2000年から2005年にかけて人口減少した県は31道県にのぼる。市町村数でいえば8割近くが人口減少に見舞われている。京都大学の岡田知弘教授は「ニッポン列島に立ち枯れ現象が起きている」と指摘する。人口移動はその地域での持続的な暮らしが成り立たなくなったことから起きる。それを象徴するのは東京など大都市圏への富の集中だ。しかしその富は決して地方に循環することなく、農山村は極めて厳しい状況に置かれている。格差社会を作りだしたこの「断裂した地域経済」はなぜ起きたのか。そこから抜け出すには自治体やJAにどんな取り組みが求められるのか。今回は岡田教授に分析、提言してもらった。 |
山間部集落、8割超が消滅の可能性
地図上に棒グラフで示したのは1995−2005年の10年間の人口増減数を示した。東京はこの間に80万人以上も増えている。これは高知県の人口とほぼ同じ数だ。一方、減少数が多いのは北海道、秋田、山口、長崎でいずれも6万人以上の減少となっている。
もうひとつの棒グラフは法人2税の偏在状況を示す。全国平均を100とすると東京は263と突出していることが分かる。もっとも低い水準は長崎、高知で42.8。6倍以上の格差がある。
周辺に示した帯グラフは国土交通省が行った集落調査。圏域別に役場(本庁)までの距離を示した。中部、中国、近畿、北陸では役場まで20キロ以上ある集落が多い。前回調査よりもこの割合は急増しており市町村合併の影響が出ている。もうひとつのデータは集落の消滅可能性。「10年以内に消滅の可能性」と「いずれ消滅」を合わせると四国、中部では7%を超えている。地域区分でみると中山間地域では「10年以内に消滅の可能性」が全国で85%に達している。
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グローバル化がもたらした「断裂した経済」と格差拡大社会
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おかだ・ともひろ
1954年富山県生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程退学。岐阜経済大学講師、助教授を経て京都大学大学院経済学研究科教授。自治体問題研究所理事長。おもな著書に『日本農村の主体形成』(共著、筑波書房 2004)、『地域づくりの経済学入門』(自治体研究社、2005)、『協働がひらく村の未来〜観光と有機の里・阿智』(共著、自治体研究社 2007)など。 |
◆「生産」と「暮らし」が分離した現代
人間の生活、毎日の暮らしを成り立たせているものは一体何だろうか。
現代の社会ではお金を稼ぎ、それを使うことで衣食住、あるいは暮らしを楽しむためのサービスや商品を購入して生活を成り立たせている。
しかし、もともと資本主義が始まる以前は、かなり狭い領域でとくに農村部では自給自足的な生活であり、経済とは生産活動と暮らしが重なりあったものだった。
ところが資本主義時代に入るとその分離が始まる。経済活動だけを行う企業が登場し、その活動範囲は企業が立地している地域である必要がなくなる。貨幣という手段を手に入れたことによって、その土地から離れて自由に動き回ることができるようになった。
それがとくに激しくなったのが1980年代半ば以降の経済の国際化だ。グローバル化が叫ばれ多国籍企業という大企業組織が地球規模で経済活動を展開するようになった。
国内でも、地域の暮らしを成り立たせていた経済活動がその土地を離れ活動範囲を広げていった。地方の工場を閉鎖、縮小し企業は海外に足場を移していった。地域の産業空洞化の始まりである。
農村部には1970年代から80年代にかけて多くの工場が進出した。当時は国内でより安い賃金やより広い土地を求めて移動したが、80年代半ば以降はそれを海外に求め出したのである。地方で操業していた工場は農家にとっての兼業先だった。しかし、80年代以降、それが失われていくという事態が起きる。
◆農村を襲った「二重の国際化」
もうひとつ重要なのは企業の海外進出の見返りとして、進出先の国からその国で作られた安い農産物や木工家具類など中小企業製品の輸入促進圧力が加わってきたことである。
実はこの方向を決めたのが86年の前川レポートで、今のEPA・FTA促進の流れにもつながっている。海外に資本を出す代わりに、関税率を引き下げながら商品を輸入していくという取引が行われたのである。その流れのなかで米も含めた農産物輸入が促進され、地場産品であった繊維関係の輸入品も増えてくる。実際、80年代半ば以降、地場産業は大崩壊をしていく。たとえば京都の丹後ちりめんは5年間で3割も事業所が減った。
つまり、地方とりわけ農村地域は、進出企業の撤退という国際化の影響に加え、政策的な国際化による地場産業の衰退や農産物の輸入増大にともなう価格低迷という「二重の国際化」で、農業所得と兼業所得が同時に減っていく状況に追い込まれていったといえる。加えて減反は強化しなければならずコメの収入はさらに減っていった。
二重の国際化はとくにコメの単作地域に大きな打撃を与えたが、畑作や畜産地帯でも輸入増によって同様のことが起き経済的に立ちゆかなくなる地域が広がってきた。事実、90年代不況のなかでも農産物輸入だけは増えているのである。
収入が少なくなっていけば当然、山村、中山間地域では生活ができなくなり、人々はその地域から移動するほかなくなる。こうして社会的移動がかなり進行していく。
◆地方への波及効果ない「景気拡大」
一方、東京をはじめとした都市部には資本が集中し収益も集中している。多国籍企業の現地子会社からの収益移転のほか、日本国内にある工場や大型店からの収益も本社のある東京など大都市とその周辺に集中していく。(図)
結局、所得機会を得るために地方から東京圏などへ人口が移動する。ごく少数の首都圏を中心とする県では人口が増えているが、人口減少している県が圧倒的に多い。
現在、一部上場企業の収益はバブル期を超えて過去最高となっている。その多くが海外からの利益や金融的取引によるものであって、必ずしも国内で生産して収益を上げたわけではない。ここが高度経済成長期とはまるで異なっている点だ。つまり、地方への経済波及効果がない括弧付きの「景気拡大」なのである。それが現代の特徴を表している。
この点も高度経済成長期のいざなぎ景気とはまったく違う。あの時代は、地域の地場産業も輸出していた。また、確かに人口が都市に流出して農村部は過疎化していったが、農産物の価格支持政策があったために都会で上昇していく賃金ベースに連動して生産者価格が決まった。つまり、所得倍増政策の波及効果が農家まで及んだ。また、輸出する力を持っていた地場産業は兼業先でもあった。産業間でも地域間でも、あるいは階層間でもそれらのつながりがあるなかで経済成長効果が国内に波及した。
ところが、こうした関係は現代にはほとんどない。
一方、東京といえども、たとえば、その足もとをみれば就学援助世帯率が4割にも達する地域がある。その原因のひとつは国際競争に打ち勝つための、低賃金のパート・派遣社員など非正規雇用の活用だろう。それが地域全体の消費購買力を弱め、しかも地域に進出した大型店がそれまで地元の商店が受け取っていたお金を吸引、それがまた本社のある東京に還流していく。こうして地域のなかのお金の流れがどんどん断ち切られ縮小させられていく。
このような「断裂した地域経済構造」になってきているのではないかと考えている。
◆「小企業が地域の背骨」EUに学ぶべきこと
同じようにグローバリーゼーションを進めながらしっかり地域経済を保持しているヨーロッパとの違いはどこか、そこが問われている。
食料自給率、なかでも穀物自給率は英国でも100%を超えているし、条件不利地域でもしっかりと作付けが行われている。
実はEUでは小企業憲章を2000年に制定している。これは「ヨーロッパ経済の背骨は小企業である」という有名な文章から始まる。
イタリアが典型だが、雇用や社会生活、文化を支えているのは小企業と協同組合である。小企業には農家も含まれるが、それらをしっかり維持するような政策体系、国づくりが必要ではないかという方向にEUは進んできている。
地域の暮らし、文化を保持した形でグローバル化圧力に抗して独自の産業・通商政策をとって生きてきた。一方、日本はそうした政策をとってこなかったというのが極めて問題ではないか。政策的な要因が、今の日本列島の立ち枯れ現象の大きな要素になっているのではないか。
農村こそ「地域内再投資」の仕組みづくりを
◆問題多い地方分権論議
地方が厳しい状況におかれるなか、地域の自立のための地方分権が叫ばれている。
しかし、今日の地方分権論にも問題が多く、とくにどれだけ地方自治体が決定できる範囲を持つのか、国との関係が財政面も含めてきちんと整理されていない。
実は国の純歳出額と地方のそれをくらべてみると、85年を100とすると05年に国は115にまで伸び、地方はどんどん減少して92になっている。「小さな政府」と言いながら、国はそうはなっていない。この間の構造改革では一方的な地方財政の切りつめだけをやってきたことになる(図)。
片方で権限を与えると言っているが、財源委譲をせずに権限だけ与えられても人々の生活は維持できない。しかも、この間の財源委譲の考え方は交付金に依存せずに独自の財源を確保してまかなうべきだという議論が前面に出てきている。
しかし、本来は地方に入るはずの法人税などは東京に本社があるために東京に集中してしまう。この富の再分配なしで道州制や新しい交付金制度を作ったとしても地方財政は極めて低水準にとどまるのではないか。たとえば、関西圏はヨーロッパのある国の経済規模がある、だから、国並みの扱いにすればいいという議論がある。しかし、実際には、この地域の経済的富は東京に吸い上げられてしまう構造にある。そうした経済主体にいわば手出しができないとなれば、道州制政府にしても弱体なものにしかならない。まず第一次的にその地域にある企業に税を課すことができる課税権が必要になるだろう。しかし、政府の道州制論議では東京の国際競争力を落とすべきではなく、今の富の再分配構造に手を加えるべきではないという。そういうかたちで果たして地方分権なるものが実行できるかどうか、甚だ疑問だ。
市町村合併についても大きな問題がある。
地方自治体の役割には団体自治と住民自治という2つの側面があり、団体自治の側面だけを見ると合併すれば規模が大きくなり自治体の扱う予算額は確かに増える。しかし、住民自治の視点から見るとどうか。
たとえば、住民からすれば議会が遠くなるだろう。これまで議員がいた地域から議員がいなくなってしまい地域の声が伝わっていかないということになる。財政では合併すれば交付金が削減されるため一人当たりの交付金が少なくなってしまう。しかも合併市町村の中心部、あるいは開発拠点地域にまとまったお金が投下されて周辺部に投資されない可能性のほうがはるかに高いのではないか。
また、それまで存在していた役場は大きな雇用を有し、財政を通して経済活動も行っていたが、役場がなくなることによって、商店などの地域経済の力が落ちていく。それはまた財政収入を確保する住民の担税力も弱体化していくことを意味する。
こう考えると合併によって一見、団体自治としては規模が大きくなるかもしれないが、住民自治は後退するということになる。地方自治体としての権能はかえって小さくなっていくのではないか。地方分権論議、合併推進論議では、こうした点について非常に鈍感なままの議論が横行しているのではないか。
◆人と人との関係の豊かさ実現する農山村を
地域を活性化するためにはたとえば企業誘致が必要だというのは分かりやすい。しかし、その活性化のイメージとは自治体財政の収入が増えるということしかないのではないか。何もない地域に企業が進出し税金を払ってくれれば自治体としては生き延びることはできるかもしれない。しかし、その工場はパートやアルバイトばかりで、それも周辺の町からマイクロバスで工場に勤めにくる、という状況で地域は活性化したといえるだろうか。どこかからお金を生み出すタネを取ってきて金銭的に豊かになるということだけでいいのだろうか。それは奪い合いであり、一方でどこかの地域が負けているということでもある。
そうではなくたとえば地域住民一人ひとりが得意技を作ってある商品をつくって、お互いがつながりあって何かしら消費活動が生まれていけば波及効果が出てくる。高度経済成長期の経済発展の好循環と同じようなことが地域ベースで起きてくることになる。こうして地域内で再投資する仕組みを考えていくことが地域に求められているのではないか。
しかも一人ひとりが得意技を持ちこだわりを持って生産し、それが消費者に喜ばれるというのは、お金以上に生きがいという対価を得ることになる。人と人との関係が豊かになっていく。また、農林業分野での地域内再投資がすすめば、国土の保全効果も高まる。
宮崎県綾町の有機農業の里づくりの根源にあったのが、一家一品運動である。農産物に限らず一つの家に一つの得意なものを作ろうという運動を公民館活動として続けていた。それは一人ひとりの個性を高めていくことであり、自然と共生しながら持続的に地域に住み続けるための取り組みでもある。
長野県阿智村は、進出した企業の撤退や観光ブームの終焉を経験し地域づくりの方向を変えた。
村には温泉があるが、温泉権を村が確保し歓楽街的な温泉地ではなく健康・保養型の温泉地づくりに向けて盛り場化することを抑制し、片方で集落の人々が農産物を販売できるようなスペースを確保した。一人ひとりが得意なものをつくって有利販売していった。所得を上げるだけでなく、生きがいをみつけていく機会を意識的に創造してきた。これが豊かさの本質ではないか。岡庭村長の、人々の人生の質を高める村づくり、という言葉が象徴的である。
地域のなかの農業も、もちろん所得を上げることが大切だが、良いものを作って喜ばれ、お互いが高めあえるような地域社会を作っていくという仕組みづくりを、自治体と住民が協同して追求することによって、地域が豊かになるのではないか。
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