文春新書。著名な社会学者である上野千鶴子・東大教授と辻井喬・元セゾングループ代表(本名は堤清二)の対談である。ツッコミ上野対ボケ辻井の漫才のごとくで、実に読みやすい。もしこれが、学者の一方的な現代社会論なら、興味半減。
辻井氏は1927年生まれ。戦中派の名実とも、しんがり。1970〜80年代西武セゾングループのリーダーとして、単に流通グループを牽引しただけでなく、消費社会の未来像に多くの発言をした。現にグループ崩壊体験を踏まえ、この本で多くの示唆を与える。一方は女性の自立に多く発言してきた。彼女のジェンダー論を「家庭崩壊論」の最たるものと非難する論者も多いが、本人は馬耳東風である。本紙の女性論にも登壇して欲しい人だ。
生協総研(日本生協連のシンクタンク)が「生協学」を研究する討論会を継続中だが、昨年5月出会った。生協の購買事業が中心課題なのだが、彼女は激烈反論。それに関心は無い、ケア(福祉)に生協は何をするかであると喝破した。常識を壊す破壊力は凄い。
さて本書。対談は当然ながらセゾングループは1990年代後半、何故解体したのかに集中する。上野のシナリオは(1)その体質、(2)「一部失敗のダメージが他に波及した」、(3)「この失敗は総師・堤清二の経営責任にある」、(4)堤のパーソナリテイ、以上4つを提示すること。焦点はなんといっても (3)である。
周知の通り、セゾングループは、戦前の武蔵野デパート(1940年)に発する。都心から離れた池袋地帯が地盤である。デパート自体が旧体質だった。堤は店長(1955年)から改革の旗を振り、ついに池袋店単独で全国トップの販売高へ(82年)。私はその頃、直販事業の営業現役だったから、産地農協を必ず池袋食品館に案内したものだった。事実、そこでの商品情報は説得力を持っていた。一例を挙げれば秋田県の比内地鳥。87年の暮れ、消費者から欲しいという電話がかかって、池袋店を紹介したのは忘れられない。
では堤の経営責任は何か。グループ会社である西洋環境開発と東京シテイファイナンス(西友100%子会社)が巨額負債に陥った。その経過と対策を討論、論証した。読み物としても迫力十分だ。その上で、辻井が言わされる。意味深長な発言である。
「辞めようと思ったらバブルになる。次に辞めようと思ったら、バブルが崩れた」
「ずるずるっと引っ張られて、辞めるのに時間がかかったことです」
以下私にとっても関係の深い流通グループだったから、率直な感想を記す。第1に、このグループの事業失敗の経験こそ、実に他山の石的宝庫である。勢いのある時は他人の意見に耳を傾けない、そうつくづく思う。堤本人も例外足り得ない。
第2は、堤清二著『変革の透視図』(1979年)は流通拮抗論である。堤本人が廃版にしたのだから、当然巻末参考文献にない。だが、上野氏ほどの論者が、『消費社会批判』(1996年)だけに絞り、比較対照していない。主題の「ポスト消費社会」は、実は日常消費生活からこの国のあり方に迫るテーマである。かつて「変革の透視」とした「生活総合産業論」こそ、観念的革命論に飽き足らない多くの人をひきつけた。「21世紀は協同組合の時代」と予言した堤清二思想の重い意味があったのだ。