病気はすれど病人にはならない!
輝子さん(おそれ多くも著者吉武氏)が次から次へと繰り出す名言至言、箴言の数々にうなったりため息ついたり、ふき出したりの十二章。あっという間に読み終わりエッとページを戻る。すっかり元気になって「予期不安」なんて何のそのとなるのが本書。
一体何がこんなにもトントンと読み進ませるのか。その第一は文章、文体にある。輝子調子とも云うべき語り口、気持ちが高まってくると「だってだって」「聞いて聞いて」「でもでも」「とってもとっても」と心の底まで開陳したい気迫が伝わってくる。そして固有のおしゃべり調「ちゃっちな生き方」が大嫌いで、ものごとは「ズシンと分からなければ」ならず、嬉しければ「心はほかほか」しちゃう輝子さん像が鮮明。この調子が全編を貫くが何故かダラダラはしない。ぴしりと引き締まってリズムがある。「ならぬものはならぬ」「病気はすれど」など、かつて世にあった文語調がチラリと配される。これが鰹節のように効いて輝子調が出現するのだな、と思って到達した最終章。
謎が解けましたよ。彼女は六十代にして俳句を始めたのです。「長い文体だったのに、枝葉を取っ払ってものごとの真髄にぐいと迫る」を会得したんですって。俳句って凄い。輝子さんの精進も半端ではない。
これでは本の中身に入る前に許された字数が尽きてしまう。文体に身を任せて読んでいくと、えっ、わっ、どうして!といった事柄が次々にしかもサラッと出てくる。14歳の集団性暴力被害、24歳時の父上の自殺、18歳の右目失明、長年にわたる膠原病との付き合い、肺手術や大腸がん克服等々。どれ一つをとってもサラッとは決して書けるものではない。まして公刊する本に。輝子さんの胆力と美学のもの凄さ。それらが二回り年下の佐藤氏との結婚のくだり等とあわせてじつに実に(輝子流感染)さらりと記されている。
どの章も凄いが読んでいただくしかない。最も感じ入ったのが『病気はすれど病人にはならない!』の第二条。いまや人生百年時代、身体のどこかがおかしいのは当たり前、「人生五十年」から倍の百年になったのだもの無病息災で幕を引くのは無理。多病息災、病気は手なづけよ、これが輝子流。たかだかの病気なんぞで病人になってたまるかの気概、これが美学。病気のデパートのオーナーが云うのだから間違いはない。読めば本当にそうだその通りと背筋がきりきりしゃんと伸び、胸を張って奮い立つことができる本だ。
(小林綏枝 元秋田大学教授)