|
||||
特集 系統農薬事業にデュポン社の果たした役割 |
◆50時間から1時間半へ省力化を実現
――昔から農作業は重労働とされていますが、その中でも特に除草作業は骨の折れる作業だったと思います。しかし、水稲用除草剤が開発されてからは格段に除草作業が楽になり、現在では除草作業を重労働に挙げる農家はかなり減りました。農薬の話をするときに、そういったメリットが話されず負の部分だけが強調されることが多いと思いますが山ア部長いかがですか。 山ア 日植調のデータによると、いまから60年くらい前の昭和24年には、田んぼでの除草作業に10アール当たり約50時間かかっていました。その後に水稲用の除草剤が開発され、昭和45年ころには約6時間に短縮され、現在では1.5時間とされています。そういう意味で、労働力の省力化に果たしてきた除草剤の功績は本当に大きいと思います。 ――一気に50時間が1.5時間に短縮されたのではなく、その間、いろんな水稲用除草剤が登場してきているわけですね。 山ア 古い水稲用除草剤としては昭和25年の「2、4―D」とか、昭和32年の「PCP」などが挙げられますが、その後に一時代を画したというか、水稲雑草防除を一変させたのが、三井東圧(現・三共アグロ)の「MO」とクミアイ化学の「サターン」による「MO・サターン」体系です。つまり初期除草剤として「MO」を使用し、その後でてくる広葉や取りこぼしたヒエなどに対しては「サターン」を用いたわけです。全盛期は昭和40年代から50年代の中頃までです。 ◆適用性が幅広く、薬量の低さに驚かされる
――「DPX―84」の由来は…。 大谷 デュポンの開発コードで、正式名称は「DPX―F5384」というコード番号だったんですが、長いので「DPX―84」と短縮したわけです。 ――それは突然発見されたのですか。 大谷 リード化合物として昭和50年にスルホニルウレア系の化合物として米国デュポン社で発見され、非常に微量で活性が高く、しかも安全性が高いことが見出され、いろんな作物への適用の探索が始まりました。水稲へも適用できるのではないかということで、昭和55年に「DPX―84」が米国で創成され、主要な水稲産地である日本を中心に世界的に展開しようということで開発が進められてきました。 ――もともと、水稲ではなかったんですか。 大谷 初めは小麦、大豆、とうもろこし、非農耕地などが主体でした。そうしたなかで水稲に対して湛水状態で非常に安全性が高いということで選抜されたのが「DPX―84」です。昭和55年に選抜され、日本にもってきたわけです。57年から日植調において単剤と「ベンチオカーブ」との混合剤である「DPX―84A」への公的試験が本格的に開始され、62年に日本初のSU系一発除草剤として登録認可されました。 ――試験展開の中で何か印象的なことがありましたか。 大谷 ヒエ剤と混ぜることで水稲に対して安全であること。さらに、薬量の低さに目を見張るものがありました。通常だと、1ha当たり有効成分量として3〜4kg必要でしたが、51g〜75gの薬量で処理できることが分かりました。さらにヒエ以外にも適用性が幅広く一発剤としての可能性が広がりました。 ◆有力なヒエ剤との組合せでシェアトップを維持 ――当時はデュポン社は原体メーカーですね。 山ア そうです。デュポンが国内の製剤メーカーに原体を供給し、その製剤化されたものを全農が買っていたわけです。また、製剤メーカーは、「DPX―84」と組み合わせるヒエ剤、これには自社のもの、他社から導入したものといろいろありますが、その組み合わせの違いによってそれぞれの特長をだして、自社の独自品目として販売したわけです。例えば、クミアイ化学は、「ベンチオカーブ」との組み合わせで「DPX―84A」を製剤化し、商品名「ウルフ」として販売しました。また北興化学は「ジメピペレート」(旧・三菱油化)との組み合わせで「プッシュ」を、三共はバイエルの「メフェナセット」との組み合わせで「ザーク」を製剤化しました。これは三共、バイエル(旧・日本特殊農薬製造)、クミアイ化学の3社が取扱い、その後、もっとも普及しました。 ――系統農薬事業にとって、「DPX―84」の登場は画期的なできごとでしたか。 山ア ほとんどのメーカーが「DPX―84」剤を取扱いましたので、全農としてはそのなかでさらに良いものを選ぶため平塚にある営農・技術センターで効果面など十分な試験を行い、平行して現地試験、合理化圃場試験などを行いました。試験する中で、広葉に対する殺草スペクトラムが広いことから、水田が非常に見栄えがよくなったことが印象として残っています。 ――「DPX―84」は、系統農薬事業においてどのような存在ですか。 山ア 「DPX―84」は、系統農薬事業の大きな部分を占め、事業の柱ともいうべき存在です。同剤の普及率は、水田面積の約60%を占めており、これからも重要な剤の1つとなるでしょう。 ◆サイエンスとテクノロジーを通じて農業に貢献 ――この20年を振り返るといくつかの山がありましたか。 大谷 3つの山があったと思います。1つ目は、昭和62年の登録ですが、SU剤の中で本当の一発剤として多年生雑草まで防除できることが確立され1つのステータスを確立したことです。2つ目は、剤型の品揃え・改良であり、3つ目は、抵抗性雑草対策剤の開発です。 ――今後の開発については。 大谷 競合相手の剤を見ながら、農家ニーズに対応した剤を、現場担当者の経験とアイデアを活かしながら研究開発部門との、相乗効果を発揮して新たな製剤を開発していきたいと思います。
|
||||||||
(2007.10.26) |
特集企画 | 検証・時の話題 | 論説 | ニュース | アグリビジネス情報 | 新製品情報 | man・人・woman | 催しもの 人事速報 | 訃報 | シリーズ | コメ関連情報 | 農薬関連情報 | この人と語る21世紀のアグリビジネス | コラム | 田園交響楽 | 書評 |
||
社団法人 農協協会 | ||
|