世界遺産の石佛破壊や、多発テロとタリバーンが信奉するイスラームについての関心が急速に高まっているが、われわれの認識はまだまだ低い。
神(アッラー)は、大自然を造り、天体の動きに秩序を与え、人類には来世の天国が保証されるようにした。そのため神は多くの預言者(神の言葉を預かる者であって、予言者ではない)を通して、地上に啓示の書を送った。
ムーサ(モーゼ)の手で律法の書、イーサ(イエス)により福音の書、ムハンマド(マホメット)を通じてのクルアーン(コーラン)である。最後のムハンマドは、西暦614年にヒラーの洞くつで瞑想中に、神の啓示を受けている。
この三者、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は、いずれもセム族の同じ地方から出た兄弟関係にある。
神からの啓示を記したムハンマドの言行録クルアーンを、後世の学者が理論的に整理、共同体の中で合意されたものがシャリーア(イスラム法)で、それを守って生きることが「イスラーム」にほかならない。
その信奉者が「ムスリム」と呼ばれ、タリバーンもその一派である。
クルアーンはアラビア語でくだされたものであり、他国語への翻訳は不可で、他国語で示せるのはただ解釈でしかない。したがって、全世界のムスリムはひとしく「アッサラーム・アライクム」(あなたに平安を)とアラビア語であいさつし礼拝している。
イスラームは、その信念のうえに築かれる生活の全体、文化の総体を指しており、魂の救済に重点を置いた一般の宗教より、信奉者を規制する範囲が格段に広い。
後世の学者が整理したイスラーム法は、(1)必ずすべきこと、(2)したほうがよいこと、(3)どちらでもよいこと、(4)しないほうがよいこと、(5)してはならないこと(ハラーム)に分けられる。
(1)に属するものとしては、信仰告白、礼拝(1日5回)喜捨、断食、メッカ巡礼があり、いままさに、その1つ断食月(ラマダーン)を迎えようとしている。
その目的は飢えを体験することで、食物を与えてくれる神への感謝を新たにし、一方、食べることのできない者の苦しみを知ることにあり、体験者は精神的陶酔感に浸れる。
(5)はいわゆるタブーに属することであるが、食物でいえば蹄が分かれていなかったり、反すうしないブタやウサギ、ひれやうろこのないタコ、イカなどは食べてはならない。
また、神以外の権威を認めないので、偶像の類はタブーであり、マホメット教という呼び方も、人間が説いた教えということになり、これも間違っている。
神への祈りも、感謝あるのみであって、合格祈願などの類はもってのほかである。
性弱説の立場をとり、その結果男性は性的誘惑に弱いので、女性には「ベール」をつけさせて惑わされないようにした。酒を飲ませるとなにをするか分からないので「悪魔の業」として禁じている。人が神を忘れてしまうような音楽もご法度だ。
メッカの方角に向いて大小便をしてはならず、背を向けてもいけない。墓場は神による最後の審判を待つ場所であって、遺体のまま土葬しなければならない。イランで最大級の侮蔑は「おまえの父親は火葬にされたぞ」という言葉だそうである。
以上の事例で見ると、ひどく窮屈に思えるが、大事なことは契約書にするのは別として、多くの事柄が「神の意志であらば」でゆったりした関係にあり、「男の世界」と「女の世界」が峻別されていても、格差はなく、結婚式の披露宴などは、女性のほうが派手という。
神の前では人間全て平等であると説くので庶民の支持が高く、イスラーム信奉者はいまや10億人を超え、各種宗教の中で、年々の普及度が最も速い。湾岸戦争の際も、彼の地で捕虜になった米兵で、イスラームの信奉者になった者が少なからずいた。
タリバーンが全世界を混乱に陥れたこの機会に、イスラームの世界を奇異の眼で見るだけでなく、一歩踏み込んで実情を知ろうではないか。 (MMC)