが、一方で、ものをつくることが尊敬されなくなっている時代にもなった。「何がいちばん大事かということを考えながら生きる態度がなくなった」と警鐘を鳴らす。
 一方、タレントの山田邦子さんは、芸能界デビュー27年を迎えるが7年前の結婚を機に舞台や伝統芸能も手がけるようになり「一年生に戻ったよう」。人生の先輩たちとの出会いも増え「これからが楽しみ」という山田さんに吉武さんは「70になってごらん。もっと楽しいから」。吉武さんの夢が「80歳で20歳の男性と結婚すること」には同席のスタッフもふくめて驚いたが、その理由を聞いて山田さんは「う〜ん、なるほど」。自分が楽しく、周りを楽しくも元気な生き方の秘訣のようだ(別掲載)。


吉武さん×吉沢さん

女性の生き方を考える
仲間をつくって情報交換を活発に

◆姑と夫の介護をして

よしざわ・ひさこ
よしざわ・ひさこ
大正7年東京生まれ。本名は古谷久子。文化学院文科卒。評論家の古谷綱武氏と結婚。料理や家事の評論家として活躍。著書は「女の気働き」「私の冠婚葬祭ノート」など多数。

 吉武 吉沢さんの生き方は後輩たちに対し、長く生きていることはすばらしいことだというメッセージを贈ってくださっているようで大変心強く思っています。今、お幾つになられましたか。

 吉沢 88歳です。

 吉武 吉沢さんにとっての心強い先輩はどなたですか。

 吉沢 姑、つまり夫の古谷綱武の母です。姑は女が我慢を強いられる時代に、いやなものはいやと我慢をしないで、好きなことをして生きました。93歳まで人に英語を教えていましたが、その後、認知症となり、96歳で亡くなりました。舅が外交官だったので英語が得意でした。
 私は姑を2年半ほど介護しました。その後、私の夫が倒れ、その介護も2年ほどしました。
 吉武 外での仕事を持ちながらの介護は大変でしたね。古谷さんは理解がありましたか。

 吉沢 いえ、評論家ですから表向きは女性の仕事のよき理解者でしたが、内心ではもっとこまごまと介護してほしかったはずです。明治生まれだから口には出しませんでしたが。私は夫のことを“封建的フェミニスト”と呼んでいました。

 吉武 私の経験では十分に生きていない女性ほど意地が悪いのですが、戦前は生きたいようには生きられず、女は半人前だと信じ込まされ、たいていは家庭にいました。吉沢さんはそうした差別の中で職業婦人として働いてこられたわけですね。

 吉沢 昭和10年ごろ、知り合いから本を書く手伝いを頼まれたのをきっかけに18歳で速記者となり、その後、職業を変えて約70年間働き続けました。

 吉武 私は14歳で敗戦を迎えた時に、女も男と同じく一人前だ、半人前じゃない、といわれてびっくり仰天しました。

 吉沢 私が最初に結婚しようと思っていた相手は医師ですが、戦病死しましたので、敗戦後は私1人で生きていくことをあれこれ考えていました。

◆「美しい国」は恐ろしい

よしたけ・てるこ
よしたけ・てるこ
昭和6年兵庫県生まれ。29年慶應義塾大学文学部卒。東映宣伝部入社、41年退社。文筆活動に入り、43年婦人公論読者賞受賞。著書は「置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年」「おんなたちの運動史 わたくしの生きた戦後」など多数。

吉武 男がたくさん戦死したため、余儀なく独身生活を強いられた女性が20万人近くいました。戦争の被害者なのに、個人に落ち度があって結婚できない人のように扱われた女たちが相互扶助を求めて独身婦人連盟をつくりましたよね。

 吉沢 でも私は結局、独身を通さず、27歳で古谷と結婚しました。しかし今と比べると戦争中は何も考えることができない無我夢中という時代でした。

 吉武 今また戦争への道づくりといわれる教育基本法「改正」案が議会主義とは思えない非民主主義的なやり方で通りました。私なんか徹底的に立派な軍国少女でしたから、国を愛しなさいという教育は怖いのです。

 吉沢 小さい時から愛国精神をたたき込まれ、それが最高の道徳であると信じ込まされていたのですから、軍国少女として生きるほかはなかったのです。

 吉武 安倍晋三首相の「美しい国」ですか、あの本に「命は尊い。しかし国に捧げる命はもっと尊い」とあるのを読んで、学徒出陣壮行会の日(昭和18年)を思い出しました。私も神宮外苑陸上競技場のスタンドで日の丸の旗を振っていましたが、雨の中を行進する学生たちの軍靴の音がいまだに耳から離れません。
 戦後になって「女たちは日の丸の旗を振ってはいけなかった」という女流詩人の詩を読んで泣きました。「女たちは旗を振ることによって国に加担し、生きたいと思っていた男たちを死に追いやり、多くの命を奪うことになった」というような詩でした。
 自分が軍国少女だったから教育がいかに人間性や人格を変えていくかということを私たちは身にしみて感じています。

 吉沢 今、かつてのそうしたふん囲気が出てきていますから何となく、つらくていやですね。

 吉武 「戦争を許さない女たちのつどい」というのを私や吉沢さんの主催で年末に開き、300人くらいが集まりましたね。あの時の吉沢さんのお話は、ごく当たり前の生活が軍靴の音で脅かされるということを自然な言葉で語られ、良かったですね。

◆地域起こしを元気に

 吉沢 戦争中は日常的な自分らしい生き方が否定されるような時代でした。今はね、好きなことをやっています。例えば自分の食べるものくらいは自分で作っています。家庭菜園で。

 吉武 どんなものを?

 吉沢 今はサラダ菜、サニーレタス、コマツ菜、江戸小カブその他です。私は命を育てることが好きなんです。父の出が北海道の余市でリンゴ園でしたから、その影響でしょうか。

 吉武 労働がお好きですね。

 吉沢 同じ年ごろで元気な人は農家の方に多いです。時々出かけていって昔話をします。そういえば料理の話では敗戦直後、農家にはまだフライパンや中華鍋がなかった時代にフライパン運動というのがありました。
 これさえあれば、ちょっとした肉の炒め物などができて栄養が摂れる、1家に1個はフライパンを持とうなんていう新生活運動でした。女の力はそういった身の回りの具体的なことを出発点にして発揮されるんです。

 吉武 吉沢さんは家事評論家として地方をずっと回ってこられましたが、現在の農村婦人の活動についてはいかがですか。

 吉沢 これまでの人脈などから東京にいても情報が入りますが、地域起こしなどに取り組む農村女性の元気な活動が目立ちます。以前は外へ出て工場などで働くほうが良いとする人が多かったのですが、最近は地元に根ざした活動をしています。
 農産物を直売するだけではなく、それをみんなで加工して、パック詰めにしたり、消費地に直送する体制も整えたりして販売しています。最初は小遣い稼ぎから始まったのですが、今では自分たちの作ったものは売れるんだと自信を深めています。
 新商品や特産品の開発にも努力し、例えば私に“ゆべし”の作り方を習いに来ている方もいます。それは私が茶道の先生から教わった作り方ですが、それをまた私が若い人たちに伝授して広げている形です。反対に各産地からは、いろんな主産品などをいただいています。

◆人の話を熱心に聴く

 吉武 1人暮らしの高齢者でも情報交換をすれば“食べ仲間”ができて、それに支えられて生きていけるんですね。ところで吉沢さんは昔から勉強会を続けておられますが、どういう趣旨のものなんですか。

 吉沢 年をとると友人が少なくなるから学習意欲のある人たちが集まろうという趣旨で始めました。いつも10数人が集まります。外交官を父に持つ夫が母国のルーツをもっと知りたいというので日本の古代史が最初のテーマでした。それは必然的に朝鮮や中国への興味につながりますから今では、それぞれが思い思いのテーマに取組み、勉強会で報告し合っています。
 自分の報告に力を入れるだけでなく、人の報告もよく聞いて質問や討論をすることが、お互いの励みになっています。夫がなくなって23年経ちますが、その後を私が引き受けて勉強会をやり、みなさんとの友だち付き合いをずっと続けています。

 吉武 私も夫に先立たれて7年ですが、仕事だけではなく、いろんなグループや運動体に入っているもんだから、高齢者にありがちな引きこもりとか疎外感などとは縁がありません。妹に勧められて63歳からは句会にも出席を始めました。

 吉沢 私は吉武さんの“人持ち”という言葉が好きです。金持ちよりも仲間がたくさんいる人持ちのほうがいいわ。
 それから私は食べることが好きです。話は戻りますが、戦争中は食べるものがなくてほんとにつらかったですね。だから私は野菜を作ることを覚えました。

◆歪んだ社会に怒りを

 吉武 食を楽しむ、その基本にはやはり平和がなくてはいけませんね。それから今は農業とか漁業とか、食べるもの、命の糧を作り、供給する人が一番敬われなくてはいけないのに、そうではなくて、あぶく銭をもうけている人がちやほやされています。おかしな時代です。

 吉沢 ものを作るところに尊敬を持ってほしいですね。

 吉武 食料を作る人の後継者がいないなんていう社会状況にもっと怒らなくてはなりません。

 吉沢 何が一番大事かということを考えながら生きていく態度がなくなってきたんです。

 吉武 うちの娘は看護師ですが、軍事費はどんどん増えるのに福祉や医療の予算が減って本人負担が増えることに怒っています。また高齢者が必要としている療養型の病院が減らされ、その一方でおカネの取れる治療型の病院はどんどん増えているなどの問題もあります。
 介護保険も見直しが続いてホームヘルパーが食べていけなくなっています。そうするといらいらしますから被介護者に当り散らしたりする問題も増えてきそうで心配です。

 吉沢 高齢者社会を良くする女性の会の集まりが仙台であった時に農家の主婦から、こんな話を聞きました。
 寝たきりの舅と病院に入ったり出たりしている姑のめんどうを10年もみてきたけれど、それでも夫のきょうだいたちは私の働きが悪いというので、いつも泣いているけれど、きょうはこの会に参加して、つらい思いをしているのは私1人でないとわかって、ほんとうに良かったというのです。苦しんでいる人がたくさんいるということを確かめる機会がもっとほしいですね。

インタビューを終えて
 吉沢久子語録の中で一番好きな言葉は「時間持ち」。ある年齢に達したらあくせくしないで、自然の恩恵を楽しみながらゆったりと暮らす―人生の最高な贅沢な暮らしを堪能して生きている人だけが持ちうる、他者に対する寛容さ、おおらかさのオーラに包まれたまことに心安らかなひと時だった。
 吉沢さんは一人暮らしだが、めだかという名の同居人がいる。
 「年を重ねると知らないうちに誰かに何かをやってもらうのがあたりまえだという依存心が強くなっていく。だから自分が守ってやらなければ命の火が消えてしまうような、自分よりもはかない命をもった存在とともに暮らしていると、そうしたいぎたない生き方から解放されるのよ」
 とある会の帰りに同乗させていただいたタクシーの中で、語られた穏やかな語り口をまざまざと思い出していた。未曾有な高齢時代に足を踏み入れた今、年を重ねることのすばらしさを体全体で伝えてくださる先輩の存在のありがたさを改めて痛感させられていた。(吉武)

(2007.1.25)


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