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コラム
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天災は忘れないうちにやってくる
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寺田寅彦の名言「天災は忘れたころにやってくる」どころか、古文書に記載された伝承も途絶えかねないほどの遠いむかしの天災の再来であった。 9月1日は「防災の日」。大正12年(1923)のこの日に関東大震災が発生、東京では地震そのものより、二次災害の火災で10万人を越す死者、行方不明者がでた。 東京周辺は大地震69周年説があって、平均寿命が女85.8歳、男78歳という昨今、生まれてから死ぬまで東京に住んでいると、一度は大地震に遭遇する勘定になる。 筆者の場合、母や姉から関東大震災のとき、類焼をおそれて芝から目黒方面に逃げたという話しを聞かされている。このように、東京周辺はまさに「天災は忘れないうちにやってくる」という宿命を負っている。 しかしながら、間違いなく69年ごとにやってくるわけではなく、前後20年余の幅があり、さらにその期間内に必ず訪れてくるともいえない。それは「なまず」に聞かなければ分からないので始末が悪い。 ただし、東京周辺の主な地震を調べてみると、江戸期以降、1649年(慶安地震、マグニチュード(M)7.0前後)、1703年(元禄地震M8.0、江戸での震度は以下Sで表す、5〜6)、1782年(天明地震M7.0、S4〜5)、1855年(安政地震M6.9、S6)1923年(関東大地震M7.9、S6)と、各期間の平均は70.6年と、69周年説とほぼ合致している。 マグニチュード(M)とは、地震のエネルギーの規模を表し、Mが1大きくなると、エネルギーは32倍になる。したがって、関東大震災のM7.9のエネルギーは、安政地震のM6.9に比べて32倍のエネルギーだったことになる。 一方、震度は気象庁が定めたもので、各地点の揺れの強さを表し、0(無感)から7(激震)まで10階級に分かれる。 マグニチュードと震度との関係は、電球自体の明るさと、机の上の明るさとに喩えられる。同じ100W(ワット)の電球のもとでも、机の距離が倍離れていると、明るさは4分の1に減じる。 地震の場合の震度は、さらに地盤条件が重なるので、隣接地でも震度が大幅に異なることは珍しくない。 因みに震度6弱(烈震)だと「立っていることが困難」、6強(烈震)だと「這わないと動くことができない」状態で、関東大震災での東京の震度6はまさにこのようであった。 さて、東京中心に話してきたが、日本列島全体が「大地震の巣」といってよい。そこで1873年から1984年までの112年間に震度5(強震)以上を経験した回数を20数キロ四方のマス目で図式化したものを掲げてみた(元東大地震研究所所長宇佐美竜夫氏作成)。 これによると、北海道太平洋岸、東北・関東太平洋側、紀伊半島、九州中部などの揺れの回数が目立つが、いわゆる太平洋プレート、フィリピン海プレートが、いずれも太平洋側で列島の下に潜り込んでおり、ある限界に達すると、それがバネのように弾けて、大地震を発生させる。 それに比べて、日本海側は概して揺れが少ない。太平洋岸を除いた北海道、津軽半島から秋田北部、福島・群馬・栃木3県境付近、富山平野周辺、山陰および北九州は被害がでる震度5以上の揺れを経験していない。 しかしながら、その後の1993年には北海道の日本海側で平正5年北海道南西沖地震が生じている。 このように「天災はどこで、いつ起きるか分からない」ので防災対策を怠ってはなるまい。(MMC) |