日本農業新聞が創刊80周年の節目として07年4月から1年間キャンペーンを展開した記事を再編集したのが本書。毎朝読んでいたのに、読み落としも読み忘れもあったなあと、これが再読の総合的実感である。
日本列島は狭いか、広いか。これまた再読すると、実に広いと思う。そこに農業を営み、地域に生きて、次世代につなぐ人たちの息づかいが処々にある。平成の大合併で、町村名がぼやっとしている。それなのに、記事を追うと一挙に実像と人々が見える。決意をもって生活している。そういう記事力は、農業専門全国紙である記者諸氏の「田園立国」に賭ける決意でもある。その個別記事をいちいち挙げない。要は農業現場で工夫して働く人が、専業農家であるかどうかを問わない。地域にどう関わっているか、そこが取材の視点だからである。
次に識者の多様な日本農業観。市場経済の世界体制を踏まえて、国家に甘えるなという人が登場する。一方市場経済の陰りを指摘、いまこそ転換のときと「田園立国」そのものを力説する人も。等しく日本人であり、食に関心があって、どうしてこんなに見解が違うのか。これまた改めて実感する。育った環境、時代の経験、国際情勢の動きなど思想と情報と経験の差でもあろう。だからこそ「田園立国」を譲らず、取材した一貫性に共感する。
もうひとつ、農業生産と流通と消費の複雑な場面展開が生情報としてある。最後は調理と栄養、または食事残渣処理もあるから、取材はそこでも力仕事を問われる。スーパーを含め食べ物店舗関係現場は欠かせない。そこは執拗な競争現場でもある。生き残りを賭けて戦っているから、なにやらのんびりムードとは一変する。連続した食品偽装事件も、この特集の期間に多発した。だがそこを深追いしない。
逆に本書には、いくつかの調理現場が登場する。そして食卓も。生活の実相だから、それが大事だとつくづく思う。食卓といえば、「個食・孤食」に行き着く。話題の映画「3丁目の夕日」の山崎貴監督が象徴的に登場する。 「正直、当たらないと思った」、「ところが想像を超える人たちが、あの映画の暮らしに共鳴した」。
人に勧められて、私も観た。そっくり昭和30年中卒同期生がダブった。東京タワーに希望を持ったかどかは別として、次三男坊は東京に行けと言った当時が蘇る。これが東北農村の合言葉だった。受け入れた東京にあった食卓が理想的だったかは別だが。そして現代の「食育」の根本、「個食」から「語らいへ」である。
良いこと尽くめで紹介したかも知れない。第1部「崩壊の淵から」、第2部「農へのまなざし」、巻末「特集」でモニター結果の集約、「田園立国憲章」などのデータが収録されている。その中に、に08年2月26日、創刊記念シンポの記録がある。実に歴史的証言である。中国からの冷凍餃子輸入を巡って日本生協連など関係者はテンテコ舞いだったし、今や他ならない輸出花形の自動車産業が国の保護を言いだしたからだ。