農業協同組合新聞 JACOM
   

特集 「食と農を結ぶ活力あるJAづくりと女性達の役割2008」


JA女性 かわろう かえよう 未来のために

新生カンボジアの教育普及に汗流す

脚本家・JHP代表理事 小山内美江子さん

聞き手:評論家・作家 吉武輝子さん


 JA女性組織の活動は幅広い。ボランティア活動も食農教育や介護などをはじめ多彩な展開を見せている。一方、小山内さんは脚本家であり、日本の代表的な国際ボランティア団体JHPの代表として難民救援や新生カンボジアの復興支援の先頭に立っている。その話は、地域貢献に向けたJA女性組織の取り組みに数々の示唆を与える内容だった。

「金八先生」以来の宿願に取り組んで

◆カネも出して顔も出す

小山内美江子さん
おさない・みえこ
1930年1月神奈川県生まれ。脚本家。テレビドラマでは「3年B組金八先生」、NHK大河の「徳川家康」「翔ぶが如く」など作品多数。JHP代表理事。カンボジア王国から民間人に対しては最高のモニサラポン大勲章を受章。
NPO「JHP・学校をつくる会」。会費・会員制の会としては1997年9月設立日本の代表的な国際ボランティア団体。特定非営利活動法人。カンボジアだけでなく、他の組織と共同でアフリカ諸国やアフガニスタンなどにもボランティア派遣。

 吉武 国際ボランティア活動を始めたきっかけは?
 小山内 1990年に母がなくなり、息子も独立していたので、これからは今までできなかったことをやろうと思っていた矢先の湾岸危機の時で日本に対しては「カネは出すが、顔は出さない」などという国際的な批判が出ていました。当時は自衛隊の海外派遣はできず、では民間人が顔を出して汗を流しましょうとヨルダンへ出かけ、次はフセイン軍に追われたクルド人難民を助け、学生たちと一緒に食料を配りました。
 吉武 それが若者との出発点ですね。
 小山内 ええ、その後“何かあった時に顔を見せに行く日本人”のグループをつくり、91年にはイランにも行きました。
 吉武 次がカンボジアですか。
 小山内 91年に内戦終結の和平協定が結ばれました。同国について勉強したら、第2次大戦後の戦争賠償放棄第1号がカンボジアだと知りました。今は壊れてしまっているけれどこの親日国こそ救援すべきだと考え、92年に同国に入りました。
 カンボジアはポルポト時代に中国の文化大革命の影響でインテリたちを大虐殺し、700万だった人口のうち200万もの人を殺したんです。学校の先生も8割が虐殺されたり国外へ逃げていました。
 20数年間、基礎教育を受けなかった子どもたちが大人になっているから大変です。さあ復興だ、といっても、リーダーとなる人材が殺されていたのです。
 私がテレビドラマの「金八先生」の脚本を書いていたころ、金八さんが生徒たちに、カンボジアの子どもの悲惨な境遇を教える場面をつくりました。しかし他人の不幸をネタにしているような気がして当時からいつかはカンボジアへ行こうと思っていました。それが10年後に実現し、最初は難民救援でしたが、次は復興支援に本腰を入れました。
 吉武 そして93年には「JHP(ジャパンチームオブヤングヒューマンパワー)・学校をつくる会」のもとを設立されたのですね。
 小山内 JHP・学校をつくる会は学校建設を急務として93年末に第1校目をつくりました。トイレつき校舎です。トイレに必要な井戸も掘りました。向こうでは約7割もの家庭にトイレがありません。
 最初は1年に1校でもよいから毎年続けましようといっていたのですが、実際には昨年なんか25校もできました。合計で間もなく199校目が完工します。

◆地球市民を増やしたい

吉武輝子さん
吉武輝子さん

 吉武 日本は長い間、いれもの行政が続いて人間の問題は度外視してきました。それで子どもたちの学力が低下し、人間形成のさまたげがでました。なかみの人間の問題、ことに先生の問題はどのようになさったのですか?
 小山内 そこですよ。ハコ物だけでなく、ソフトも必要です。しかし教員養成には言葉の壁があるため音楽や美術に力を入れました。といっても正式教科ではありません。カンボジア人は音楽好きですが、情操教育は後回しとなっていました。
 私は日本から中古の鍵盤ハーモニカを持ち込みましたが、音符の読める人がいないため、先生もまた日本から派遣して2000年には7人の現地音楽教員が育ちました。その人たちが赴任した師範学校で、さらに音楽教員を増やすわけだから鍵盤ハーモニカはいくらでも必要です。
 そこでJHPでは中古品の寄贈を呼びかけています。それを通じてカンボジアへの関心を高めることが国際交流ともなります。
 吉武 会の活動資金はどうしていますか。
 小山内 学校建設の資金は企業や個人からの寄付です。会の経理がきちんとしているため04年には国税庁の認定NPО法人になりました。このためJHPへの寄付額は所得から税金控除されています。
 カネが集まらないために現地の切実な要求に応えられないボランティア団体がありますが、一方でカンボジアには日本政府から相当大きな援助金が出ています。しかし、どうってことのない使い方も目につきますネ。
 吉武 日本のОDA(海外経済援助)は軍事政権の資金になったりして、原住民には大きな悲劇をもたらしました。ところでボランティアに参加する学生たちの状況はどうですか。
 小山内 現地の役に立つだけでなく、日本の若者たちのためにも役立ちたいというのがJHPの特徴です。地球市民として育ってほしいのです。毎年夏と春の1ヵ月間、男女10人ずつの大学生に社会人を加え計約30人を派遣しています。これまでの派遣実績はユーゴやアフリカなどを含めると合計1000人以上になります。
 現場ではさまざまな作業をしますが、コンクリート練りのうまい女子学生がいました。聞いてみると農家出身で、親がたい肥をかき混ぜるのを手伝っていたといいます。農家の子は実戦的ですね。とにかく若者たちはボランティア活動を通じて体験学習を積み重ね、ヒューマンパワーを発揮するようになります。

◆日本のコメ作り見習う

 吉武 カンボジアという国は農業国ですね。日本の農業と比べてどうですか。
 小山内 ポルポトは農業と農民は大事にしたようですが、指導者層を虐殺したり、水路をダメにしたため、大変なダメージを受けています。
 先進国が農薬を援助しようとしましたが、NGОはこぞって大反対です。だって、いくら使い方をちゃんと説明するから大丈夫だといっても、あの暑い中でボンベを背負った上にマスクをしてゴム長で薬をまく農民がいるとは思えません。第一、長靴などは売っていないのですよ。
 農薬を薄めたドンブリ鉢をほったらかしにし、その横で幼児が遊んでいるといったのが現地の農村風景です。また華僑系の商人が「これを使えばスイカやトマトが大きく成る」などといって農薬を売り込むと、それを信用してしまうのです。
 全体として教育の基礎がなっていないから農業技術も非常に低いのです。しかし教育の普及につれて農業分野のレベルも少しずつ上がってきています。
 吉武 今、日本の農家も子どもに農業の手ほどきをしなくなり、地球市民として生きる道を閉ざされている気がします。ところで日本国内で販売している農薬とは違うのですか。
 小山内 日本だけではなく、各国でもう使われていない農薬だからヒドいはなしです。
 JHPの現地事務所長は福井県の人で農家出身で、郊外に田んぼを借りてコメ作りをやりました。彼が関係している自動車整備工の養成所で寮生活を送る現地の若者たちに、ご飯を腹いっぱい食わせてやりたいからです。
 現地人の田植えは間隔を詰め過ぎると彼はいいます。それに比べて間隔をあけた彼の田を見て現地人は“日本人はいったい何をやってるんだ”というような顔をしていたとのことです。しかし稲刈り前には実りの違いがはっきりします。結局、その次からは現地人も日本式を真似るようになったそうです。
 彼はまた合ガモ農法も導入しました。現地人は「そういえば、うちの爺さんも合ガモを田に放していた」とかすかな記憶を呼び覚ましたといいます。カンボジアでは農業技術が継承されていないのです。私が今、心配しているのは鳥インフルエンザです。これがまん延したら大変です。

◆三毛作ができるのに…

 吉武 農業以外の産業についてはどんな状況ですか。
 小山内 やはりコンピューターを製造できるような豊かな国になりたいというのが夢です。でも私は「それはムリです。すでに日本の技術が入っている隣国のタイやベトナムと競争するよりは、コメを作りなさい。コメは食えるけどパソコンは食えませんから」などといい、世界の食料事情のひっ迫を説いています。
 向こうは、がんばれば三毛作ができるの。だけど一度ので足りるからと二毛作さえもやらない人がいます。
 吉武 日本の政府にも食料危機対策を説いて下さいよ。
 小山内 日本ではコメを作っても米価が安過ぎて農家はやっていけないのでしょう。食料自給率が低いといいながら、なんでそんなことをするのか…
 吉武 頭にきますよ。自給率39%だから、何かあれば3人に2人は餓えてしまうのよ。
 小山内 田んぼはダムの役割を果たしますし、一度遊休田にしてしまうとダメになってしまうのだから、三等米でよいから米を作り続け、政府が買い上げて餓えている国を援助するとかガソリンにするとか、いくらでも対策は考えられるはずです。10年ほど前には凶作で大騒ぎになった経験もありますしね。
 吉武 小山内さんは都会の出身ですが、カンボジアへ行って農業観は変わりましたか。
 小山内 向こうの田舎を見ると何か懐かしさを感じます。アジア農耕民族の遺伝子のせいかなあとも思います。
 吉武 ボランティアの話では、JAの女性たちの助け合いもすごく活発ですよ。介護活動などを始めとしましてね。
 小山内 お年寄りだけの過疎の集落が増えているのですね。公共交通機関がなくなったり、郵便局が消えて年金の通知さえ届かないなどという話を聞くと、いったいこの国は何をやっているのかしらと思います。
 吉武 郵政民営化でねえ。最後にもう一度、世界の食料事情について感じておられることがあればお願いします。
 小山内 学生たちとの話し合いでは例えば中国の金持ちが日本人の真似をして、しゃぶしゃぶを食べるようになった、豚肉の国で牛肉需要が増えるとどうなるか。牛肉1キロをつくるには10キロの穀物を食べさせる必要がある、その穀物はアフリカの人たちの常食だから、それを牛に食わせていることになる、そういった問題も勉強しています。

小山内さん×吉武さん

インタビューを終えて
 対談の当日、小山内さんは杖をつき、わたくしは呼吸器の障害で携帯用酸素ボンベを引きずっていた。小山内さんはわたくしよりも1歳お姉さま。対談の中で一番印象に残ったのは「1990年母がなくなり、息子も独立してこれからは自分のためではなく、人に役立って生きようと思った」ということば。まさに長寿時代をゆたかに生きる極意と受けたまわった。年を重ねればいやおうなしに肉体は引き算の部分も出てくる。でもそれをおぎなう補助器具も発達してきている。その発達に助けられて生きる時代は、まさに人に役立って生きる人生最高の時代と小山内さんのいきいきとした存在が物語っていた。(吉武)

(2008.1.30)

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