「編集後記だけの本」を初めて手にしてうなった。「うまい。すごい」。 著者の??杉さんから、この3月に定年で辞めるという挨拶をいただき、ほどなく本書が送られてきた。著者は日本文化厚生農協連(文化連)が出している『文化連情報』の編集長をなんと19年務めてきた。その編集後記は毎回1頁分ある。字数にすると約1500字。
私は長いこと農協で広報紙の編集をやってきたが、編集を終えてあとがきを書くのが楽しみだった。ホッと一息つける瞬間だ。ただ、ボリュームはほんの10 行程度。埋め草のようなものだった。それが毎回1頁。気合いを入れて書かないとみっともない文章になってしまう。「編集者の姿勢と哲学が問われるのが編集後記。長いのは編集者の思い入れの深さの現われ」と著者は言う。
文化連は戦後、「働く農民による農民の為の農協をつくり出そう」と今の「大手町の農協」とは別の路線を歩み、「新宿農協」の中核となって今日に至っている。
私はずっと、機関誌(紙)は、大小はともかくその組織のたいまつの役割を担っている、と考えてきた。農協の機関誌であれば、農業や農民、農協の現状をきちんと見据え、報告し、行く末を示すことが宿命である。情報はいつでもそれこそふんだんにあり、取捨選択を誤ると、たいまつにはならない。編集者には、「なぜと驚くこころ」と「やわらかな心性と感性を鈍らせない努力、情勢の動きをよむ眼を鍛える」ことが必要な条件、と考えている。そのために「本を読むこと、人と会うこと、旅をすること」を著者は信条としてきた。
著者の協同組合運動に賭けてきたミッションとパッションはまえがきの次の文に凝縮されていよう。「協同組合は、運動体と組織体・事業体が三位一体となった社会的組織で、資本主義に対するアンチテーゼを孕んで生まれ、それを歴史のなかで理念化してきた。その協同組合の機関誌の持つ役割は多大で、情報提供や広報の枠を超えた教育・啓蒙の役割も持っている。そればかりか、社会全体に対してもその任がある」。
もともとの編集後記には見出しはなかったが、本書にはすべて付いている。これがなかなかのもので、その時々の問題、課題、話題などが著者の好みでうまく表現されている。ベルリンの壁は崩壊、長崎市長が撃たれる、米の市場開放絶対反対、阪神大震災の特集と胸の疼き、老人いじめの健保法「改正」、とうとう米の輸入自由化へ、臨界事故と安全神話、イラクへ自衛隊派遣、完全自由化したら自給率は12%等々。あのときにそんなことがあったんだっけ、とその時の情景が脳裏によみがえってくる。
さらに著者は自分の姿勢として「四季折々を感じとるやわらかな感性。俳句、短歌、詩で表現された短詩形文学のもつ深い心性。農民と農業・農村の復権・再生という視点。社会矛盾に対する怒り」などのこだわりを持ち続けてきた。
白鳥が誘う旅心、花のいのちは短くて、天候不順に打ちのめされた年、さなぶり、百を超える雨の名前、豊作の涙は怒りの涙、焚火は文化、村が消える、文化が消える、水より安い米、このままで故郷に帰れるか、などの見出しにはまさに著者の感性が発露している。
山登りの世界は私にはまったく縁遠いが、よくもまあ行けるものだと思えるくらいに著者は全国の山々を踏破している。新年を山で迎えるのが恒例行事。後立山連峰、槍ヶ岳などでの息吹が伝わってくる。「山に登る行為は、渇きへの対処法。内発的なもの」と言う。
著者は独酌がお好きらしいが、酒も全体に流れるテーマの一つ。ひとり酒と詩、秋と酒、酒好きだった良寛さま、新潟の枝豆と酒などの見出しに表われている。新潟県出身だけあって、新潟の酒類をこよなく愛しているようだ。
これも私には縁がないが、季節に合った俳句、和歌、詩が必ず引かれており、〆には必ず著者の短歌がさりげなく置かれている。
最後に。私は学生時代に戦後のすぐれたジャーナリストとしてむのたけじさんと須田禎一さんの文に接し、影響を受けてきたが、須田さんを追悼する文中に「この人は地の文章と引用の文章とが完全に一致する人」というのがあったのを引く。長いことお疲れさまでした。