一昨年12月に有機農業推進法が成立し、我が国の有機農業運動は新しい段階を迎えている。その時に、30年余も有機農業運動の伴走者であり続けた桝潟さんが本書を出した。1970年代初頭に始まった有機農業運動が社会運動として何を目指したのか、その後国家やビジネスがどう関わり、今後どう展開していくのかを鳥瞰した好著である。本書によって我が国の有機農業運動の全容とその意義をつかむことができる。
農業生産は長いこと有機栽培で行なわれてきた。それが戦後の高度経済成長に合わせるように、農薬・化学肥料によるケミカル・コントロールに依存するようになる。生産性の向上と経済的利益、効率追求を目指した農の「工業化」である。
1970年代に入ると、高度成長のひずみが表面化し、反公害運動が各地で起こり、農業面でも生命と環境を破壊する農薬使用への警告・告発が出始める。 1971年には協同組合経営研究所理事長だった一楽照雄さんらが有機農業研究会(のちに日本有機農業研究会に改称)を結成し、この時初めて「有機農業」という言葉が世上に現われる。
しかし当時は「近代農法」が全国を席巻しており、有機農業生産者は変わり者、村八分に遭いかねない状況だった。有機農業に取り組むには勇気がいる、と言われていた。私も当時、農協の会議で有機という言葉を使ったら、経営者に「君は江戸時代の農業に戻れというのか」と一喝されたことを思い出す。
本書は、総論として「有機農業運動の草創期」から筆を起こし、「提携を軸とする有機農業運動」「多様化する有機農産物の流通ルート」「転機に立つ提携運動」「有機農業の制度化・政策化」「WTO体制化の有機農業運動」と有機農業運動の歴史的経緯をたどる。そして、島根県奥出雲地域(木次乳業)、愛媛県明浜町(無茶々園)、宮崎県綾町を事例とし、有機農業運動が地域でどう展開されていったのかを、それぞれの先覚者の努力に焦点を合わせて紹介している。
我が国の有機農業運動の特徴は、モノの売り買いではない、信頼を土台にした相互扶助を目的とする生産者と消費者の有機的関係、「提携」という関係性を軸に展開してきた。では有機農業運動とは何か。著者は「近代農業が内在する環境・生命破壊的性格への不安・不満にもとづき、土地−作物(家畜)−人間の関係における物質・生命循環の原理に立脚しつつ、生産力を維持しようとする農業への変革を志向する集合行為である」とやや難しい定義をしている。
私が群馬県永明農協に在職当時、農協にお出でになった一楽さんは協同組合理論だけでなく、有機農業についても熱っぽく語っていたことを思い出す。また、佐久総合病院の若月俊一先生は農薬中毒の恐ろしさを説いていた。有機農業研究会の発足の頃だった。
その後、水俣の「がさくれ」ミカンや山形県高畠町の有機ぶどう、りんごを食べるようになり、有機農業の世界に徐々にのめり込んでいった。茨城県有機農業研究会の旗揚げ、有機JAS認定機関の設立にも関わった。
そういう<私>は何なのか。著者は最後のところで有機農業運動を「新しい社会運動」の一つとして位置づけている。「地産地消、地域自給・自立という運動理念」は現在私どもが地域の農協で展開しようとしている考え方と一致するし、十数年前から関わっている環境自治体会議の活動も同じ視線で整理することが出来る。ああ、そうだったのか、と納得することができた。
最後に私が危惧していることを一つだけあげておく。本書にも出てくるが、「有機JAS認証制度が厳格に運用されることによって有機農業運動が国家管理の特殊農業への変質を余儀なくされかねないという危機感」である。現在の認証制度は、問題があった時にどうするか、記録、記帳を正確にといういわば重箱の隅を針でつつくようなやり方を国から指示されている。こうした国の強制に対して、生産現場から悲鳴があがっている。ではどうするか。私たちが答を用意しなければなるまい。