経済の停滞が続き、政府も日銀も、その対策で右往左往しており、政局も混迷の度を深め、政治家は、どうすれば選挙民の支持を得られるかと右顧左べんしている。
このように、われわれはごく気安く「右」や「左」の言葉を用いているが、「一体、右とか左とかいっても、その基準は?」と自問自答してみると、案外難しい。
そこで、試みに三省堂の大辞林を開いてみた。「左とはその人が北に向いていれば、西に当たる側」とあり、次いで「北」の項目を見ると「日の出に向かって左の方向」と出ている。これでは、仮に北も左も知らないひとが読んだとしたら、理解困難な堂々巡りの説明である。
そこで、「左」の項目でのもう一行先きに目を移すと「人体でいえば、普通、心臓のある側」とあり、稀には普通でない人もいるのかと思いつつも、これなら分かる。そういえば、普通は心臓のある側の左手で、おちょこを持ち酒を飲むので、呑兵衛のことを「左党」と呼んでいる。
さらに、人体を離れているものについては、前向きの姿勢でものを見て、心臓のある側が、左側とか左方になり、正確に伝えたいときには「向かって左」といった表現をする。
ただし、これで一件落着かと思うと、そうではない。例えば、パリの観光案内書に「セーヌ川の左岸にある××」とある場合、地図が添えられていないときは、ルーブル美術館側か、それともエッフェル塔側か戸惑ってしまう。
再び辞書に助けを求めると、「左岸とは下流に向かって左側」とあり、ルーブル美術館側と納得する。
京都の左京区、右京区の別も、市内地図を見て、左側が左京区と早合点していると、そこは右京区と表示してある。
そのわけは、平安京の中心である内裏(現京都御所)から見て、朱雀大路をはさみ、左側が左京、右側が右京なのである。
このように、セーヌ川にしても、京都にしても、特定の視点からの左右の別である。したがって、こういったルールを知らない者にとっては、日銀や政府ならずとも右往左往しかねない。
3月の節句に飾られる内裏びなの配置も、腑に落ちなかった。というのは、シーズンになると人形店やデパート等に沢山展示されるが、ほとんどが「向かって左」に天皇びな、その隣りが皇后びなとなっている中、たまに、反対のケースがある。「どっちが正しいのか」と老舗の人形店の専門家に質問してみた。
その人の説明では、江戸中期、いまのようなひな人形が登場したころ、当時の習慣は、左側の座席が上席であった。その証拠に、左大臣のほうが右大臣より偉かった。そこで、天皇びなも、皇后びなの左に座らせたので、われわれから見ると「向かって右」となった。 古い時代のひな祭りに飾られた色紙(しきし)を見ると、そこに画かれた内裏びなは、時の習慣を反映して、天皇びなが「向かって右」の図柄が多い。
ところが、昭和天皇のとき、公式の席で天皇が右側の席に位置され、その写真が公にされた結果、ひな段の飾りつけも、それにならって、天皇びなと皇后びなは左右ところを変えた。
飾りつけには、右近の橘と左近の桜も見られることが多い。京都御所内の紫宸殿の前庭に植えられている「右近の橘」、「左近の桜」にほかならないが、左近の桜は、御殿から見て左側にあり、天皇の座席に近いほうにあった。
面白いことに、天皇びなが右側(向かって左)に移った現在も、依然として左近の桜は、例外なく「向かって右」に置かれている。
専門家の話しでは、天皇びなの座席が変わっても、紫宸殿前の橘と桜は、厳然として、むかしながらの位置にあるので、変えるわけにはいかないのだ。 (MMC)
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