農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 系統農薬事業にデュポン社の果たした役割
    「DPX―84」の上市20周年を振り返って


特別対談

草取りの重労働から生産者を解放した除草剤

山ア周二JA全農肥料農薬部長
大谷正志デュポン ファームソリューション(株)代表取締役社長


 水稲における農作業の中でもっとも重労働とされているのが、草取り作業(雑草防除)だ。この重労働から生産者を解放してきたのが、水稲用除草剤の開発とその普及だといえる。なかでも今年で上市20周年を迎えた「DPX―84」(ベンスルフロンメチル、以下「DPX―84」)は、水稲用除草剤のスーパースターだといえる。そこで、水稲用除草剤を中心に系統農薬事業の歴史と現状、そのなかでデュポン社の果たしてきた役割などについて、山ア周二JA全農肥料農薬部長と大谷正志デュポン ファームソリューション(株)代表取締役社長にお話いただいた。司会は、本紙論説委員の坂田正通。


◆50時間から1時間半へ省力化を実現

山ア周二JA全農肥料農薬部長
山ア周二JA全農肥料農薬部長

 ――昔から農作業は重労働とされていますが、その中でも特に除草作業は骨の折れる作業だったと思います。しかし、水稲用除草剤が開発されてからは格段に除草作業が楽になり、現在では除草作業を重労働に挙げる農家はかなり減りました。農薬の話をするときに、そういったメリットが話されず負の部分だけが強調されることが多いと思いますが山ア部長いかがですか。

 山ア 日植調のデータによると、いまから60年くらい前の昭和24年には、田んぼでの除草作業に10アール当たり約50時間かかっていました。その後に水稲用の除草剤が開発され、昭和45年ころには約6時間に短縮され、現在では1.5時間とされています。そういう意味で、労働力の省力化に果たしてきた除草剤の功績は本当に大きいと思います。

 ――一気に50時間が1.5時間に短縮されたのではなく、その間、いろんな水稲用除草剤が登場してきているわけですね。

 山ア 古い水稲用除草剤としては昭和25年の「2、4―D」とか、昭和32年の「PCP」などが挙げられますが、その後に一時代を画したというか、水稲雑草防除を一変させたのが、三井東圧(現・三共アグロ)の「MO」とクミアイ化学の「サターン」による「MO・サターン」体系です。つまり初期除草剤として「MO」を使用し、その後でてくる広葉や取りこぼしたヒエなどに対しては「サターン」を用いたわけです。全盛期は昭和40年代から50年代の中頃までです。
 この時期には除草のために少なくとも2回は水田に入っていたわけです。それが、昭和50年代の中頃に三共(現・三共アグロ)が「ピラゾレート」という成分を開発し、それを適期に1回使用すれば広葉、ヒエを同時に防除できる。仮に取りこぼしがあっても、ヒエ剤を組み合わせればよかったのです。当時は、日植調も「一発剤」という呼び方ではなく「体系是正剤」として分類していましたが、広く試験され普及しました。
 「ピラゾレート」によって一発剤の時代が開かれましたが、「DPX―84」が昭和62年に燦然と登場すると、その効果の長さと効果の幅の広い特性から、スルホニルウレア(SU)系の除草剤が、またたく間に優れた広葉剤として主流を占めるようになりました。

10a当りの除草時間

◆適用性が幅広く、薬量の低さに驚かされる

大谷正志デュポン ファームソリューション(株)代表取締役社長
大谷正志
デュポン ファーム
ソリューション(株)
代表取締役社長

 ――「DPX―84」の由来は…。

 大谷 デュポンの開発コードで、正式名称は「DPX―F5384」というコード番号だったんですが、長いので「DPX―84」と短縮したわけです。

 ――それは突然発見されたのですか。

 大谷 リード化合物として昭和50年にスルホニルウレア系の化合物として米国デュポン社で発見され、非常に微量で活性が高く、しかも安全性が高いことが見出され、いろんな作物への適用の探索が始まりました。水稲へも適用できるのではないかということで、昭和55年に「DPX―84」が米国で創成され、主要な水稲産地である日本を中心に世界的に展開しようということで開発が進められてきました。

 ――もともと、水稲ではなかったんですか。

 大谷 初めは小麦、大豆、とうもろこし、非農耕地などが主体でした。そうしたなかで水稲に対して湛水状態で非常に安全性が高いということで選抜されたのが「DPX―84」です。昭和55年に選抜され、日本にもってきたわけです。57年から日植調において単剤と「ベンチオカーブ」との混合剤である「DPX―84A」への公的試験が本格的に開始され、62年に日本初のSU系一発除草剤として登録認可されました。

 ――試験展開の中で何か印象的なことがありましたか。

 大谷 ヒエ剤と混ぜることで水稲に対して安全であること。さらに、薬量の低さに目を見張るものがありました。通常だと、1ha当たり有効成分量として3〜4kg必要でしたが、51g〜75gの薬量で処理できることが分かりました。さらにヒエ以外にも適用性が幅広く一発剤としての可能性が広がりました。

◆有力なヒエ剤との組合せでシェアトップを維持

 ――当時はデュポン社は原体メーカーですね。

 山ア そうです。デュポンが国内の製剤メーカーに原体を供給し、その製剤化されたものを全農が買っていたわけです。また、製剤メーカーは、「DPX―84」と組み合わせるヒエ剤、これには自社のもの、他社から導入したものといろいろありますが、その組み合わせの違いによってそれぞれの特長をだして、自社の独自品目として販売したわけです。例えば、クミアイ化学は、「ベンチオカーブ」との組み合わせで「DPX―84A」を製剤化し、商品名「ウルフ」として販売しました。また北興化学は「ジメピペレート」(旧・三菱油化)との組み合わせで「プッシュ」を、三共はバイエルの「メフェナセット」との組み合わせで「ザーク」を製剤化しました。これは三共、バイエル(旧・日本特殊農薬製造)、クミアイ化学の3社が取扱い、その後、もっとも普及しました。

 ――系統農薬事業にとって、「DPX―84」の登場は画期的なできごとでしたか。

 山ア ほとんどのメーカーが「DPX―84」剤を取扱いましたので、全農としてはそのなかでさらに良いものを選ぶため平塚にある営農・技術センターで効果面など十分な試験を行い、平行して現地試験、合理化圃場試験などを行いました。試験する中で、広葉に対する殺草スペクトラムが広いことから、水田が非常に見栄えがよくなったことが印象として残っています。
 さらに、有力なヒエ剤との組み合わせの力により、後ろの方までヒエも生えてこないということで、広葉、ヒエともに1回の処理で、普通の雑草の発生量であれば、適期に使用することで、中期剤、後期剤を使わなくても十分に雑草を防除できるという評価でした。

 ――「DPX―84」は、系統農薬事業においてどのような存在ですか。

 山ア 「DPX―84」は、系統農薬事業の大きな部分を占め、事業の柱ともいうべき存在です。同剤の普及率は、水田面積の約60%を占めており、これからも重要な剤の1つとなるでしょう。
 大谷 まだ競合剤が揃っていなかった平成7年には、普及面積165万haで、シェアは85%位でした。
 山ア 「DPX―84」は、剤型として1kg剤、3kg剤、フロアブル剤、ジャンボ剤などがあり幅広い農家ニーズに応えることができたこともありますね。

◆サイエンスとテクノロジーを通じて農業に貢献

 ――この20年を振り返るといくつかの山がありましたか。

 大谷 3つの山があったと思います。1つ目は、昭和62年の登録ですが、SU剤の中で本当の一発剤として多年生雑草まで防除できることが確立され1つのステータスを確立したことです。2つ目は、剤型の品揃え・改良であり、3つ目は、抵抗性雑草対策剤の開発です。
 これらは、全農をはじめ、各原体・製剤メーカーのご支援の賜であり、これからも技術的には組み合わせと、関係者の皆様とのパートナーシップを大切にしたいと思っています。DPX混合剤の品目数では100以上に上っています。

 ――今後の開発については。

 大谷 競合相手の剤を見ながら、農家ニーズに対応した剤を、現場担当者の経験とアイデアを活かしながら研究開発部門との、相乗効果を発揮して新たな製剤を開発していきたいと思います。
 私どもは、農業科学企業を目指しています。サイエンスとテクノロジーを通じ農業に貢献できるものの構築です。これは、製剤メーカーやJAグループの支援を受けないと成立しないと思います。これからも皆様のご協力をお願いしたいと思います。
 坂田 全農としてデュポン社にかける期待と今後の農薬事業について…。
 山ア 今日は「DPX―84」がテーマですが、デュポン社は、新規殺虫剤などいろんな剤をもっておられます。これらを、きちんと開発され、よりいっそう日本農業に貢献し続けて頂きたいと思います。そしてデュポン社の取組み姿勢を、農家、消費者によりいっそうアピールして頂きたいと思います。
 今後、全農としては、ポジティブリストなどの問題がありますが、農薬の安全性を担保することを最優先に考えなくてはならないと思います。私どもは、日本の農作物が世界の中で一番安全性が高いと自信をもっていますが、さらに消費者に安全性を提供するには、ポジティブリストや生産履歴記帳などに、生産者がきちっと対応していくことがもっとも重要だと思っています。これには、デュポン社のような影響力のあるメーカーの協力も欠かせないと思っています。
 坂田 長時間、ありがとうございました。

剤型の変遷

対談を終えて
 田んぼの除草作業は、重労働だった。昔は特に農村女性に草取りの役回りが多かった。老いると腰が曲がった。草取りの辛い農作業が農家の嫁になりたくない理由の1つだったといってもいい。優れた水稲除草剤の出現により、この作業から解放された。1反歩に費やす除草の労度時間は50時間から1時間に激減した。植物だけに存在する生長酵素の働きを抑制して雑草をやっつけるのだという。田んぼの小動物には全く影響なく、安全であるという。全農の山ア肥料農薬部長は、種々の課題処理に連日全力投球。ゴルフはしない。週末は図書館通いと自転車で自宅近くの江戸川沿いや柴又帝釈天近くをサイクリングしてリフレッシュする。たまに奥さんと子供3人の家族で外食するのが楽しみと言う。大谷社長の週末は、犬と散歩しながら風景を眺め、俳句を詠むのが趣味。ネットにブログも書き込む。米国デラウエア州にある本社勤務の経験もある。農業や環境について、需要者代表の全農と外資系農薬メーカー経営者がじっくり話し合う機会はそう多くはなさそうだ。新聞社での対談も、次の施策を考えるには有意義ではないか。(坂田)

(2007.10.26)

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