「大学の農学部も味なことをやるもんだ」、それが本書を読んでの第一印象である。そして改めて進士五十八氏の序文を読んだ。「日本の農学系大学は、歴史的に地域社会と深く関わってきた。本来、大学はこうした“地域社会のニーズ”に応えるべき存在である」とある。
確かに農学部のみならず、大学は今日積極的に地域に出て、学際的な研究を行ってきている。例えば、筆者の所属する茨城大学地域総合研究所は久しく鹿嶋研究センター、ひたち未来研究会、県都再生研究会、東海村研究プロジェクトなどを通して地域と共に研究し、その成果を挙げている。また、編者の中島教授には東海村総合計画、水戸、ひたちなか農協の農業振興計画などの策定作業に関わっていただいており、大学を象牙の塔などと言うのはもはや死語に近い。
にもかかわらず、地域連携の広がりの中で、「学生たちはたくましく育ち、教員たちも大学の研究・教育に新しい問題意識を得て、二十一世紀型の新しい農学教育への模索が始まっている」(序章)。本書に収録された事例は、文部科学省の現代GP(地域貢献分野)の取り組みによる秋田県立短期大学、岐阜、筑波、茨城大学の4例である。
秋田では、学生たちがむらに入って、むらの農業に新しい息吹を吹き込み、むらの子どもたちと学生が育てた米を東京の駅頭で販売し、むらに新しい活力を作ろうとしている。
岐阜では、過疎の山村に学生とむらびとが「公民館大学」を設立し、学生たちは泊まり込みで地域の暮らしを学び、お年寄りたちとの交流を深めている。
筑波では、地元つくば市で、食や農や緑についてテーマを定めて市民と学生がともに学ぶことで、自立的に行動する市民が育ちつつある。
茨城大学では、農学部のある阿見町で、市民と農家と学生が、大きな地域課題である耕作放棄地問題に取り組み、そのなかから自然共生型の地域づくりの機運が盛り上がっている。
開かれた大学から地域連携をめざすこれらの試みはまだ緒についたばかりだ。だが、学生が地域連携の主役になり、地域から学び、勉学意欲が向上し、農学教育の新展開が見られるとすれば、地域と響き合う大学になり、コミュニケーション、パートナーシップ、コラボレーション=協働を基本とした農学教育の新しいミッションが産まれる、と期待される。
ここまで書いてきて、筆者の学生時代を思い起こしている。当時、首都圏で農学部のない大学にも農村問題研究会や農業問題研究会というサークルがあった。筆者もその一員として休みには東北、関東、長野などの農村に入り、経済調査や子供会、援農などをやってきた。当然、教科書にはない多くのことを学び、いろいろな人に出会い、結局農協陣営に身を置くことになった。
うらやましいとは思わないが、今では大学がそういう場を提供している。それが冒頭の感想につながっている。